宮沢賢治を探して、6年ぶりに銀河鉄道の夜を読む。
宮沢賢治を読む、と決めてからいろんな感覚を意識しました。
注文の多い料理店、銀河鉄道の夜、雨ニモマケズ……。おそらく日本で一番読まれている作家のひとり、宮沢賢治。演劇やほかの表現でも多種多様に作品化されている作家は他にありません。
多くの人が彼の世界に入り、触れ、素晴らしい作品を作っています。
そこで、私が宮沢賢治を読むのにどうしようか、と。
宮沢賢治の作品世界はとても懐が深く、読んでいる時もイメージしている時も、なぜかいつもあたたかく見守られているような視点を感じます。
読むにあたって岩手に行きました。盛岡。雫石町。花巻。岩手の風景はどこを切り取っても美しく、広く、天気と雲はめまぐるしく変化するところでした。
私が感じた宮沢賢治の世界は、もしかしたら誰かのイメージとは違うかもしれません。違う色かもしれません。いつもイメージを確かめながら、ぶつけあいながら、作品にあたってきました。時には強く、思いっきりぶつかって、ずいぶんつらい思いもしました。
しかし、そういうイメージの違いや感じ方の違いはとても素晴らしいものなのだと感じます。それだけ作品からいろんな世界が広がっているということは、きっととても価値のあることだと思うのです。
↑を書いたのが2014年のこと。そんな旅を振り返りながら、2020年11月22日に銀河鉄道の夜を読み返します。あれから6年が経ち、僕は33歳になりました。
※旅の記録は2014年のものです。当時のメモと写真を手繰りながら書きました。
※引用部分が、2020年のわたしの感想です。
※「銀河鉄道の夜」は角川文庫版を読みました。
1.新幹線はやて1号から見た風景
2014年10月、私たちは宮沢賢治のみた風景を探して岩手県を訪ねました。
朝7時16分、東京駅発新幹線はやて1号。盛岡駅までは約3時間の道のりです。およそ1時間で宇都宮を通過し、窓から見える木や山の背がだんだん高くなります。トンネルも増えて、山には靄がかかる。田んぼや畑も少しずつパッチワークのように現れてきます。
すっかり綺麗に修復された仙台駅を過ぎ、しばらくした頃、ふいに視界が開けて、透き通った景色が窓の枠いっぱいに広がりました。
遠くの山まではっきりと見え、山にはくっきりと雲がかかり、遠くなのにとても近く思えます。まるで何かがぬぅっと現れそうな、民話のような景色です。
そして、10時01分。電車は岩手県盛岡駅に着きました。
『ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にあたるわけです。』
銀河鉄道の夜では、駅の描写が好きです。東京で暮らしていてもふしぎなのだけど、わたしの世界は駅の周りに点在していて、駅を中心に生活が広がっている。車を持っていないからかもしれません。地続きのはすが、スノードームみたいに駅の周辺だけ切り取られた世界に生きている感覚。電車に乗っているときの風景は、今もやっぱり別世界を感じさせます。
2.賢治の井戸横の石碑
盛岡駅に着いた私たちは、まずご飯を食べに行きました。
レンタカーを借りて盛岡市内へ。盛岡城跡の横にあるじゃじゃ麺のお店『白龍』を目指します。じゃじゃ麺は岩手三代麺のひとつと言われている盛岡のソウルフードだそうです。
コインパーキングへ車を停め、歩いてお店に向かいます。途中思いがけず宮沢賢治に出会いました。宮沢賢治が使っていたという共同井戸の跡地『賢治の井戸』に遭遇。盛岡市内や花巻にはこのように宮沢賢治を感じる歴史や跡地の数々があります。ふいに遭遇したこの井戸では、地元の方がお水を汲んでいました。宮沢賢治がその土地に根付いた作家であることを肌で感じる出会いでした。
3.『白龍』のじゃじゃ麺
白龍の開店を待って、じゃじゃ麺をいただきました。開店すぐにお店は満員。じゃじゃ麺はうどんのような麺に特製の肉味噌、きゅうりやねぎなどがのっていて、混ぜて食べます。お好みで生姜やにんにくをたしていただくのですが、さすがソウルフード。地元のサラリーマンの方や学生の方はすでに自分のじゃじゃ麺がある様子で、ぱっと味付けをして、さっといただく、そして去っていくととても粋です。(颯爽と裏口から入って、食べ、裏口からお帰りになった方もいました……)
じゃじゃ麺は食べた後、卵とゆで汁をいれてもらって食べる『チータン』というお楽しみがあります。
