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🎥 ROCKY VS. DRAGO を観る前に

まもなく日本でも公開となる ROCKY Ⅳ: ROCKY VS. DRAGO。僕の地元では9月。ちくしょう、待ち遠しいぜ。

ディレクターズ・カットにより、どのように生まれ変わったかについては、映画秘宝公式 Note で詳しく解説されている。個人的に最も興味深かったのは、スタローンがかなり撮り溜めするタイプの監督であることがわかるという指摘だ。

「Rocky?それおいしいの?」「スタローン?筋肉バカだろ?」という方々には荻昌弘先生によるこの解説をまずご覧になっていただきたい。「オレも一人のRockyなんだ!」という方々にももちろん。そして泣くがいい!

そしてオレもまた泣いてる。
「人生するかしないかというその分かれ道で、するという方を選んだ勇気ある人々の物語です。」
ここで決壊。毎度決壊。

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Rockyの素晴らしさを綴り始めたら、それこそ5億個くらい余裕でいけるわけだが、その中からまずひとつ挙げるとしたら、「誰一人として見捨てない映画」であることだよな。Rocky Ⅴ の失敗はそこ。トミーという見捨てるほかないキャラを舞台の中心に据えてしまった。

誰一人として見捨てないスタローンが、後にハリウッド互助会その名もエクスペンダブルズを立ち上げたのは、ファンの皆さんならご存知の通りである。

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Rocky Ⅱ の凄さも3億個くらいは挙げられるのだが、あえて一つだけ選ぶとすれば、ロッキーをこの地球上で最も評価する男アポロ・クリードがその愛を成就させた映画としてオレの胸に深く刻まれていること。

ボクサー名鑑から拾った無名のボクサーが運命の人だったという胸キュンすぎる展開! 徹底的な「受け」のボクサーであるロッキーは、おそらくアポロのポテンシャルを限界まで引き出した「初めての人」だった。

この物語はブロマンスの傑作 Rocky Ⅲ  へと連なっていく。

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Ⅲ に至っては、もはや性交渉を伴わない肉体関係のアポロとロッキー。本作の裏クライマックスは、試合前の控室でのトランクスシェア。

Ⅲ にはもうひとつ重要なブロマンスが描かれている。そう、クラバー・ラングの物語だ。

ロッキーの全試合を見守るクラバー。エイドリアンを侮辱してロッキーを引きずり出すクラバー。アポロへの嫉妬剥き出しのクラバー。1R終了時「止めないで!もっとやらせて!」とばかりに暴れるクラバー。完膚なきまでにKOされ昇天するクラバー。ああ、かわいいよクラバー!切ないねクラバー!

冗談のように書いてるけど、ロッキーシリーズは一貫して愛を描いてきた。互いに寄りかかり合うような甘っちょろいもんじゃない。愛とは過酷なのだと訴え続けてきた。その精神は、後にクリードにも継承される。

Ⅲ におけるロッキーVSクラバー・ラング1戦目のリング上で、クラバーに侮辱されたアポロの、「恋のライバル出現…!?」て表情がたまらなく素晴らしい。クラバーは本物だと見抜き「やばいよロッキー、やばいよオレ」と心配する顔。いい役者さんだよね、カール・ウェザース。

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Ⅳ でアポロがリングに上がる決意をした本当の理由は、彼自身はぐらかし続けたし、鈍感なロッキーも気づかなかった。ドラゴ陣営が記者会見で「ロッキー・バルボア」の名を出さなかったら、アポロはドラゴと戦っただろうか。

否。ロッキーへの愛に殉じたんだよ。

アポロの死という最悪の悲劇を受け、ロッキーはタイトルを返上してまでドラゴと戦う道を選んだわけだが、彼の最終本気スイッチを入れられるのは、やっぱりエイドリアンなんだよね。アポロのことを思うと、これがまた切ない。

アポロのトレーナー、デュークにも触れておきたい。アポロを守ろうと必死に立ちはだかり、進むと決めたら全身全霊で鍛えた。アポロがロッキーをサポートすると決めたら(Ⅲ)、まるで前からそうであったようにロッキーに尽くし、Ⅳ では完全にアポロの遺志を継いだ。彼もまた愛に生きた人だった。

