『風の谷のナウシカ』公開40周年(その1 映画公開編)
1984年に公開された映画『風の谷のナウシカ』が、今年(2024年)の3月で40周年だってね。しょっちゅう金曜ロードショーで観ているから、割と最近の映画かと思っていたよー、アハハ。そんなわけでナウシカのお話。今回も使用する図版類は古い私物ですが、なにしろ年代物なので多少の傷みと汚れは、資料性に免じて見えないフリしてね…(状態が悪い物は綺麗に見えるよう、極力レタッチで修正しております)。
ナウシカの新連載、そしてアニメ化
徳間書店のアニメ雑誌『アニメージュ』81年12月号に「’82年 Big3 いま 翔び立つ!」と題して、翌年から始まる新連載3本が告知された。この中の1本が宮崎駿の漫画『風の谷のナウシカ』。79年公開の『ルパン三世 カリオストロの城』は、期待されたほどの興行成績ではなかったものの、目ざといアニメファンから支持は集めていた。あくまで前年のルパン映画(現在『ルパンVS複製人間』と呼ばれてるアレ)程には当たらなかったというだけ。
『カリオストロ』の興行不振から、なかなか次のチャンスに恵まれなかった宮崎駿のために”原作なしでは企画が通らないというのなら、原作を自分で作ればいいじゃないか”とばかりに、アニメージュ編集部の鈴木敏夫(当時)が漫画連載を持ちかけたのが、アニメ映画化への布石。連載にあたり宮崎は以下のようにコメントしている。
83年7月に「アニメージュコミックスワイド判」として、他の徳間書店のコミックスよりも大きな判型で第1巻が発売。連載分のストックがある程度溜まった時点でアニメ映画化が始動していた。漫画が完結済みの今となっては、「全7巻の原作の第1巻分で映画を作ったのか」と驚くばかりだ。
アニメ製作にあたって宮崎駿が大量のイメージボードを描いた。これがアニメの美術設定、キャラクター設定の下地になっている。
映画公開迫り、徳間書店アニメージュの宣伝は強まる
映画の話題作りに主題歌シングルが発売された。この曲でデビューを飾った安田成美。ここにジャケットを載せたあとで、しまった! 裏面もスキャンすれば良かったと思ってしまったが、安田成美本人の顔写真はジャケット裏側。あくまでも商品の顔はナウシカだった。デビュー当時は、デパートの小さなスペースでサイン会をやっていたが、今じゃ女優復帰がWEBニュースになるぐらいの存在だから、世の中なにがどうなるか分からないものである。
初主演映画は、徳間書店原作の『トロピカルミステリー 青春共和国』、イベントへの出演はアニメージュ絡みと、とにかくナウシカと徳間グループ関係以外では露出がない女の子だったので、あまり売れずに消えるのでは…などと思っていたが、とんねるずの木梨憲武と結婚し、休業と復帰を繰り返しつつも今や女性層から大きな支持を集めている。いやぁ驚いた。
安田成美のデビューシングルは、高畑勲から「映画本編のイメージと離れている」という反対に遭い、主題歌ではなくシンボルテーマソングに変えられたが、予告編とテレビスポットには使用されている。
それにしてもテレビスポットでは広川太一郎、映画予告編は池田昌子と、ナレーターの顔ぶれが馬鹿に豪華ですな。
『ナウシカ』の商品化ライセンスはツクダホビーが獲得し、同社からプラモデルを始めとしたキャラクター商品が数多く発売され始める。このCMにも安田成美のシンボルテーマソングが使用された。
そして3月3日は「ナウシカのひなまつり」と題したイベントが、新宿東口アルタ前で開催された。オリエンテーリングと、島本須美・安田成美両名のサイン会。オリエンテーリングとは、映画のタイトルが書かれたゼッケンを胸部につけて、新宿駅前から3丁目~1丁目の指定場所を巡ってくるもの。要は映画の宣伝をファンにやらせる企画だ。スタンプを集めて出発地点に帰ってくると記念品がもらえた。これ、ゼッケンつけた奴がゾロゾロと同じ敷地内に時間差で集まってくるわけで、近隣住民は迷惑この上ないよね。今じゃ絶対にこんな催しは有りえないだろう。
映画の公開を控え、徳間書店から『風の谷のナウシカ GUID BOOK』が発売された。今までアニメージュ本誌に掲載した高畑勲、宮崎駿らのアニメ制作や自作品に関するロングインタビュー採録のほか、新規の読み物、二馬力のスタジオ現場を描いた漫画など。この本は『ナウシカ』のBlu-rayが発売される2010年にも復刻版が再発売されたほど出来が良い。しかし復刻版はBlu-rayの宣伝の帯が巻かれて、表紙の8割が隠れて見えなかったのだ。
帯付きと帯ナシの両方を載せておこう。
ついに劇場公開!!
