生まれ育って約40年。大好きな地元を盛り上げる地域づくりワーママが描く、愛媛県の未来 〈狩江地域づくり組織「かりとりもさくの会」〉
生まれ育った狩江地区を盛り上げる!その使命を背負い、家業から転身
愛媛県西予市明浜町狩江。石灰岩を積んだ段々畑と穏やかな海に囲まれた自然豊かなこの地で、地域任用職員として活躍する二宮祥子さん。代々真珠養殖場を営んできたご実家で役員として事業を切り盛りする中、2年前に任用職員として白羽の矢が立った。この仕事に就いた一番の理由は、「生まれ育った狩江地区を私が何とかしたい」という想い。地域の良さを知ってもらい、移住者を増やすためにはどうしたらいいのか。模索する日々の中、彼女はどんな未来を描いているのだろうか。
実家の経営危機と地域への課題意識。重なる転機がもたらした新たな道
二宮さんが地域任用職員に着任したのは2020年のこと。それまでは50年以上続く老舗の真珠養殖場を経営するご実家でご主人とともに役員として事業を切り盛りしていた。しかし、2018年に転機が訪れる。ある時から真珠の母貝が育たたなくなり、大量変死してしまう事態が起こったのだ。その結果、真珠の養殖量が通常の半分以下となり経営が危ぶまれることとなった。
「気候変動による影響で、日本は真珠が育ちづらい環境になってしまったんです。最初は理由も分からず『何故だろう・・・?』と頭を抱えるばかりで。でも、どうにかしないといけない。従業員をたくさん抱えているので、自分たちが辞めて他で働けば、従業員は辞めなくて済むのではないかと考えていました。」
人生は不思議なもので、変化が1つ訪れると次々と転機がやってくるというが、二宮さんも人生の岐路に立たされる中、思いもよらない誘いがあった。それは、自身が手がける子育てサークル『かりとりもさくの会』のメンバーとして地域づくりの会議に参加していた際に、地域任用職員への打診があったのだ。はじめはまったくやる気がなかったため断っていたが、ある協議会への参加をきっかけに自分の中で気持ちが変わりはじめた。
「当時の会議メンバーは自分の子どもたちに対し、『東京へ出て働け』、『この街を出て自立しろ』と、街を出ていくことを進めている人が多くて。でも、そういう人たちほど人口減少問題に不安を感じ、文句を言うんです。そんな姿に違和感を持ちました。」
二宮さんの家族は全員この狩江地区に住み、幼い頃から”この地域に還元しなさい”という教えのもと育った。この地域での生活を自ら選んでいる彼女はモヤモヤした気持ちを抱えながら会議に参加ししていた。その時ふと、「任用職員になってみないか?」という言葉が蘇ってきたのだ。
「自分が活動することで、地域づくりに対して後ろ向きな考えも、少しは払拭できるかもしれない。」
実家の養殖業も事業の整理がついたことで軌道に乗り、人手がいらなくなったこともあったため、2〜3年を前提に地域人用職員を引き受けることに決めた。
ミッションが突き動かす。大好きな地元への想いと比例する行動量
地域任用職員として活動をはじめて、もうすぐ3年が経とうとしている。基礎型交付金(地域活性のために自由に使えるお金)の使い道を考え企画し、会計・報告するというのが規定上決められた仕事だが、「狩江地区に移住者を増やす」というミッションを持つ二宮さんの働きぶりは、遥かにそれを超えている。
最近では「田舎体験プログラム」が徐々に浸透しつつあり、東京や他県からの修学旅行生や教育旅行の学生が訪れる機会が著しく増えたという。受け入れの事務手続きから体験プログラムのアテンド、行政への報告に加え、時には複数名の修学旅行生を自宅に宿泊させ、この地域での衣食住を体験させる。
多岐に渡る業務に加え、2人の娘を持つ二宮さんは母親業も兼務しながらとにかく毎日大忙しだ。話を聞いただけでも目が回るようなスケジュールに、二宮さんも「大変です」と言うものの、その表情はイキイキと充実感にあふれている。この原動力はどこから来るものなのか。二宮さんに尋ねてみた。
「とにかく、この地域の良さを知ってもらいたいんです。地域づくりに関わった先代たちも同じ想いで、かつては音楽祭やお祭りツアーをやっていました。電飾も音響も自前で用意して、みかんキャリーを椅子替わりにする、手作り感満載な音楽フェスなんですけどね(笑)。各自が役割を持って、この地域を盛り上げていたんです。だから私も、その一翼を担いたいという気持ちが強くあります。」
狩江地区では今でも住人の協力体制は厚く、移住者を増やす活動に積極的に関わっているという。二宮さんと同じく、この地域を愛してやまない人たちが集まっている証拠だろう。
地域づくりはソフト事業。現代の人間関係の希薄化を受け止め、地域活性に活かす
住人の協力も得て順風満帆に地域づくりが進んでいるかと思いきや、まだまだ理想通りには進んでいないと話す二宮さん。それは、地域づくりがソフト事業であり、目に見える成果がわかりづらいからだ。イベントを実施し、それに伴いどれくらいの人がこの地域に訪れ、移住したいと思ったのか。そういった人の感情や意思は見えづらいため、どれだけ移住者を増やせるかが成果であり、この増加数で結果を出さなければならない。実家の経営を見ていただけに、地域での活動成果も数字ありきで考える癖がついている。
結果として、移住者を増やす取り組みがはじまって約2年半の間に13人が移住してきた。昨年は過去最高人数だったという。この成果の要因はどこにあるのだろうか。
「実際に狩江地区に住んでみて、この地域に溶け込めるのか?年を取っても暮らせるのか?を体験してもらうことが大切。地域の良さ、人の良さを感じてもらい、不安要素を取り除いてあげることが移住者を増やす鍵だと考えます。他県から来た方々がこの地域の人に触れると、その優しさ、温かさに感動するんです。中には泣いてしまう人もいるくらい。そんな狩江地区の良さをもっと活かしていきたいです。」
穏やかな気候、豊かな自然という環境面だけでなく、この地域の最大の武器である”人の温かさ”に触れる機会を積極的に取り入れていこうと考えている。人間関係が希薄になりつつある現代。人間の大切な心の部分を育てる役割が、地域の交流で培われているのだろう。
夢は大きく!人脈づくりと経験を積み、将来の夢実現に向け日々邁進
生まれ育ったこの地域に還元するために、自分の任された役割を全うしたいと、終始力強く語る二宮さんには、実は密かに抱いている大きな夢がある。
「若い頃から地域に児童養護施設を建てたいという想いがありました。でもそれは50歳くらいにできたらいいなという感覚です。今は横のつながりを増やしながら、人材集めや自分の経験を積む時期だと思っています。2人の娘を20歳まで育て上げたら、まずは里親として子どもを1人預かりたいと考えています。」
将来の夢をイキイキと話す二宮さんの瞳には一切の曇りはない。その夢の実現に向けて、今は役割上の仕事だけではなく、地域で起業し、人との関わりを大切にしたいと語る。
「地域に住む人達の温かさを知ることができるきっかけを作ること。そこから『この地域に住んでみたい』という人を増やしていくのが目標。そして、私のような地域づくりを行う職業が認められれば、もっと地方が活性化すると考えています。」
地方創生は新しい転換期を迎えている。二宮さん自身の目標達成が、次世代における地方活性事業のヒントになっていくだろう。