『平家物語』をさらっと読んでみましょう 実盛(巻7)
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『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。
ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。
敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。
原則として、登場人物の名前は実名にしました。
会話が続くときは、〇〇:「 」のように整えました。
話を小分けにして、小見出しをつけました。
実盛
味方の逃げ道を確保する
また武蔵国の住人長井斎藤別当実盛は、味方は みな逃げていくけれども、ただ一騎で引き返しては戦い、引き返しては戦いして敵を防いだ。心に決めていることがあったので、赤地の錦の直垂に萌黄威の鎧を着て、鍬形を打ち付けた甲の緒を締め、金作りの太刀をさし、切斑の矢を背負い、滋籐の弓を持って、連銭葦毛の馬に黄覆輪の鞍を置いて乗っていた。
義仲方から、手塚太郎光盛がよい敵と目を付け、
手塚:「ああ、けなげなことよ。いったいどなたが、味方の軍勢はみんな逃げたのに、ただ一騎残っていらっしゃるのか、実に感心だ。名のってください」
と言葉をかけたところ、
実盛:「そういうあなたは誰か」
手塚:「信濃国の 住人手塚太郎金刺光盛」
と名のった。
実盛:「それなら互いによい敵だ。ただし、そなたを軽くみるのではない、心に決めていることがあるので名のらない。寄れ、組もう、手塚」
と言って、馬を並べるところに、手塚の郎等が遅ればせに駆けてきて、主を討たせまいと中に割って入り、実盛にむずと組む。
実盛:「なんとまあ、おまえは日本一の剛の者と組んでおるぞ、そうれ」
と言って、つかんで引き寄せ、鞍の前輪に押しつけ、頸をかき斬って捨ててしまった。
実盛、死す
手塚は郎等が討たれるのを見て、左にまわって、鎧の草摺を引き上げて2度刀で刺し、弱るところに組んで、ともに馬から落ちる。斉藤実盛、心は勇ましいが、いくさには疲れていた、そのうえ老武者でもあり、手塚の下になってしまった。別の手塚の郎等が遅ればせに出てきたので首を取らせ、義仲の御前に馳せ参じて、
手塚:「わたくし光盛は、不思議なくせ者と組んで討ちとりました。侍かとみましたが(大将軍が着用する)錦の直垂を着ています。大将軍かと見ますと続く軍勢もいません。名のれ、名のれと責めましたが、最後まで名のりません。声は板東武者の声でした」
と言ったところ、
義仲:「なんと、これは斉藤実盛のように見える。それならわしが上野国に越えて行った、幼いころに見たところ、白髪のまじったごま塩頭だったぞ。いまはきっと白髪になっているだろうに、鬢や髭が黒いのは不思議だ。樋口次郎兼光は慣れ親しんで顔見知りだろう。樋口を呼べ」
と言って呼んだ。
樋口次郎はただ一目みて、
樋口:「ああ、痛ましい、斉藤別当実盛です」
義仲:「それなら、今は70歳を越えて、白髪になっているだろうに、鬢や髭が黒いのはどうしてか」
と言えば、樋口次郎兼光は涙をはらはらと流して、
樋口:「さようでございますのでそのわけを申し上げようと思いますが、あまりに悲しくて不覚にも涙がこぼれますぞ。武士はちょっとしたことでも思い出になる言葉を、前もって残しておくべきでございますなあ。斉藤別当実盛は、私に会っていつも話しておりました。『60歳を超えていくさの陣に向かうような時は、鬢や髭を黒く染めて、若やごうと思うのだ。そのわけは、若い者たちと争って先を駆けるのも大人げがない、また、老武者だからといって、他人があなどるのもいまいましい』と言っていましたが、本当に染めていたのですな。洗わせてみてください」
と言ったところ、
義仲:「もっともだ」
と言って、頸を洗わせてみると、白髪になってしまった。
故郷に錦
錦の直垂を着ていた件は、斉藤別当実盛が最後の暇乞いに、平宗盛のもとに参上して言うには、
実盛:「私ひとりが原因ではありませんが、昨年東国に向かいました時、水鳥の羽音に驚いて、矢1本さえ射ないまま、駿河国蒲原から京に逃げ上ってきましたこと、老後の恥辱とはただこのことでございます。こんど北陸に向かったら、討ち死にするつもりです。それについては、私はもとは越前国の者でしたが、近年は領地の武蔵国長井に居住しておりました。もののたとえにありますよね。『故郷には錦を着て帰れ』という言葉があります。錦の直垂を着ることをお許しください」
と言ったところ、
平宗盛:「感心なことを言う」
と言って、錦の直垂の 着用を許したと伝え聞く。昔の朱買臣は錦の袂を会稽山にひるがえし、今の斉藤別当実盛はその名が北陸のちまたで評判になるとか。朽ちることのない空虚な名だけをとどめおいて、亡骸は越路の奥の塵となるのは悲しいものだ。
平家の帰京
去る4月17日、平家が10万余騎で都を出立した時の様子では、正面から立ち向かえるものがいるとは思えなかったのに、今5月下旬に帰京するときには、その軍勢わずかに2万余騎、「流れにいる魚をすべて漁る時は、たくさんの魚を得るが、翌年は魚はいない。林を焼いて狩りをする時は、たくさんの獣を得るが、翌年は獣はいない。後のことを考えて少しは残すべきだったのに」と言う人たちもいたと聞く。
▼原文と現代語訳の対訳