観光客まるだしの私たちはお店のおばちゃんに親切に教えてもらって、美味しくいただくことができました。
『天の川の水あかりに、十日もつるしておくかね、そうでなけぁ、砂に三、四日うずめなきゃいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、たべられるようになるよ。』
銀河鉄道の夜には食べる描写が多い。全体を通して、酸素が薄いような、閉塞的な空気が常にある中でふしぎと食べる描写はおいしそう。トマト、牛乳、鷺、雁。バリバリたべたい。
4.登山道
お腹を満たした私たちは、生森山へ向かいます。生森山は宮沢賢治の短編童話『おきなぐさ』の舞台だと考えられている山で、今回の旅の目的のひとつ。北上川を渡り、童話集『注文の多い料理店』の出版社である光源社を横目に盛岡市内を離れます。
そして秋田街道を進み、生森山へ。
少し小雨が降っていましたが、生森山に着く頃には雨も上がり、曇りの天気でした。生森山は標高348メートル、ゆっくり登っても30分もあれば頂上まで行くことが出来ます。車でも頂上付近まで行くことが出来ますが、私たちは歩いて頂上を目指します。
5.生森山の木々
山中は鳥の声や雨が葉に触れる音に溢れていて、空気は湿っていました。山頂に近づくにつれて天気も良くなり、もやがかかったような湿度のある景色から陽の温かいやわらかな色彩へ、いろんな風景を見ることができました。
6.生森山の風景
山頂からは木や畑、田んぼ、街などが切り取られた景色のようにのぞめました。
空の上は風が早く、景色は目まぐるしく変化していきます。雲が浮かんで、走り、風景の先に消えていく。おきなぐさを読んだ時に想像した、まわり燈籠のような風景がそこにありました。
おきなぐさは六月の花なので、残念ながら見ることは叶いませんでしたが、宮沢賢治作品にも登場する動植物たちにたくさん会うことができました。りんどう、蟻、きのこたち。
特に岩手では行く先々でいろんなきのこを見ることができました。
7.レンガで作られたサイロと木小屋
生森山を後にして、私たちは小岩井農場に向かいます。小岩井農場は宮沢賢治が愛した土地のひとつで、詩や童話にもよく登場します。『小岩井農場』という長編詩もあるくらいです。
小岩井農場まではおよそ45分。小岩井農場に近づくにつれて、だんだん天気は崩れ、到着した時には土砂降りになってしまいました。
8.小岩井農場の風景
時間も遅く迷いましたが、小岩井農場を巡るバスツアーに参加することにしました。
バスツアーでは、小岩井農場の誕生から発展、今後の展望までを岩手の風土や歴史を織り交ぜて解説してくれました。
海からくる風が上空に吹いており、目まぐるしく天気が変化する風土であること。けっして肥沃な土地ではないこと。その土地を開拓する為にたくさんの努力があったこと。
お話を聞きながら、バスの車窓から見える小岩井農場はとても豊かな景色に見えました。
バスツアーが進むにつれて天気も回復し岩手山が綺麗に顔を出しました。途中で牛にも会いました。ツアーには牛乳かヨーグルトに引き換えられる券がついており、私たちは牛乳を選びました。とても濃いのにさっぱりしていて、牛乳が苦手なひとりもびっくりしながら美味しくいただきました。
時間は夕方。農場内のアトラクションはクローズになっていましたが、歩いて少し散策します。景色の先では雲がかかった岩手山が私たちを見下ろしていました。
小岩井農場を出た私たちはホテルに向かい、一日目を終えました。夜、岩手のニュースは『おばんです。』から始まっていました。
『なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上り下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから』
幸せかと聞かれたら「幸せです!」と答えられるけれど、ほんとうのしあわせはなにか?と聞かれたら、たぶん上手く答えられない。かなしいこともつらいことも幸福が先にあるから大丈夫だよ、って伝えてあげたい。けれど、わからないんだよな。それが何なのか。
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二日目、今日は花巻を訪ねます。花巻は宮沢賢治の出身地。賢治ゆかりの場所や施設が数多く点在しています。