かくして映画は84年3月11日に公開された。徳間グループと博報堂の後押しもあって、当時の興行成績は14億を超えた。新型コロナ発生で映画の上映作品が激減した2020年にもシネコンでリバイバル上映されたので、さらに稼いでいるだろう。
映画公開とほぼ同時に発売されたアニメージュ84年4月号は、本編からのカットを大量に掲載。ドロドロに溶けた巨神兵などというクライマックス場面も掲載している。この頃のアニメ雑誌は、現在のようなネタバレ配慮は無く、新作映画のラストシーンも、誰が死亡するかなどの情報も載せてしまうのが当たり前だった。
本作品のアフレコは、84年2月18日~22日の4日間にわたって収録された。下の写真は一日目のキャストの集合写真。そういえばこの映画、家弓家正、永井一郎、吉田理保子、(併映の『名探偵ホームズ』に)信沢三恵子と、宮崎駿の前作『未来少年コナン』から引き続きの出演者が多いのだ。
その後のナウシカ
映画上映終了後も折に触れ、宮崎駿は漫画連載以外でもナウシカのイラストを発表し続けた。
アニメージュ主催「アニメグランプリ」第7回(1984年)の作品部門で『風の谷のナウシカ』がグランプリに輝いた。84年末のアニメージュ本誌の付録カレンダー用に、草むらでくつろぐナウシカを描いている。
同じく84年にアニメージュ付録のカレンダー型データブックの表紙にも、柔らかいラフな線でナウシカ。
「アニメグランプリ」第8回(1985年)には女性キャラクター部門でナウシカが受賞。結果発表を受けて、アニメージュ本誌に宮崎駿がバストショットを描き下ろし。本編よりも若干、目が大きく描かれ、黒目がちな美少女顔になっているのがナイス!
アニメの仕事が多忙になるたびに漫画は休載したが、また連載再開の時にはアニメージュの表紙用に描き下ろしを発表した。
ナウシカを描いてるのは宮崎駿だけじゃねぇぞ、というわけでアニメージュ86年3月号の付録『巨神兵を倒せ!』という文庫サイズのゲームブック。表紙と本文挿絵は、のちに『らんま1/2』『逮捕しちゃうぞ』のキャラクターデザインを担当するアニメーターの中嶋敦子。
余談だが、この別冊付録の出来が良かったからか、翌87年7月に徳間書店アニメージュ文庫より正式な書籍として発売された。その際には本文の挿絵が、ふじたゆきひさ(ゲーム部分)+ふくやまけいこ(ルール説明部分)に変更。表紙は85年アニメグランプリに合わせて宮崎駿が描き下ろしたナウシカのイラストを流用している。
アニメージュ89年3月号には、アメリカンコミック風に吹き出しの中を英語にした冊子「NAUSICCA OF THE VALLEY OF WIND」が付録になったが、その表紙右下に小さく書かれている通り、フランスのデザイナー兼漫画家のメビウス(!)による折り込みポスターが付いているのだ。
やがて制作スタジオのトップクラフト解散によって、本作はスタジオジブリが版権管理することとなる。それに伴って映画の冒頭にトトロの横顔をあしらったジブリのロゴが付くようになった。映画館でのリバイバル上映や金曜ロードショーの放送で観ている人は殆ど目にしていると思う。
普通に考えれば『ナウシカ』の4年後に公開された映画のキャラクターが、冒頭の会社ロゴに出てくるのは年代的におかしな話だが、こうしたことを気にしない大衆にとって、シリーズ物の公開順など関心がないのだ。
宮崎駿 イラストギャラリー
