『せっかく書いたし、もう少し読まれたらうれしいな』って人向けのヒントまとめ。
せっかく書いたら、読んでほしい。
読まれたら、うれしい。
でも、なかなか読まれないよね。
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Twitterでときどき、#いいねしてくれた人のnote読む をやっています。これまで300作品以上いいね読みで出会いました。どれも素敵な文章で、感想をツイートしてスキを伝えまくっております。
いいねしてくれた人のnoteのページにいって、どれ読もうかな……としていく。
至福の親指。
その時間が、とても好き。
いいね読みしていくなかで「これ読もうかな」となりやすいのはこんなnoteだったよ!という気づきやヒントをまとめました。
せっかく書いたから、もう少し読まれたらいいな。
↑という人向けです。参考になれば幸いです🐐
注:プロのライターさんや物書きさんへ役に立つ情報はありません。文章書くのが好きなふつうの人向けの「もう少し読まれたらいいな」へのヒントまとめです。参考になれば幸い!
それでは、どうぞ!
「読みたいな」と思う要素はふたつ
それはタイトルと冒頭の(だいたい)3行です。
このふたつが好みだったり、引っ掛かりがあると読みたくなる。
理由はシンプルで、本文に行く前に表示されるのがこのふたつだけだからです。
ここが整備されてて、入り込めると本文に進みやすい。ついついタップしちゃうよね。
「気合い入れて書いたけど、なかなか読まれないなぁ〜。」ってときは、タイトルと冒頭3行を練り直すとよいかも。個人的には何回も直して投稿していいし、いつまでも修正してもいいと思う。自分のnoteなのだから。直すの、たのしいし!
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タイトル
読む/読まないの最初の分岐、タイトル。
魅力なタイトルやおもしろい言葉の並びがいつも浮かべば最高だけど、渾身のホームランはなかなか出ないもの。(出たらうれしい)
読み手側からすると、ホームランじゃなくてもタイトルは期待値が上手に設定されてるとうれしいです。
小説なら「あ〜なるほど、だからこのタイトルなのか!」という納得感がほしい。
エッセイなら「こんなことが書いてあるよ」という事前情報がタイトルで示されてると読みやすい。
あと、タイトルでうまく期待値を設定しておいて、読み終わったときにちょっとだけ期待値を裏切る内容に着地すると満足度が高いです。シェアしたくなる。
トップ画像はタイトルの一部だと思ってつけられてると読みやすい。
迷ったらタイトルの中の単語とか、作品のキーワードでみんなのフォトギャラリーを検索してつけるとよきだと思います。素敵な画像たくさんあるよ!すごい!
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冒頭の3行
冒頭の3行は、文体と内容とサスペンス要素(興味を引く何か)が網羅されてると読んじゃう。挨拶文とか、おなじみの導入を書く人もよきだけど、完全新規だと少し怖気づいちゃうときもある。あとシェア効果は下がる。
(決め打ちだと書き始めやすいって効果もあるので、良し悪しかもしれない)
でも、内容を短くまとめるのってむずかしいし、その後の本文とのつなぎも上手くいかないときもある。
そういうとき、わたしは割り切って、見出し効果・シェア向けに3行、分離して書くようにしてます。
(このnoteも冒頭3行足しております)
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わたしは↑の記号を段落変えるときに使ってるのだけど、よく小説とかにあるような引用文のテンションであたまに要約文を付け足す感覚です。
小説なら「ここの表現お気に入りだなぁ。よく書けた!」という箇所を抜き出したり、エッセイならその元になった気づきや気持ちが最初に書いてあると、読んでるときもブレずに内容に入れるので、読み手にも親切設計だと思います。
ほんと、冒頭3行の力はすごいから、いつかそのうち #冒頭3行選手権 やりたいくらいです。
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読者をつくる
タイトルもいい感じ、冒頭3行も工夫した、さあ投稿!んで、読まれるか。
すみません、たぶんそんなに変わらないです。
ズコーッ。(古い)
これは、読む/読まないの前段として「読みたいか」が来るものなので、もうしょうがない。割り切りましょう。
いいね読みやってるとか、読むのが好きって人は読むけれど、やっぱりネットの文章って基本的には誰が書いたかってネームバリューがあるか、誰かがオススメしてくれたかっていう、本文テキストに入る前の前振り部分の影響が大きいからです。(それでもnoteは仕組み的に読まれるほうだと思う)
素晴らしいものを書いても、読まれないことって、やっぱりある。どんなに文章を工夫しても、読まれないものはゼロなので、ここは諦めよう。
良いものを書く研鑽と、読まれるための努力は別もの。
例えば、誰かのを読んで代わりにこっちも読んでもらうとか、企画に参加してみるとか、それこそいいね読みやってみるとか、読者になってくれそうな人との接点を増やすがんばりが必要なのかもしれない。
わたしは読んでくれた人のnoteは読みにいくのがたのしみだし、めちゃくちゃおもしろいマガジン運営してたり著名な書き手の人も、けっこうそういう人が多い気がする。(人それぞれだけど)
読まれたら、読みたくなる。
読まれたいなら、読む。
たぶん、これは大原則だと思うので、たのしめる範囲で読むのがオススメです。
ほんとうに面白いものはある。素晴らしいものを書いていれば、いつかは届く。これも一つの真理だけど、やはり※ただし読まれた場合に限る なので、身近な人ひとりでもふたりでも、読んでくれる人は貴重すぎて尊いのだ。読んでくれた人を大事にしよう。
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おまけ:どこまで届けるかのコントロール
文章を読んでいて、上手だなぁと感じる人は「最後まで読んでもらう」が目的じゃなくて、「届けたい人を選んで読ませる」仕組みが入っていることが多い。わたしは読むの好きだから、最後まで読んじゃうけど「あ、たぶんここで離脱するな(させてるな)」ってのが見えるのが面白い。
例えば、専門用語や世界観のワードでフィルターを掛けて、読みたい人が読み終えられるように工夫してる感じ。逆にいうと、読んでほしくない人はしっかり脱落させる。
読みたい人が読むのだから、当然満足度が高い。書くときは全方向型か、一点集中型かを選ぶと良いのかもしれない。
ここ数年どハマリしてる三体という小説があるのですが、ルビ付き登場人物表がしおりで入ってたり、これでもかってくらい章が変わるたびに登場人物にルビが振ってあったり、脚注が丁寧だったりと、「これは絶対におもしろいからSFファン以外にも届けたい」という気概が感じられて、最高によきです。
やっぱり良いものを書く研鑽と、届ける努力は別もの。どっちもがんばれるといいなぁ。
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おわりに
読まれる、いいね、スキはぜんぶガソリン。
もちろんそのために書いてない人もいると思う。
けど、たくさん読まれたらうれしい。感想もらったり、読み手との交流は、刺激になってたのしい。ガソリンがあれば、より遠くへ、たくさん書ける。書き終えたら100点。そして書いたら、読まれるためのアクションもするとよきだと思う。
結論:書く人は尊い。でも、読まれるかは別。読まれたらうれしい。読んだらもっとたのしい。
またどこかの文章でお会いできるのをたのしみにしてます。それでは!