朝食を済ませホテルを後にした私たちは、まず宮沢賢治イーハトーブ館に向かいました。
イーハトーブ館では宮沢賢治の年表や各資料の閲覧、販売などをしています。映像資料の閲覧もあり、私たちは虔十公園林の短編アニメーションを観せていただきました。
イーハトーブ館を出て、間の森を抜けると、宮沢賢治記念館に着きます。途中、坂の下には宮沢賢治が設計した花時計の復元をみることができます。
9.記念館の前のやまなし
宮沢賢治記念館は、宮沢賢治の各資料や展示物がある施設です。中には手書き原稿や賢治のチェロ、作中の鉱石などなどたくさんの賢治でいっぱい!記念館の前にはあのやまなしも置いてありました。手にとるとすっといい香りがしました。
記念館では宮沢賢治の手書き原稿のほとんどを見ることができます。印刷で読んだ作品とまた違い、知らなかった情報がたくさん。思わずみんな見入ってしまいます。
10.山猫軒で出会った猫
記念館の横にはあの山猫軒をイメージしたレストラン、その名も山猫軒があります。ちょっとビクビクしながら入店して、昼食をいただきました。外に出るとお店の横に猫が…もしかしたら化け猫の手先だったのかもしれません。
山猫軒から長い階段を下ると、宮沢賢治童話村に出ます。
宮沢賢治童話村は広い公園になっていて、作中をイメージしたモニュメントやアート作品の展示を見ることができます。入り口は白鳥の停車場を通って銀河ステーションをくぐります。天気も良く、森の中を気持ちよく歩くことができました。
『ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか』
岩手を旅する前は、宮沢賢治作品はモノトーンや色味を抑えた想像が多かった。数年経って、旅の内容の細かいところはほとんど忘れちゃったけれど、作品を読むと情景や色が浮かぶ。ちょっと大げさだけど、人生はそんなふうに自分のパレットに色を増やしたり、想像のピースを貯めたりして、イメージを喚起する材料を集めていくものなのかもしれない。触れて、忘れて、初めて知る豊かさのひとつだった。
11.イギリス海岸の風
新花巻を後にした私たちは、一路イギリス海岸へ。
イギリス海岸は白亜の泥岩層が露出することにちなんで宮沢賢治が名付けた北上川の西岸です。賢治が教員時代に生徒を連れて訪れたともいわれています。
イギリス海岸に着くと、気持ちのよい風が吹いていました。
12.橋のかかる川
フナを釣っていた地元の人によると、普段は満ち引きしても泥岩層が露出することはなく、イギリス海岸の露出が見られるのは賢治の命日だけなのだそうです。少し残念ですが、海岸付近にも宮沢賢治にちなんだ休憩所や、川の景色、電車の通る橋がある美しい風景を見ることができました。
時刻は夕方。名残惜しくも夜には新幹線に乗って帰ります。 新花巻駅までの景色も遠くひらけて、畑の中を通る道はどこまでもまっすぐ。
おきなぐさの咲く六月や、夏の景色や、雪景色。まだまだたくさんのまだ知らない景色に想いを馳せながら、みんな新幹線で眠り、家に帰りました。
こうして、岩手宮沢賢治を探しての旅は幕を下ろしました。
+
『ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐ行こうと言ったんです』
『ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そして、みんながカムパネルラだ。』
いろんな版がある中で、わたしは角川文庫の銀河鉄道の夜が好き。何度読んでもわからないけれど、青白い顔のやせた大人の言葉は一番答えに近いものを選んでいる気がするし、その後の版でまるっと削除されているのも胸に迫る。考えさせられる。答えに近づくほどに、わかった気がするほどに、あいまいになる感覚。円周率や永遠のに0にならないグラフを想像しちゃう。
6年経って、わかることよりわからないことばかりが増えて、いろいろなことに胸がいっぱいで、実験は日に日に積み重なる一方だ。でも、いつか、すとんと割り切れる時が来ると信じて。各駅停車でほんとうのしあわせ探しをがんばる。明日からも。
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