精神は簡単にこわれるもの

精神は簡単にこわれるものだ。

幼少期においては、身体は一つしかないので腕や脚を失っては元に戻れないし末期癌になっては生きていけないし、事故や病気はこわいな、と思っていたのだが、大人になってから周りの人々が精神を病んでいくのをみるに、精神もまた(目には見えないが)壊れてしまっては元に戻るのが大変難しく、それゆえ特に自分だけは大丈夫だと思わずに、精神衛生を重視した生き方をしようと心がけている。常に余裕をもって生きたいと願っている。

余裕といちばん程遠いところに居たのが官僚時代で、兎に角寝たいし帰りたい、国民を思って仕事に励む力など湧いてこない、しんどい、もういやだ、という気持ちが常態化していて、結果、続けることができなかった。今の法律家というポジション・仕事が確立できたことは、本当に幸せだと思う。今は、こういった文章を書く余裕を温存しながら、仕事を続けることもできている(少々拘束時間は長いが)。

つとめて、あまり悩みすぎないようにしている。
職業柄仕事のミスが人の一生を左右してしまうことがあるが、さりとてミスを0にすることはできない。ミスが発覚したときは誠心誠意謝って回復に奔走することは当然だが、ミスがあるかもしれないという疑念を持つのは精神衛生上良くないので意識してそのような疑念を抱かないようにしている。
私生活においても、自分の行動がもしかしたら人を傷つけたり、社会を良くない方にもっていくことがあるかもしてないが、それを悩み始めるとキリがないので、意識して「悩み」を外している。

ちょっと深く考えると、悩みの段階では自分の頭の中で葛藤しているにすぎないから、大事なのは行動であるが、100%正しい行動などありえないから、悩むだけ無駄だ・・・という論理も成り立つと思う。勿論、正しさに近づくために悩む、それも重要だが、悩みすぎて自分を壊しては元も子もない。結局、程度が重要なのだろうと考える。

ほっとかれると悩みに沈んでしまう性格のわたしは、意識して悩みを外していく、ということが大事だと思っている。上手くいかなかったら、そのとき(程よく)悩めばいいのである。

たいていの人は100年も生きないのであるから、悩んでばかりいる暇はないのである。

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