【読書記録】「アメリカの悪夢」
「アメリカの悪夢」 ディビィッド・フィンケル 亜紀書房
本書は、ジャーナリストである著者が、アトランタ郊外の町に住む人びとを丹念に取材し、小説のような表現手法でまとめたノンフィクションである。著者は、本書の他に、戦争を取り扱った二作のノンフィクションを出版している。本書も、戦争とは無関係ではない。
本書の原題は、”AN AMERICAN DREAMER”である。アメリカン・ドリームとは、広辞苑によれば「誰にも平等な機会が保証されているアメリカ社会では、人は才能と努力次第で成功し、社会的・経済的に限りなく上昇できるとする考え方」だという。本書の主人公ともいうべきブレントが見るのは、華々しい夢ではない。真っ暗な闇しか見えない悪夢だ。
ブレントは、南部出身の白人男性、退役軍人だ。それだけで、共和党支持者でありレイシストだと誤解されかねない。彼は父や元上官を尊敬し、人道的で、善良であろうとする。イラクやパレスチナで任務にあたり、「その国の安寧をもたらすために駐留し、貢献した」と思っていた。しかし、イラク人との戦闘が激しくなると、ブレントは、部下である兵士の前でイラク人への憎しみをあらわにする。ブレントに煽られて、兵士たちもイラク人を激しく罵る。それ以来、ブレントは自分を恥じ、悪夢にうなされるようになった。2021年のトランプの演説に端を発した、支持者たちによる国会議事堂襲撃事件とブレントの悪夢が重なる。人びとの憎しみを煽り、暴力の行使へ向かわせた過程は同じだった。
ブレントは、トランプの嘘と無責任さ、品性のなさを嫌悪していた。しかし、隣人のマイケルは熱心なトランプ支持者だった。彼は、トランプが「直接自分に向かって話しかけていると感じられる政治家だ」と思っていた。
マイケルは、合衆国憲法と聖書を信奉している。不自由な肢体を自力で動かし、困難を伴う日課をこなす。
マイケルの妻アンは、看護師の仕事に加え、夫と老いた両親の世話もしている。
ブレントの妻ローラは、町の不穏さにおびえつつ、病気の母の介護をし、ふたりの娘を懸命に育てている。
本書に描かれた人びとは、日々の生活に追われ、不安や恐怖を感じながらも、正しいと思ったことを信じ、精一杯生きている。しかし、ブレントの悪夢のように、町は暗いトーンに覆われている。支持する政党や大統領候補の違いだけではなく、社会のいたるところにひそむ差別と、不満や怒り、嫉妬や恐怖などの鬱積した感情や格差が、人びとの分断と対立を招く。その社会のありようと戦争が結びついている。
ブレントは思う。「戦争は終わってなどいなかった。イラクの地ではなく、ここアメリカでも戦争があり、敵はもはやイラク人ではなかった。隣で暮らすアメリカ人になっていた」と。
ブレントら”AN AMERICAN DREAMER”たちは、「この約束された国の様々な可能性を信じ、それにしがみついていた。ただ、このアメリカにおいてさえ絶対に実現しない夢はあるのかもしれなかった」ということを実感していたのかもしれない。その夢とは、戦争がない世の中ということなのだろうか。
※「」内引用