OLとインフルエンサー、1児の母。3人の私を支えてくれた、子育てへの理解がある環境 〈株式会社プラスカラー〉
超未熟児での出産という大転機を経て改めて見つめ直した、自分らしい働き方・生き方
人気インフルエンサーとして活躍する傍ら、株式会社プラスカラー(以下、プラスカラー)で「NOZOKIMI-ノゾキミ-(以下、ノゾキミ)」の運営メンバーとして働く宮崎真梨子さん。
1児の母である宮崎さんだが、長男は当時22週4日515gという超未熟児で産声をあげた。 愛する我が子が障害児になるかもしれない不安を抱えつつも、”前向きに自分らしく、母として強く生きることが息子のためにもなる”と考え、家族の支えもあり現在は子育てをしながらプラスカラーでの仕事とインフルエンサーを両立し、現代のロールモデルとなる生き方を貫いている。
現在、宮崎さんはプラスカラーにて女性社員のインタビュー記事を通して企業の採用広報活動を支援するノゾキミの運営やSNSマーケティング業務に携わっている。 「学生の頃も、今も変わらず安定志向」と語る彼女だが、ファーストキャリアの選択、人生計画が変わるような転機から現在に至るまでにはどんな選択があり、どんな葛藤の末のチャレンジなのかたずねてみた。
社長とは良き友人であり、仕事のパートナー。子育てに奮闘する女性経営者ならではの、理解ある環境
現在、宮崎さんらしいスタイルで働けているのは、読者モデル時代に代表取締役を務める佐久間さんに出会ったことだという。 宮崎さんはかつて新卒で入社した企業でシステムエンジニアとして働いていた経験がある。 ノゾキミの運営に力を入れ始めたタイミングにちょうど友人であった佐久間から「平日数時間だけ業務を手伝ってくれる人を探しているけど、興味ない?」と声がかかった。
「実は当時、まだタイミング的に子供も小さかったこともあり、働く予定はなかったため正直即答は出来ず、返事を迷っていました。 しかし、声をかけてくれた佐久間さんはたまたま同い年であり、半年違いの先輩ママ。子育てしながら働いている彼女を見て、社長が子育てしながらの環境であれば私にも出来るかもしれない。また、インフルエンサーの活動も並行したいと相談したら快く了承してくれたため、プラスカラーで働くことを決めました。」
現在は週に2回、相談の上決まった13時~17時というスケジュールで出社している。 3歳のお子さんは両親に預けることも多いが、時々子供を連れて出社することもあり、そんな時は業務中も横に座って宮崎さんの隣で過ごしているそうだ。
「『出社時間は13時から17時、場合によっては子どもを連れて出社できる』と、友人に話すと本当に驚かれます。女性が働きやすい工夫をしている会社もありますが、まだまだ世間には浸透していないのだなと感じますね。私は良い環境に迎え入れてもらいました。」
プラスカラーでの仕事をこなしつつ。Instagramを利用したPRなど、インフルエンサーとしても活躍する宮崎さん。「好きなことを仕事にする」人が増える中で、子育てとの両立をしながらも会社に務め続けるのには、彼女なりの仕事観があった。
会社勤めとインフルエンサー。どちらも経験したから分かる、仕事のありがたみ
宮崎さんが就職活動をしていたのは、「就職氷河期」があけた頃。安定志向な性格も相まって、「長く働ける会社」を探していたという。
新卒で入社したのは、建築材料を扱う会社のシステムエンジニア職。給料や残業時間などの条件の良さに加え、宮崎さんが魅力に感じたのは、女性として働くことの可能性だった。
「建築という男性社会をイメージしがちな業界で、女性社員が中心となり採用を行っていたんです。その様子をみて、ここなら結婚や出産を経ても働けるかもしれないと可能性を感じました。」
仕事と趣味のダンスを両立させ、6年ほど充実した生活を送っていた宮崎さんに、転機が訪れる。
アメーバブログが流行していた頃、軽い気持ちで始めたところ注目を集めるようになり、VOCEの読者モデルとして活動を始めたのだ。
「まだインフルエンサーマーケティングという言葉もなかった時代、『どうしたら一般人のブログが読まれるだろう?』と地道に投稿していたら、いつのまにか趣味が仕事に繋がるようになっていました。」
華やかな世界に足を踏み入れる一方で、一般企業での仕事も続けていた。近年は趣味を仕事にする選択も増えたが、宮崎さんはモデル業を仕事にしようとは全く思わなかったという。
「声をかけていただけるのはありがたいこと。楽しくお仕事をさせてもらいましたが、同時に長く続く仕事ではないとも思っていました。だからこそ、きちんと一般企業で働くことも続けていました。」
出産・産後は想定外の連続。「働きたい」気持ちを後押ししてくれた周囲の理解
インフルエンサーの活動が増え、副業が可能な会社に転職したものの、会社勤めは続けていた宮崎さん。結婚・出産後も働き続けると当たり前のように思っていたが、長男の出産後、考えを変える出来事があった。
我が子とともに退院する日、長男が通常の1/6ほどである515gの超未熟児で生まれたため、「幼稚園に入園できる年齢になるまでは、お母さんがそばで面倒をみてあげるのが1番いいと思いますよ」と担当医から告げられた。
「出産を経ても働き続けたいと考えていたので、少しは迷いもありました。しかし、最終的にはアドバイス通り、私がそばにいてあげたいと思ったんです。」
「長男が幼稚園に入れる年齢になったら働く」と、舵を切り直した宮崎さん。ところが、予定より1年ほど早いタイミングで、佐久間さんに声をかけられることになる。
佐久間さん自身も母親であり、子育てへの理解があったこと、そして母のサポートを得られたことで、宮崎さんは仕事復帰への第一歩を踏み出すことになる。
「まだ長男を自宅でみていたため、佐久間さんから声をかけられており、仕事を再開しようとしていることを母に相談しました。そのときに、母が後押ししてくれたおかげで復帰できたので、本当に周囲に恵まれていると感じています。」
宮崎さんが外出しようとすると泣いていた長男も、最近では「ママ、仕事に行ってくるね」と声をかけると理解するようになった。時折オフィスに顔をだしては、メンバーに可愛がられる日々が続いている。
初めて目にみえた自分の成果。小さな会社ならではの仕事のやりがいと理想の将来像
プラスカラーで働き始めて、もうすぐ1年。以前働いていた会社とは違う、小規模な会社ならではのやりがいを感じているという。
「前職は会社の規模が大きく、自分の仕事が誰のどんな役に立っているのか想像しづらいこともありました。一方で、プラスカラーの仕事は自分が動かなければまわっていかない。自分が運営に携わっているという責任を感じています。」
一企業で働く姿勢も、インフルエンサーとしての仕事観と変わらない。ご縁があって声をかけてもらった、一員として迎え入れてもらったからには、成果で応えたいと語る。
今年の春には、かつて復職のタイミングと考えていた長男の入園を控えている。日々の時間の使い方も、働き方も変わることが予想されるが、長男の成長に合わせて、相談しながら働き続けたいと考えているという。
ひとりの女性・母親としての理想を尋ねると、「親として子どもにできることは、きちんと大学を卒業するまで育て上げること。親の務めを果たしつつ、働き続ける女性でありたい」という答えが返ってきた。
「外に出て働くほうが性に合っているという理由もありますが、私自身が、仕事と育児の両立をしている女性を魅力的だと感じるんです。仕事も趣味もあきらめず、輝く女性であり続けることが理想です。」