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月夜

凍った路面で滑った挙げ句、街路樹に突っ込んで、路上の車中でボンヤリしていた事がありました。

会社から帰宅途中の事です。

突っ込んだ衝撃で愛車の鼻面はクシャクシャに潰れ、エンジンの熱で溶けた氷が再び凍り、霜が降りたように黒いボンネットがゆっくりと白くなっていきます。

物凄く寒い月夜でした。

車外に出たいけど、指一本動かない。目からは血がダクダクに流れてるけど、拭う気力もない。バックミラーに写る自分の顔は血まみれ。デッサンが狂って歪んでます。ハンドルに激しく打ち付けたのでしょう。

このままでは凍死しかねないほど寒いと思うけど、声を出そうにも溜息くらいしか出ず、アバラが折れてるのか、息をするにも痛み、反面、ひどい眠気に逆らえそうもない。いっそ眠っちまうか。

そんな状態でした。

その場所は家からほんの5分ほど。川沿いにある、街灯一つ無い未舗装路。夜は真っ暗。

工事用車両が立てるホコリ対策の為に四六時中水が巻かれ、夜はそれが凍り付き、一面のアイスバーンだから誰も使わない。そんな道。

愛車は四輪駆動車で、自宅までの近道になることだし、アイスバーンでも何とかなるさと、自分の運転技術の未熟を棚にあげ、車の能力を過信した故の事故でした。

馬鹿だったと思います。

朝になれば工事車両がタクサン来て、そのうち誰か、通報ぐらいしてくれるでしょう。しかしながらこの寒い中、朝になるまで何時間あるのか?

どのくらい気を失っていたかわかりませんが、ボンネットの凍り具合からすれば、そう長いことではない。1時間くらいだろう。と、なると、今は夜の10時あたり。

多分、朝まで8時間はある。

こりゃ風邪じゃすまないぞ、と、呑気に考えていました。寒い中、吹きさらしの車中で一晩過ごせば、霜焼け、凍傷になりかねない。でも、ひどい眠気のせいか、それほど焦ってはいませんでした。

でも、流れる血が粘っこく固まり、段々と出血は収まっていってますが、血で濡れたジャンパーがずいぶん冷たい。

空気中の水蒸気が凍りついたキラキラとしたものが、微風に吹かれ流れていくのがみえましたから、氷点下なのは間違いなかったと思います。

しかしながら、どうにかしようにも指一本動かない。眠い。面倒くさい。眼鏡は吹っ飛び、携帯電話がどこあるかもわからない。誰が通って通報でもしてくれるのを、気長に待つしか出来る事がない。

そんなわけで、当時、親父が死んだばかりだったので、死ぬ前にオフクロに、なんとか電話くらい入れられないかな、とか考えていました。

でも、しばらくすると、けっこう人が通るのに気付くんですね。

月影のもと、ドアミラー越しに、車の後ろを歩く人の姿が度々見える。

最初はワンピースの女性。サラリーマンらしき背広を着た男性。野良着のお婆さん。小学生くらいの子供の一団。犬を連れた女性。背負子を背負った小柄な男性。セーラー服の女学生達。土方のオヤジ。10分おきくらいに誰かが後ろを過ぎていく。

ただ、街路樹に突っ込んだ車は異様な感じに見えそうなものですが、皆、こちらをチラリと見もせずに通り過ぎていきます。

冷たいもんだな、と、最初はそう思いました。まあ、夜だし、関わり合いになりたくないんだろう、と。

でも時間が経つにつれ、だんだんと、そうじゃないだろうと思い始めます。

夜、川沿いの凍りついた泥道です。右手は真っ黒い水面と深い藪。左手側は山になりますので、杉林に、これまた深い藪。街灯もない人家もない。人がこんなに歩いてるわけがない。

何だ?何が起こってる?脳震盪どころか脳内出血でも起こしてマボロシが見えてる?それとも三途の川とやらのお迎えか?ありもしないもんが見えて、俺、本当は死にかけてるんじゃねぇの?

「いやいや、冗談じゃねぇよ」

と、自然に声が出て、瞬間、眠気がパッと晴れ、同時に身体が動くようになりました。

そう、この事故の一月程前に親父が死んだばかり。ちょっと死ぬには早すぎるタイミングだったんです。

後で知りましたが、右顔面複雑骨折、まぶたが千切れかけ、頬を貫通する小さな穴、右の眼球陥没。肋骨の関節がちょっと傷んでましたが脳は無傷。軽くはないですが、最初から死ぬ程の怪我ではなかった。ぬるいこと考えてないで、動く気があれば動けたんですね。

後は身体を押さえつけるハンドルを揺さぶりながら外へ抜け出し、歪んだダッシュボードを何とかこじ開けてスペアの眼鏡を取り出し、ケースごとひしゃげた眼鏡を治し、きしむ身体で氷の上を這い回って携帯電話を探し出し、親戚を呼び出し、病院に行きました。

で、車は駄目でしたが、コナゴナになるほど折れた顔の骨はほぼ元通り。現在は多少の後遺症くらいで元気にやってます。

そしてあの日見たものは・・・、後で検証すると、結構、記憶が混濁、混乱してるんですよね。飛んだり混ざったりしてる。まぁ、右顔面が吹っ飛ぶくらい強打してるから、おかしくなっても不思議じゃありません。

ま、気にしない気にしない。

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