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【読書記録】 「トンネルの森 1945」 角野栄子 角川書店

 本書は、戦時下の少女の生活を、少女の一人称で淡々と語られる。子どもから見た戦争の物語だ。
 昭和十五年、イコの母が亡くなったところから物語が始まる。父は再婚するのだが、祖母のタカを含め、家族そろった生活は長く続かない。イコの生活に、戦争は次第に暗い影を落としていく。
 東京のイコの家は「建物強制疎開」の対象となり、イコと継母光子、生まれたばかりの弟ヒロシの三人で松田村に疎開することになった。祖母と父は東京に残るという。
 疎開先の家近くには、真っ暗なトンネルがあった。父は「トンネルはいつまでもトンネルじゃない。必ず出口があるんだから。」と言って、イコを励ます。その父とは離れ離れになり、イコは、ひとりでトンネルに立ち向かうことになる。
 幼いイコにまで我慢を強いる時代の閉そく感、大切なものや人、健康が次々と失われていく喪失感、孤独感は、終わりが見えないトンネルのようだ。トンネルを克服しようとするイコは、戦禍の中を懸命に生きていく。
 トンネルの中で気配を感じた脱走兵は、幽霊なのか。ハーモニカを奏で、イコの下駄を拾ってくれたであろう、優しい脱走兵の姿は切ない。もしかすると、健康上の理由で戦地から帰された父と脱走兵が重なるのかもしれない。
 ニュースの言葉で、戦争の状況をイコは知る。勇ましい放送を聞くイコは、「日本が勝つ」ことに懐疑的だ。父と祖母が残る東京は大空襲に遭い、広島と長崎には原爆が投下される。「どうしてこんなことになってしまったのだろう。私の周りは、だれひとりとして、幸せな人はいない。誰かが死に、誰かが行方不明。誰かが怪我をしている。そして、みんながお腹をすかせている。戦争が始まった時は、みんながみんな、希望に満ち溢れていたのに。今はこれからどうなるのかと、不安の塊になっている。」と、イコは思う。
 イコがトンネルを抜け出すことができたのは、戦争が終わってからだった。

 戦闘機や爆撃機が飛び、焼夷弾や原爆がさく裂した町には、人びとの暮らしがあり、家族を心配する気持ち、大切な人やものを守りたい、生き延びたいという思いがあったはずだ。それは、戦後八十年近くたった今も変わらない。戦争を体験した人びとが少なくなっていく中、後世に伝えたいと、ご自身の体験を物語に託して書かれた角野栄子さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。 

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