早瀬マサト・著 『サイボーグ009 太平洋の亡霊』を読んで
秋田書店より、2024年8月20日に『サイボーグ009 太平洋の亡霊』のコミックスが発売された。作画は故・石ノ森章太郎のお弟子さんで石森プロスタッフの早瀬マサト氏。懐かしの秋田書店サンデーコミックスの装丁というのが憎い。
『太平洋の亡霊』は、1960年代に放送されたモノクロアニメ版009の第16話として放送されたもので、原作漫画にはないアニメ用のオリジナルエピソードだ。太平洋戦争が終わって久しい頃、戦時中の戦艦やゼロ戦が次々と復活し、それらは戦争で一人息子を失ったマッドサイエンティストの仕業と判明。戦争はもう繰り返さないと憲法に誓いながら、兵器の開発を止めようとしない愚かしい人間へ警鐘を鳴らす物語として、今なお高く評価されている一篇である。
今年、秋田書店『チャンピオンRED』6月号でコミカライズ版の連載が始まり、やがてWEB媒体『チャンピオンクロス』に移行した漫画はずっと追っていたが、完結を見届けるまでは感想を控えようと思っていた。コミックスが出たので触れてみたい。
『太平洋の亡霊』の脚本を手掛けるのは、アニメがまだ”テレビまんが”と呼ばれていた黎明期から現代まで活躍されている大ベテラン・辻真先氏が担当している。『チャンピオンRED』6月号の別冊付録と、今回発売されたコミックス巻末に再録された台本を熟読するとお分かりの通り、放送された物と比較すると台詞回しや描写の細部が随分違う。テレビ放送にあたって、芹川有吾監督が大幅に脚色しているからだ。
漫画版『太平洋の亡霊』制作の発端は、昨年の初夏頃にさかのぼる。このnoteを書いている筆者は、新宿に映画を観に出かけた帰り道、新宿三丁目付近の交差点をフラフラと歩いていた。そこで旧知の早瀬さんに偶然バッタリ会い、やぁやぁお久しぶりと歩道で雑談中、早瀬さんから「来年『サイボーグ009』の60周年なので、実はこういう企画を考えているんだけど…」と打ち明けられたのが『太平洋の亡霊』のコミカライズ。ついては、私が所持している同エピソードの台本を貸してもらえないかという相談だった。そういえばこれより数か月前に早瀬さんに台本をお見せしたことがあったのだ。終活…じゃないけど、いつか自分が老いてコレクションを手放す時、こういうブツは石森プロに寄贈した方が良いのだろうか? とお伺いを立てたので。旧『サイボーグ009』の赤い表紙の台本は、アニメショップや古書店などで結構流通したらしく、所持している人が多いそうだ。漫画家の島崎譲さんもアニメショップで買ったと聞いている。私の手元にある物は、1960年代に現場で使われた原本である。芹川監督の肉筆でビッシリと書き込みがされている。早瀬さんの腹案では、テレビ放送に反映された芹川脚色版ではなく、辻真先さんが書いた原初のシナリオに戻してコミカライズ化しようというものらしい。こんな面白い企画を断る理由がないので、いいですね是非やりましょう! などと無責任なことをその場で言ってしまったが、よく考えたら東映動画(現・東映アニメーション)ほか各部署への面倒な折衝は石森プロが担当するんだから、適当な返事をしちゃアカンよな、反省。
さて、芹川脚色版と辻真先オリジナル版、どれぐらい違うのか? というのは現物を見ると瞬時に分かるのだが、全編の6~7割か、それ以上は芹川監督が書き直した台詞である。以下は長門がサンフランシスコへ向かうシーン29からシーン32まで。イワンとジェットの台詞変更、水平の台詞挿入、張々湖、ジョー、ギルモアの台詞変更など。シーン31はピュンマの台詞直後にギルモアと張々湖の会話を足して、結果的に斜線で塗りつぶして没にしている。他の頁も、だいたいこんな感じで加筆されている。これは辻真先さんの脚本が良くないから書き直したというわけではなく、むしろ演出家として大いに創作意欲を刺激される面白い本だからこそ膨らませたくなったのだろう。
