ゲーセンで学ぶ楽しさ
こんばんは。正月から頭を使い過ぎてしんどくなってるようで、夕方寝落ちしてましたが何か。「ゲームで学びとは何事か」とか「ゲームセンターなんて」とか言う教育界隈のことがいることは知ってますが、見てきた感想というか、感覚というか。まとめておく。
息子に連れられ音ゲー
息子が、このごろゲーム実況で音ゲーを見てるんですよ。楽しいらしい。音楽を聴くのが好きらしいし。で、最近になって「やってみたい」と。ほう。
ほう、なんだこのゲームは。どうやって、遊ぶのだ?と思ったら、最近のゲーセンのゲームはチュートリアルとかしてくれんのね。あと、遊び方の動画もある。
それより、なにより、ゲーム実況者がプレイ動画を上げてるのか。だから、「マネをしたくなる→やってみる→どうしたら上達するか」があるわけだな。これって、学びじゃないか。。。
「やってみたい!」って、何かを吸収する第一歩なんですよね。最近においては、動画から得られることが多いわけで。「外遊び」とか「スポーツ」とか、年代を越えてわかりやすいものだけじゃなく、子どものやりたいは無数に存在するわけで。
「そんなことやっても意味が無い!」とか暴論をぶつけてくる方が「教育」とかいう界隈に少なくないんですが、ボクからしてみたら「スポーツやってて、プロスポーツ選手にでもなるんすか?」と。全員は無理でしょ。「将来スポーツを楽しむってことも・・・」みたいな切り替えしする人もいるけど、だったら勝ち負けにこだわらなくてもよくない?みたいな。
あと、運動が得意じゃないヤツもいるんだから。ゲームっていう「大人っていきものが認めてこなかったこと」に長ける能力をもった人もいるんですよ。いまは、動画を配信できちゃうんで、同じ思いの人たちと繋がれちゃうんし、共感できちゃう・されちゃう時代なんですよね。
プログラミングにいたっても、大人(ってまとめたくないけど)は理解できないヤツを、子ども世代がドンドン理解して成長できちゃうんです。ゲームってやつも、ドンドン成長できちゃうんです。
まあ、やってみる
というか、よくわからんまま、このゲームやってみてと。
やり方すらわからんけど、チュートリアルやってみて、
実際にプレイしてみた。うん、面白い。頭使った。こーゆーこと(のほう)が成長に大切なんじゃないだろうかと。ゲームで自己実現しやすい人もいるし、頭を使いやすい人もいるし。工夫の要素は多いんだろうなと。
ゲームすることへの考察
ゲーム依存になったらどーすんだー。みたいに言われる方もいるとは思いますが、この2つのゲームに関しては、長時間プレイできない。小一時間続けられるんなら、ある意味「体力づくり」につながります。頭とカラダをだいぶ使うんで、人間ピラミッドみたいなことやってるよりは十分教育的なんじゃないのかと感じましたよ。
ここまで、できたら、スゲー楽しいんだろうなって。これ、できるやつをジャマしちゃダメだと思う。思う存分やってみたら、何かをつかめると思うんだよね。
取り組んで、自己レポートまとめて、振り返って、考察して、次にどうしたらいいのか見当してたら、学びのサイクルを回せる気がする。いわゆる教科教育でもできるんだろうけどさ。こっちの方がサイクル回すのは楽しいよね。レポートをその場でスマホなりタブレットなりで作成して、アップロードして、大人が評価するほうが、ボーっと教室で黒板を写しているよりは頭を使うと思うけど。これって、未来の学び方じゃないのかね。というか、ちゃんと学びにデザインしたら、すぐさま子どもたちはやれちゃうやつじゃないのかなと。
というわけで、単純にゲームすることを否定してはいけないと感じた正月のひと時でした。
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