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ロッキーについては「あんな打ち合いで最終ラウンドまで行くなんて非現実的」という批判がたまにあるけど、それはスポーツ映画という枠にとらわれすぎだと思う。

Ⅰ の冒頭がキリストのフレスコ画であることを、観た人は覚えているだろうか。そう、ロッキーシリーズは宗教映画でもあるんだ。

打たれて打たれて打たれ続けて、それでも go the distance 、つまり最後まで立っていることに意味がある。ロッキーはトランクスを纏い(Ⅲ・Ⅳ ではアポロとシェア♡)ゴルゴダの丘を登っている。

ロッキーの傍にはいつも、いつまでも愚かで情けないポーリーがいる。ポーリーは迷える子羊の象徴であり、絶対に見放してはならない大切な存在として描かれている。

打たれると言えば、ドラゴはロッキー渾身の一発で頬を切ったことで覚醒した。己の尊厳を賭けて命を燃やす一個人が誕生した。打たれることにはイニシエーションという意味合いもあるんだ。なんて多層的な映画だろう。凄いよスタローン。『コブラ』とかも作っちゃったけど、やっぱり凄いよ。

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残念ながら Ⅴ については湧き上がってくるものがないんだよなぁ。以前ならセリフひとつない端役にもあったキャラの厚みが、そこにはない。

ロッキーの最後のセリフ “I love almost everybody.” がとても象徴的。好きじゃない a few との対立が悪目立ちしすぎて、僕が好きな「誰一人として見捨てない物語」としての Rocky ではないんだよね。

集大成にしたかったのはわかるんだけど、同時に何か堪えようのない苛立ちを抱えたスタローンが透けて見えてしまう…というのは考えすぎだろうか。

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Ⅴ の消化不良を全て吹き飛ばすどころかシリーズ中最も完璧な作品(※個人の感想です)である ROCKY BALBOA を、僕は THE FINAL(邦題)とは呼びたくない。ROCKY の物語は、CREED の登場を待つまでもなく繋がれていく。誰が?どうやって?それはエンドロールまで観ればわかってもらえると思うんだ。

リトル・マリーの登場は、シリーズのファンとしては嬉しい驚きだったけど、なぜそんな設定を持ち込んだのか、公開当時は不思議でもあった。ロマンスがあるわけじゃないしね。ロッキーはやっぱりエイドリアン命。きっとマリーはロッキーの go the distance を見届ける「マグダラのマリア」なんだよ。

Ⅰ の冒頭でロッキーが倒したスパイダーの登場にも特に説明めいた描写はない。けど何か必然を感じずにはいられない。何にせよ「誰一人として見捨てないロッキーが帰ってきた!」という感慨は大きかった。「借りは返す!」と息巻いてたスパイダーが、まさか30年という時を経て皿洗いで借りを返しているとは!

いつだって素晴らしかったバート・ヤング(ポーリー)は、本作では全身の鳥肌が立ち身震いするほどに凄い。ロッキーだけじゃなくポーリーだっていろんなものを背負ってきたんだってことを、10秒にも満たない場面で描ききった。

エイドリアンを演じてきたタリア・シャイアは、企画の段階で、死んでることにされたことに激怒し「ざけんなコラ!出せ!」とスタローンに怒鳴り込んだけど、脚本を読んで納得したんだとか。こんなところからも感じる関係者の作品愛。

ちなみに、Ⅰ におけるロッキーとエイドリアンのキスシーンは、僕にとって映画史上最も美しくエロティックなシーンだ。

話を ROCKY BALBOA に戻そう。

荒みきっているんだけど美しい、作中のフィアデルフィア。穢れたものほど聖なるものに近いのだという宗教概念を象徴しているかのよう。パンチー(犬)なんかもそうだよね。胸に深く深く染み込んでくる。Ⅴ で破産するプロセスも必要だったんだなって思えてくる。

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他にも触れたいことがあと10億個くらいあるけど、とにかくこのように見事にシリーズを回収し、僕も私も老いも若きも、みんな一人のロッキー・バルボアなんだというファンの思いに全身全霊で最高の答えを返してくれたスタローンには、もうボロ雑巾になるまで抱かれてもいい。

いや、もう抱かれているといっても過言ではない。

37年の時を経て、また旧ソ連で抱かれてくる。


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追記:9/2に鑑賞してきましたよ。



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