最後に『ナウシカ』公開に合わせて、雑誌の表紙からグッズ用ポスターまで様々な媒体に描かれた、宮崎駿によるイラストを集めた。デザイン上の文字が入っていない、まっさらのイラストっていいものですなぁ~。
『名探偵ホームズ』のこと
ナウシカについて掘り下げたら、併映作品に触れないわけにもいかないだろう。かねてから海外合作アニメとしてアニメージュ本誌で何度かとりあげていた『名探偵ホームズ』。
まだ日本向けのお披露目が決まらない頃から、『カリオストロの城』の宮崎駿+テレコムの作品ということで幾度か特集が組まれていた。製作途中でストップしてしまい、当時としてはお蔵入りアニメという認識だったが、スタッフがスタッフなので、このまま埋もれさせるには勿体ないという空気が編集部にあったのだろう。
アニメージュ編集部スタッフが、製作第2話『青い紅玉』のラッシュフィルム(※音が入っていないフィルムを繋いだもの)を観て絶賛した旨のことも本誌に書かれており、当時はまだ日本での放送が未定のため「NHKや他のテレビ局に手紙を出そうヨォ!」と結んでいる。
しかしこれがナウシカと同時上映という形で、ようやく2話分のみ陽の目を見ることになったため、映画公開直前の84年3月号には「名探偵ホームズ やっと見れるぞ! おめでとう! BOOK」なる別冊付録をつけ、大量の本編のコマ焼きカットと設定資料を掲載した。
上記の付録の1ページに、上映作『青い紅玉』『海底の財宝』の脚本を担当した”片渕須直 かたぶちすなお 脚本/演出助手 23歳”のコメントが載っている。『この世界の片隅に』の大ヒットを経てこれを読むと、実に味わい深い。
原作の著作権の問題で、登場人物の名前が一部変えられているが、それは本作の面白を左右するほどでない些細なコト。しかし『ナウシカ』上映館でやっとこの作品を鑑賞したファンが歯ぎしりして悔しがったのは、桑名晴子の
エンディング主題歌に乗せて、上映話数以外のエピソードの場面が流れたことだ。しかし後に日本国内で全26話のテレビシリーズがスタートした際、他の宮崎駿演出回も無事に放送された。広川太一郎のテレビ版ホームズも捨てがたいが、映画版のキャストも大好きである。現在発売中のBlu-rayには、10万円弱の「ジブリがいっぱい」LD-BOXの映像特典扱いだった1993年の黒澤明と宮崎駿の対談映像(約47分)が収録されており、大変貴重だ。
84年11月放送開始のテレビシリーズではスタジオぎゃろっぷが多くのエピソードを担当した。その縁か、2クール目にさしかかっている頃のアニメージュ85年2月号に、スタジオぎゃろっぷのアニメーター辻初樹が描く『名探偵ホームズ』のコミカライズが別冊付録になった。5~6頁程度のおまけ漫画ではなく、60ページ以上の立派な読み切り作品である。辻初樹は東京ムービー新社作品の『じゃりン子チエ』『ルパン三世 PARTⅢ』に参加していたが、『名探偵ホームズ』でも原画を描いているので、当然ながらムチャクチャ上手い。
そんなこんなで40年目のナウシカを振り返ってみたけど、次のお題もナウシカ。ビデオソフト化のことを書きます。もうちっとだけ続くんじゃ。
【記事出典】
■『アニメージュ』1981年12月号
■『アニメージュ』1982年9月号
■『アニメージュ』1984年4月号
■『アニメージュ』1985年6月号
■ロマンアルバム『風の谷のナウシカ』GUID BOOK
■『アニメージュ』1984~89年 各種付録
©1984 Studio Ghibli・H