結末の行方の続き 秋の深まりとともに
そろそろ薄手のコートにマフラーが必要になってきた。陽ざしが出れば温かさも残るが吹く風はすでに冷たい。秋の訪れがベルギーの街並みを黄金色に染め始めている。
先週木曜日の17:30過ぎ。私にとってはお迎え後に長男の宿題をやらせながら夕ご飯の準備をしつつはしゃぎまわるやら喧嘩やらの娘2人を牽制する一番忙しい時間だ。そんな時、このメールは届いた。
英語の言い回しが少々気になるがここはベルギー。嘆願は認められ、大学院のコースを続けられることとなった。とりあえず一安心。良かった。当然の結果だとも思った。よくも悪くも大学院の勉強にまた向き合うことになったのだ。喜んでばかりではいられない。たいした準備も出来ぬまま修論に向かわざる負えなくなったのだ。
今週は授業に二つ出た。続けられるとわかると授業にも気合いが入る。新しい学びは楽しい。マテリアルカルチャーと都市人類学の授業だ。選択になかったら絶対に選ばないテーマではある。人類学は本当に幅広いので教授が研究しているテーマが授業になることが多く、それは新しい出会いにもなる。1年目に映像人類学の必修をとったことがきっかけでドキュメンタリーや映像作りに興味を持ち自分でもつくれるかもと自信が持てた。
幸い筆記試験はもうない。これからはひたすらエッセイや口頭試験、修論の準備と執筆だ。もし落ちていたら、のんびりオランダ語に向き合いたまに友人達を招いたり、お茶したりという生活はもう送れないだろう。それはきっと幸せなことなのだ。授業が始まるまで何人かの友人と話す機会があり、子育てはもちろん大切だけど自分のための時間を意識的に持たなくてはならないと改めて認識したからだ。自分自信がまず幸せにならなければならない。アドラーもそう言っているし。あ、エーリッヒ・フロムでした。
先日は試験用にノートを貸してくれたベルギー人の友人にもお礼がてらコーヒーを奢りカフェで一息。多くはないがこういった友人の支えがなければわたしは勉強を続けて来られなかっただろう。これからの進め方についても相談に乗ってくれた。修論も書けるかわからない、と弱音を吐いていたら、絶対できるよと励ましてくれた。
「できたらそれ、後で日本語でも書きなよ。アカデミックでなくてもいいから。」と言われたので「大学からイギリスで日本語でそういった文章書いたことないんだ。」と返したら「高校卒業してからずっと海外で学んでるの?すごいね。」と心底驚かれた。確かに留学経験がある人や帰国子女はたくさんいるが、高等教育すべて海外という人は珍しいのかもしれない。そんな事考えてみたこともなかった。
これからも自分だけの道を歩み続けなければならない。それは辛くもあるが、幸福でもあるのである。