小学生の私と映画館
新宿、人の多いゴミゴミした雑多な街。
新宿駅はなんでこんなに息苦しいのと、小学生の私は思った。
映画を見るために私はよく母親と弟と電車に乗り、新宿にある幾つかの映画館に頻繁に映画を見に行っていた。
ドラえもんの映画を見ることから始まり、アニメがやはり小学生の頃は多かったかも。ちびまる子ちゃんあの頃好きだった。
父親と不仲でよく喧嘩していた母は日曜だったり、夏休みには子供の私たちとよく街に出かけていた。私は都心に出かけるのがけっこう好きだった。
精神的に母も辛かっただろう、いつも悲しい目をしていた。あの頃は真夏の乾いたモアっとした空気みたいな毎日だったな。息苦しいという一言だ。
映画はその時間は現実逃避できるし、喜怒哀楽を起こさせる感情に訴えるような作品を見ると見終わった時何か人に伝えたくなった。
新宿は大人だらけ、着飾った人もいるし、色んな色彩があった。90年代の大きな事件が多かった年代にわたしは確実に一人で考えすぎる傾向が増え、自分だけの世界のようなものを形成していた。そのため周囲に心を開くことを躊躇うようになりつつあった。大人しい内気とよく言われた。
そんな自分に新宿で観る映画は息抜きになった。大画面で大音量、迫力がテレビとは違った。映画館で食べるファーストフードの味、何となく覚えてる。ハンバーガーはやはり美味しくて、幸せな気持ちになった。映画館は人で一杯、皆どこからここに集まったのだろう、映画を見ているときは一体感があって、それを何となく覚えてて。夏休みに母に色々街に連れて行ってもらったこと感謝してる。特に新宿が濃ゆく記憶の中に残ってる。
私は小学生の頃、発表が嫌でそれだけで胃がキリキリするし、お腹も痛くなるし、緊張して数日前から憂鬱だった。人前で話すことが一番苦手だったので、仮病をつかって休んだこともある。何故、発表なんてあるのかな、皆辛くないのかな、声が震える自分にはあまりに酷だったよ。一人でひたすら耐えていた何年も。人前で話すことは私の多大なストレスになり、目は飛蚊症になってしまった。
新宿の雑踏の中にいる大勢の人たち、目的も街にいる理由も様々。発表が苦手な内気な少女の私もその中にいて、休みの日に映画を見て、気晴らしをして、また小学校に通う。あの頃の私に言いたい。
「人前で話すこと頑張ったね。映画は今も好きだよ。今は街に行くことが嫌いになったよ。今も自分の殻に閉じこもってるよ。でも生きてる。」
過去の思い出たちがビー玉のようにキラキラコロコロと動きだす。そっと目を閉じていき、眠りへと誘われた。