『光る君へ』と百人一首の人たち~儀同三司母
「忘れないよ」
忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな
ーー「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先ずっと変わらないことは難しいので、あなたがそのお言葉をくださった今日、最高に幸せな気持ちのまま、わたしは死んでしまいたい。
「忘れじ」は、そのまま訳すと「忘れないよ」となるのだけど、恋愛の場面で〈忘れる〉〈忘れない〉とは、どういうことでしょうか。
百人一首に「忘らるる身をば思はず 誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(あなたに忘れられる私のことはいいの。あの時、君を忘れないよと神に誓ったあなたの命が、神罰をうけて失われるかもしれない、それが心配だわ)という右近の歌があります。心変わりした相手を、呪っているのか、本気で心配しているのか、いまでも解釈の分かれる歌です。『源氏物語』でも、紫の上にこの歌の一節をチクリと口にさせていて、紫式部が活躍したころも、右近の歌は人気があったことがわかります。
つまり、恋の歌で「忘れる」「忘れられる」というのは、完全に恋が終わってしまうことを意味するようです。
そういえば、昭和の時代にも、中島みゆきが歌っています。
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恨んでいられるうちはいいわ
忘れられたら生きてはいけない
中島みゆき「かなしみ笑い」
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「恨んでいられる」は、音の数をそろえるためか、ちょっと不自然な表現ですが、次の「忘れられたら」と対句の関係なので、「恨んでいられる」も受身表現、つまり、〈あなたに恨まれているうちはまだいい、完全に忘れられてしまったら生きてはいけない〉という意味でしょう。恨まれるより、忘れられるほうがつらいと。
「忘れじ(=忘れないよ)」という言葉がとてもうれしいのは、〈これからも、ずっと君のことを愛しつづけるよ〉という意味だからなのです。
藤原道隆と高階貴子
そんな甘い言葉をささやいたのは、中関白、藤原道隆。ささやかれたのは、高階貴子でした。
「忘れじの」の歌は、新古今集(恋三・一一四九)に採られています。
中関白かよひそめ侍りけるころ
儀同三司母
わすれじのゆくすゑまではかたければ けふをかぎりの命ともがな
藤原道隆は、兼家の嫡男。道兼、道長の兄です。
高階貴子は漢学者の高階成忠の娘。円融天皇にお仕えし「高内侍」と呼ばれました。『大鏡』に、「本格的な漢学の実力があり、帝の御前で作文会が催されるときには、漢詩を作ってお目にかけたということです。並の男よりも優れているとの評判でした(それはまことしき文者にて、御前の作文には、文奉られしはとよ。少々の男にはまさりてこそ聞こえはべりしか)」とあります。『栄花物語』には、漢学の実力を認められて、帝にお仕えする内侍になったとあって、当時の〈キャリアウーマン〉でした。
『光る君へ』では、このあと兼家が関白になり、次に、道隆が関白になります。道隆と貴子のあいだには、定子、伊周、隆家たちが生まれ、定子が一条天皇に入内。清少納言が活躍する、定子サロンの華やいだ知的な雰囲気が、帝や公卿たちをひきつけました。
貴子さんは『枕草子』にも登場しますが、この方の力が、内侍としての実務経験も含めて、定子サロンの華やぎに一役買っていることは、間違いないでしょう。
『光る君へ』では、とても仲睦まじいお二人ですね。中関白家を盛りたてる同志といった関係性もいい感じ。
公開プロポーズ
大臣家の嫡男ともなれば、愛の告白も公開で。そしてお返事も公開されます。気が抜けません。
忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな
プロポーズのお返事として詠まれた、この歌を分析してみましょう。
まず、プロポーズを受け入れます、OK!と伝えています。今すぐ死んでしまいたいぐらい幸せ、と詠んでいるので。
スパイスが効いているなぁと思うのは、「あなたの愛が永遠に続くはずもないから(今の幸せな気持ちのまま死んでしまいたい)」と条件がついていることです。私を捨てないでねというメッセージが隠れています。
愛を力に、自らの人生を切り開いていく姿勢が好き!愛にすがるだけでは生きていけないのだよ。