ショートショート『見える。』
曇天の空が、曇りガラスのように世界を暗くしている。
めんどくさい会議をサボろうとして、いつも通り屋上に上がった。いつものドア、アスファルト、雨の匂い。天気予報はときどき雨の確率だかなんだか。はっきりしないのはたしかだ。
なんだあれ。
ずらりと並ぶ手すりを左から順に眺めていった先、何度目を擦っても、たしかに、ある。
めくれ上がってるな。
そんなありふれた日常の一コマから、なんと世界の切れ端を見つけてしまった。
+
吉田が、声を掛けてきた。
「先輩、何してるんですか。」
やっぱり。
吉田の手にはパンがある。
「会議、めんどくさいのはわかりますけど、ちゃんと出てもらわないと困ります。」
やっぱりな。
【吉田は俺の機嫌を取るべく、好物の焼きそばパンを差し出した】
「お昼、まだですよね。よかったら、これどうっすか?」
やっぱりだ。
この、めくれ上がってるところ。
これは、世界の切れ端だ。ページの終わり。
ここに書くと、世界は作られる。
さっきまで吉田はめんどくさい後輩だった。
パンなんて絶対くれない。
あわよくば、担当者ポジションを狙ってるようなしたたかなやつだったはずだ。
よし。
【絶世の美女である吉田は、腰まである髪をなびかせながらふいに微笑んだ。】
「風、強いですね。」
瞬きする間に、吉田が変わる。
世界は、作られていたんだ。
パンと書いた瞬間に、そこにパンを持ってくるまでの吉田の人生が生まれる。
美女と書いた瞬間に、そんなふうに生きてきた吉田が作られる。
そうじゃなかった吉田は消えたのか。
あの、憎たらしい吉田は、もう世界にはいない。
急に、あのくだらない会議が愛おしく思えた。
ありふれた日常も、平凡だけど積み重ねてきた毎日も、昨日も今日も明日も、全部はこの切れ端が作り出す嘘だ。一瞬のために、俺たちの人生は存在して、弄ばれてきたのか。
【俺は吉田に語りかける。】
「吉田、あれ見えるか?」
「なんですか?ただの曇り空ですけど。」
「あれは空じゃない。」
【二人には、世界の真実が見えた。】
「あれは、ガラスだ。」
「ほんとうだ!よく見るとガラスですね。」
「そしてその先に2つの丸と上下する雲が見えるか?」
「なんですか、あれ……。ギョロっとしていて気持ち悪い……。」
「そうか。俺にも、見えるよ。」
+
沸き起こる怒りに、身が震える。
ぜんぶ、嘘の世界。
そのために、俺たちは存在させられていたのか。
ストーリーも物語も感動も、関係ない。
返してくれ。
俺の、普通の人生を。
ああ、
なんて、傲慢なやつらなんだ。
見てろよ俺はあの曇りガラスを突き抜けてそっちにいくからなてめぇ待ってろよそこのお前のことだ【俺はそっちの世界にいき
ぼくは、急いでスマホをフリックして入力した。
おわり。
にできると思うなよ】