早瀬さんの漫画は、辻真先オリジナル版をベースにしつつも、芹川版の良い部分も拾っている”いいとこ取り”なハイブリッド構成だと思う。
平博士が幼少期の我が子とトンボ採りをする回想は、アニメ版よりも抒情的な夕暮れの光景でコミカライズ版が非常に良いと思う。ゲストキャラクターたちの顔も、全体的に石ノ森タッチの絵になっているので没入感がある。
アニメの平博士は息子を「ゆうたろう」と呼んでいるが、辻真先さんの台本には”青年”としか書かれておらず、固有名詞がない。しかし早瀬さんがTwitterで言及している通り、この箇所には芹川監督の肉筆で「有太郎」と書き込みがあるのだ
台本を読むと分かる通り、平博士は戦死した息子の魂に誘われるようにして倒れ、そのまま息絶える。この有太郎という青年の名の元ネタは、産まれてすぐ亡くなった芹川監督の息子さんだそうで、それを踏まえて読むと不憫な我が子を抱いて泣く平博士の「可哀そうな倅(せがれ)……」も泣ける芝居だ。アニメでは平博士が絶命する瞬間はなくなり、ジョーがドルフィン号でギルモアに「平博士は亡くなりました」と報告するシーンで補完されている。このジョーとギルモアの会話も、芹川監督が書いたものだ。
『太平洋の亡霊』コミカライズのAmazonレビューに「英語を禁じられていた戦時中の特攻兵が親をパパと呼ぶのはおかしい(要約)」と投稿している人がいるが、映画『窓際のトットちゃん』で、トットちゃんが父親をパパと呼んでいる通り、ピアノが買えるほど割と裕福な家庭の子がママ、パパと呼んでいたのは別におかしくない。ましてや有太郎は、父親を連れて行くために戦後に現れた息子なのだ。何といっても60年代に放送されたモノクロ版『009』は、戦争が終わってまだ20年かそこらの番組で、戦時を知っているスタッフが制作しているのだから、テレビまんがといえども現実にそぐわない台詞を芹川監督がキャラに言わせるはずがないと思うのだ。
『サイボーグ009』の生誕60周年を記念して、出版物や配信など活発に行われているが、終戦記念日のある8月に戦争の罪を問う本作がコミカライズとして蘇ったのはとても意義深い。テレビアニメ版では出番がないハインリヒが、全身兵器のサイボーグとして相応の役割を持って出てくる辺りも含め、早瀬さんの練り込みがよく効いた漫画だと思った。巻末の協力スタッフに不肖ワタクシの名が載っていますが、このnoteに書いたような資料協力程度でそんなに大した役割はしていないんですよ。
ところで、『サイボーグ009』旧シリーズの台本は、アニメショップや古書店でそこそこ流通していたらしい、と書いたが、これは放送当時に余分に刷ったものを売ったのか、販売用に作ったものなのかを早瀬さんと話し合ったことがあるので、自分なりの見解としてメモしておこう。
左の表紙は、芹川監督が脚色に使った1960年代の原本、右はマニアショップ駿河屋で売りに出された物の表紙。色合いの差は無視して頂きたい。
「TV漫画映画」のTVの文字、右下の東映の△マークの違い(原本は△がシャープだ)、タイトルロゴの微妙~な差異にご注目。
原本は話数がブランク(空欄)なのだが、世間で流通している物は「第16話」と最初から印刷されている。よって、中身自体は原本から複製したものだろうが、アニメショップなどで販売していた『009』の台本類は”限りなくオリジナルに似せた販売用の複製品”だろうと思う。
『太平洋の亡霊』1968年7月19日放送
■原作:石森章太郎
■音楽:小杉太一郎
■脚本:辻真先
■美術:福本智雄
■作画:上村栄司、鈴木康彦、山口賢裕、鹿島恒保、角田昭一、平村文男、小坂由美、池田由美子
■背景:下川忠海、池田秀雄
■撮影:大泉 裕
■編集:鈴木 寛
■効果:大平紀義
■選曲:宮下 滋
■現像:東映化学工業株式会社
■声の出演:田中雪弥、鈴木弘子、永井一郎、八奈見乗児、曽我町子、千葉順二、石原 良、白石冬美、野田圭一
■作画監督:国保 誠
■演出:芹川有吾
©石森プロ・東映