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親友のこと

HeroMakersに参加したときに、「哀」について思い出して共有する機会があった。その後も、この件について引き出しが開いて、自分のやりたいことに1つの欠片はこの件によるもんなんだろうと感じたので、ちょっと書いておきます。忘れないためにも。ここで文字にしておこうと。

やっぱり、この感情は忘れてはいけないし、これからも大切に抱えていくボクの宝物。

大親友なヤツ

中高一貫校育ちだったので、長い付き合いの友達がおります(高知に移住したもんだから、みなさんと疎遠ですけど)。そんな中でも、ボクといつもセットでいたと思ってもらえてる親友がおりました。変に熱血感のあったヤツが。

高校卒業してから、大学進学して、ボクは講師したり予備校講師をしたりして、ノホホンな生活をしてました。彼は大学院を卒業して、新卒で某企業に勤めることになって、新規事業である実験教室に配属って流れになって。んでもって、彼は人を理科の詳しいヤツを探していて、白羽の矢をくれたわけ。

そのあと、joinすることになって、同僚として働いてました。気が合うし、ちょっと無理しちゃったりして叱られたりもしたけど、気の知れた彼がいたからシンドイことも向き合えたのかなと。戦友っていってもいいぐらい。彼がいてくれたからこそ、続けてこれた部分は多きかった。

軽い感じでの重たい報告

企業に勤めてたら、健康診断とかあるわけで、彼はその何かの数値が異常値だったわけです。で、他にもちょっと変だなーってところがあったみたいで、「上司に、『明日病院行ってこい』って言われたから行ってくるわー」って感じだった。

で、次の日、休みの彼から仕事場に外線が掛かってきて、唐突に「いま、病院。緊急入院しなきゃいけなくなった。あとよろしくー」みたいな感じ。たぶん、上司への連絡より先に電話くれたんだと思う。頼りにしてたのにさ。心にポッカリ空いちゃったんだけど、まぁ、なんとかやりくりしてた。

で、しばらくして、彼の受け持ってた教室へ異動してってことになって、(そいうえば、そのときの上司に、彼の後はボクにし教室任せられないって言われたっけ)彼の幻影と戦う毎日。(胸やけするぐらい)熱い彼だったので、子どもたちからも保護者からも信頼が厚いわけで。とにかく、対話して「彼とは違うけど、意志は同じ方向のボク」を理解してもらうのに必死だったかな。でも、今思えば辞めちゃった子もいたんだろうな。最低限での信頼は得られたと思うけど。

キミとの関わり方は変えられないよ

で、2年ぐらい経過して、だいぶいい方向に向かってきた様子だったので、入院先に押し掛けることに。(それまで1度もお見舞いに行ってなかったな。なんでだろ。)あえて彼の31歳の誕生日に。

「アラサー男子が誕生日に押し掛けてごめんよー」って感じで、男子校のころを思い出してどーしよーもない話をしてたり、震災の後だったから、病院すげー揺れたんだよね?どうだったん?とか不謹慎とか言われちゃうようなことも話してたっけ。あっというま。2時間ぐらい、ただただ話してた。

退院できそうってことだったから、退院してきたら教室に来て2人で子どもたちの前に立ってサプライズしないとねーって軽い気持ちで言ってた。実際に夏には退院して、スタッフには会いに来てくれたし。

でも、急に再発して、秋口には悪化してさ。で、もうこれはダメかもって連絡がきて、最後に会いに来てほしいって連絡があって、職場のメンツで押し掛けて、「うーん・・・」ってうなずくしかできなくなってる彼のを握りながら「キミのいた教室で実習してからきたでー。で、オレの手じゃなくて、かわいい後輩の柔らかい手がいいじゃろ?」って。ちょっと笑ってくれたよね。ボクはそう今でも信じてる。記憶の中で覚えてる彼に伝えた最後の言葉がこれ。こんなこと言い合えるのも、これが最後なんだろうなって覚悟してたし、いつもそんな感じだったじゃん。しみったれた言葉なんて掛けたくなかったよ。これまで通り、いつもの通りいさせてよ。だから「最後のわがまま、許して」って。

