補習校に思うこと
補習校という言葉を初めて聞いたのは多分高校1年生の時だ。帰国子女が多く英語だけでなくその他の外国語にも力を入れている倍率の高い公立校に、ぎりぎりで受かってしまったのだ。校則も制服もなく荷物はロッカールームに入れる、まるでアメリカのハイスクールのような学校には当たり前のように帰国子女がクラスに3分の1程度いた。ヨーロッパやアメリカ、その他アジアなど多種多様な国に住んでいたという話を聞くのは、もしかして一番のカルチャーショックだったのかもしれない。そこで初めて聞いた言葉が「補習校」だったのだ。ドイツに住んでいた友人も土曜日に通っていた。どうやら現地の学校に通いながら日本の学校に通う事もできるらしい。もし将来子どもができて海外に住んでいたら通わせようと軽い気持ちで思った。まさかそれが現実になるとは思いもせずに。
長男が通うブリュッセル日本人学校は平日の日本人学校と土曜日のみの補習校が校舎を共有する世界でも珍しいタイプらしい。入った瞬間に日本の小学校に踏み入れたような懐かしい感覚がよみがえる不思議な場所だ。土曜日のみだが意外とイベントも盛んで春に運動会、秋に文化祭、冬には餅つき大会と保護者の活動も活発で学校という教育機関を超えた一つのコミュニティを形成しているようだ。その分親子ともども負担は大きく金銭的なこともあり、入学を選ばない現地在住者も少なくはない。子どもの意志といっても小学校一年生という幼い年齢で純粋に自分の意志で何かを選ぶことはとても難しい。そして国際結婚現地在住組にとって途中年度から通わせることは日本語能力的にも難しいので、この段階で入らないと補習校に通わない人生を選ぶことになる。
補習校に通わせる代わりに夏休みに長期日本に帰り現地学校に短期入れる家族もいる。補習校に通わせながら毎年日本に帰る過程もいれば、数年帰らず補習校にも入れず日本語自体ほとんど話さない家庭もある。一言にベルギー日本人在住者といっても日本語学習や日本との関わり方はあまりにも多様である。そしてこれはどれが正しいとか望ましいとかの話ではなく、親自身、子ども自身で選ばなくてはならずそれは決して簡単なものではない。
子どもに日本語を学ぶことや補習校に通わせることを押し付けたくない。と多くの親が共通して思っている。幸い宿題を除けば我が子も含め楽しく通っている子ども達が多いとも聞く。ただ、この補習校で感じるノスタルジーに時々泣きたくなる時があるのだ。日本が大好きで嫌々海外に出てきたわけでもないのに、何故こんなに懐かしく無償に涙ぐむ瞬間があるのだろう。そんな何かを補習校は持っていて、日本語をどの程度学ぶかはもはや問題ではなくそういった環境でできた仲間と共有する時間を子ども達も将来懐かしく感じるのではないか。そういって受け継がれた何かがここに宿ってる気がして、少々気まずくて少々離れがたい。
秋の木漏れ日がさす校庭にはたくさんの子ども達が日本語やフランス語やオランダ語でふざけあい語り合いながら走りまわっている。近くには駄菓子屋のような小さい日本のお店があり、お菓子や軽食や日本食材を所せましと置いている。ここはまるでベルギーではなくてどこか日本の小さい地方都市のようだ。この学校に通った記憶はないのに懐かしく、子ども達にたくさん語り掛けたくなる。そんな不思議な感覚を補習校はわたしに与えてくれる。