くまの子ウーフをぜんぶ声に出して読んだ。
くまの子ウーフをぜんぶ声に出して読んだ感想を書きます。
ゆっくり本が読めない
11月から第二子出生の育休をとっています。これまで移動や休憩時間を読書にあてていたけれど、ほとんど読めなくなった。毎日めまぐるしく過ぎていくし、本を開く間がない。開いたとしても息子くんの「これなに〜!?」がはじまり、内容が入ってこない。
息子くんと遊ぶのは最高に楽しいし家事育児も面白いのだけど、本が読めないのはちょっぴり残念に思っていました。キナリ読書フェスも完全に対岸の祭り。光り輝く水平線上のイカ漁。読書感想文が読書、感想、文の3フェーズに分かれるなら、最初の読書フェーズからつまずいているし。参加は難しいなぁっと思って課題図書をながめていると、
ん……?
お、あれ……これならいけるんじゃね??
こころに閃き。そこに一冊の僥倖。
それが「くまの子ウーフ」でした。
仕込みが肝心
息子くんは夜、寝る前に絵本を読むのが大好きです。最近はアンパンマンも一話のストーリーを楽しめるようになったし、からすのパンやさんとか長めのお話も聞けるようになってきた。
そう、くまの子ウーフなら寝かしつけのときに読めるんじゃない?
一緒に読めば楽しいんじゃない??
しかし、相手はイヤイヤ街道爆走中の暴走機関車3歳児。一筋縄ではいかない。
これ読もう!
よまないよ〜!
―完―
↑となる恐れもある。大いにあり得る。すごく簡単に想像できる。そう、仕込みが肝心。
というわけで、寝静まった後(PM11:00)仕込みました。
しれっと置いておいた。
翌朝まんまと術中にはまった息子くんは起きるなり「これなに〜!?」と興味を向けてくれて、「ウーフだよ!夜読もう!」と作戦成功しました。
声に出してみて
毎晩お話ひとつずつ声に出して読み進めていきました。息子くんはやっぱりちょっと長くて、途中で飽きちゃったり、布団から出てジャンプしたり、ゴロゴロ転がったりしてたけど、概ね楽しそうに聞いてくれました。
ウーフはお話も面白くて、擬音が素敵。かわいくて、音にすると楽しくてウケます。声に出すと気持ちいい。
じゃぷじゃぷじゃぷ
ころろろーん
息子くんも飽きが来ちゃっても、そこで戻ってこられたので読み聞かせ向きかも。
ころころころ
ころころころ
ころころ ずっしん!
ぜんぶ読んだうち、息子くんのお気に入りは「ウーフはおしっこでできているか??」でした。他の話を読むときも必ず『ごはんのやつよむ〜!?』と聞いてきます。挿し絵と冒頭部分が大好きで、4文でお腹が空くウーフの朝ごはん。なんでもないのにめちゃくちゃおいしそうなんだよな。金色にかがやく目玉焼き食べたい。
ウーフを読んでから目玉焼き大好き。
正解のない問いかけ
本の書き出し、この一節で始まるウーフ童話集。
ぼくは くまの子。
教科書で読んだときにも疑問だったのが「なぜくまの子ウーフなのか」でした。
子ぐまのウーフでよくない?くまの子って日本昔ばなし以外で聞かなくない??
十数年ぶりに読んで、それはウーフ童話集が「誰かと誰かの間にあるもの」をていねいに描いているからだと思いました。
ウーフは大小さまざまな生きものたちと関わり合いながらいろんなことを考えては問いかけをしていく。その相手はお父さんお母さんだったり、ともだちだったり、キツツキだったり、虫だったり、自分だったりする。
問いかけは誰かや何かとの間、その関係のなかに生まれるものだから、きっと子ぐまのウーフだと問う方ばかりのイメージでしっくりこなかったかもしれません。
「金なんて、そんなもんだよ。くまちゃん、おまえさんも、おっことしたり、なくしたりしないものだけ、もってればいいのさ。なくんじゃないよ、なあ。」
「じゃ、あのー、おっことさないものって、なんなの。」
ウーフの問いかけには、どこにも正解がなくて、答える人の立場や考え方で変わるものばかり。
作中、ウーフの問いかけにみんなそれぞれが自分のことばで答えていく。
おっことさないものを問われたこがねむしは、それに答えないままお茶の時間に行ってしまう。
わたしも日々息子くんからいろんな質問をされて、答えに困ることがあるから身に染みました。
みずはどこからくるの?
むしはどこでねる?
あしたはなんでよるのあとなの?
問いかけって、自分のなかの「わかる」と「わからない」の境界がくっきりする。うす暗闇でよく見えない部分に懐中電灯をあてるような感じ。
問いかけが純粋であればあるほど、あたまの根っこの部分が揺さぶられる。わかっていたつもりが炙り出されて、より理解が深まる。知識が再構築される。息子くんを通して、自分がアップデートされていく感覚です。
でも、頭のなかではわかってるつもりなのに、ことばにできないことってある。そして口にした瞬間、その意味が固定される恐ろしさもある。それは、すごく怖い。
あいまいなまま受け手に委ねる危機感。だから、口にできないことって、いっぱいある。
だから、ちょっとズルいこがねむしさんに呆れながらもうんうんと共感しちゃいました。わかるよ、だんだん逃げるのも上手くなっちゃうよね。
じぶんひとり分のことばで答える
水不足でバケツに水をもらいに行ったとき、くまの一杯は多すぎるとねずみやリスに非難されたウーフは、相応の働きをすればいいと考えます。
「くまは百ぴきぶんたべるから、百ぴきぶんはたらけば、いいんだ。そうだね、おとうさん。」
それに続くおとうさんの答えに、ずっと抱えていたこころの凝りをやさしくもみほぐしてもらいました。
すると、おとうさんがわらいました。
「いいんだよ。ねずみは、ねずみ一ぴきぶん、きつねは、きつね一ぴきぶん、はたらくのさ。だれのなんびきぶんなんかじゃないんだよ。おとうさんはくまだから、くまの一ぴきぶん。ウーフなら、くまの子一ぴきぶん、しっかりはたらけばいいんだ。」
何かをするとき、わたしはついつい誰かと比べてしまう。しっかりと自分を持っていたいのに、型抜きした後のクッキー生地みたいに自分の外に意識が出てしまう。そしてダメそうなときはこがねむしさんみたいにことばにせずに逃げる。
それは、たぶん誤解や間違いや考えの浅さが見えてほしくないから。答えるよりも自分を守るために、沈黙を選ぶ。こころの外に出さなければ、わからないままでいられて楽だし、後からなんとでも言えるから。
でも、本当はわかる範囲でしっかりと答えればいいだけ。たぶん。きっと。
息子くんには、答えを誰かと比べたり、正解と不正解に分けたりがない。少なくとも、今は。
だからこそ、しっかりと向き合いたいと思う。
正解のない問いかけにどう答えるか。
それはもう「一生懸命に答える」しかないんだ。
じぶんひとり分のことばで。
くまの子ウーフを読んで
まっすぐな質問は続くし、これからもいっそう増えていきそうな予感の毎日。だから、その都度わたしひとり分をせいいっぱい、なんとかサバイブして答えていきたい。少なくとも息子くんにはそんな様を見せられるようにがんばります。うーふーと、うなりながら。
「パパ〜、じかんはなんですすむの?」
(……わからん!!)