その1週間後

土曜日だったかな。ホントは有給休暇とる予定だったんだよ。同級生の結婚式に列席するためにさ。ほかのメンバーの関係もあって、どうしても午前だけ実験教室の実習に行くことになった土曜日。しかも、彼が最初にいた教室での実習だったんだよね。

朝8時半から勤務。その前に朝マックしてた8時ごろ、彼のお父さんから訃報のメール。夜中に息を引き取ったってさ。でもね、不思議と涙が出なかったんだよ。出せなかったのかもしんない。教室にどうやって歩いたのかは覚えてない。気づいたら教室で白衣を着てた。彼のこと知ってるスタッフがいたから悲しい顔なんてできないし、この件は今日が終わってから伝えようって上司に電話で相談して、何もなかったかのように実習してた。

「キミならできるよね」ってことなんでしょ。いわゆる試練ってやつなんでしょ、知ってたよ。だからやってた。

そのあと、同級生の披露宴の余興で歌ってたし、二次会の乾杯の挨拶もしてた。涙なんか流さずに。流せずに。一週間前の「ボクの最後のわがまま」に対しての、とてつもなくでっかいお返しを最後にくれたんでしょ。

二次会のあとのことはよく覚えてない。帰りの電車の中から、次の日までの記憶はあんまりない。

次の日も実習があった気がする。彼が立ち上げた教室で。スタッフは朝から泣きそうだったけど「彼はそんなやつじゃないからさ」って気持ちを押し殺してさ。いつものように、平然と、ボクはボクらしく、あのスタンスの実習を提供してた。

一方的な対話

で、先に彼の待ってるところに行かせてもらって、長い時間、ボクから一方的に話してたっけ。闘病中の話なんて1つも教えてくれなかったから、彼の家族からいろいろ聞かせてもらったよ。ずるいよね。でも、カッコつけてたからそれでよかったのか。思い返せばいつもカッコつけだったよね。病気のことを伝えるのかも、その姿を見せるのかも、どうしたらいいのかって葛藤してたんだよね。

でもさ、高校時代の部活仲間やら友人たちやらに急に声かけることになったんで、怒られんのボクなんで。「なんで教えてくれなかったのさ、お前は知ってたろ?!」って。確かに病気のことは知ってたけど、ボクもあんまし教えてもらってなかったんだよね。今思い返せば、あれズルいって。

毎年、思い出しては少し涙して、「あー、声が聴きたいなー」とか「すげー愚痴言いたいんだけど」って思ってて、タイミングがあうと夢の中に出てきてくれるんだよね。最近出てこないんだけどさ。不思議と声が思い出せるんだよね。なんでだろう。

「やる」ってことだよね

で、HeroMakersに参加して「哀」のトピックスで思い出しちゃったわけ。彼のやってた保護者との距離感とか思い出しちゃうわけ。

ホント、いいやつだよな。これをやれってことでしょ。子どもの学ぶ環境を整えるためにも保護者ともコミュニケーション取れってことでしょ。あんときから笑い話で「2人で、寺子屋みたいなの作りたいよね」って言ってたもんね。あのニュアンスって、彼らの学べる環境を作りたいってことでしょ。

遅くなったけどさ、やっと思い出せたんだよね。あのとき、2人で学校の外から見てた「学びの環境の足りてないなー」って感じた部分を補うもの指摘してたよね。だいぶ遅れちゃったんだけどさ、ちょっとずつだけどやっていくよ。保護者も含めて子どもを学びにつなげていく感じ。

忘れてたわけじゃないんだけどね。いや、学校にいたから忘れようとしてたのかもしんないけど。子どものこと全力で考えてた彼が大切にしてきたこと。ボクもきっとそれを大切にしたいってこと。それをもう一度認識しておくね。

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