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知識レベルと貧富

もし「フランダースの犬」の主人公の少年ネロが金持ちで、有料公開のルーベンスの絵(キリストの昇架)を気楽に見る少年だったら、どうだろう?

「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニが、カンパネルラの家で星の本をみていなければ、最初の授業で自信がなくて、じゃなく、知らなくて、答えられないことになる。

知識は、才能でも努力でもなく、貧富によって、得られるものが違うのか??

今の子供は、予算がなくても、昭和の子供よりは多少自由に知識をネットから得られる。

でも、例えば無料で読めるコミックと、有料のコミックは違うし、無料でも後半が有料で最後まで読めないと、得られる知識としてレベルが低い。

無料のゲーム、フォートナイトだって、パソコンのスペックが本人の技術より強さに関与する。

映画館でみるように作られた映画を、サブスクで小さなテレビでみることも、多分受け取るものが違う。

また、大量の情報の中から論拠を備えたものを見分けるのも、ある程度、大量の文に触れる訓練がいる。

それに、旅行や留学や講座などの体験で得られるものも大きな知識になる。

お金がないことによる知識の取りこぼし、自然と見られないままになることは、努力や才能でも越えられない大きなことかもしれない。

知りたい、という気持ちがあって、精一杯吸収している 知識のプールが、池か、海か、見分けることも難しい。

当然、そんなの、わかっている、という人がたくさんいるかもしれない。
だけど、私は何を知らないのか、お金持ちなら私に何がみえるようになるのか、未だにわからない。

この文を読んでいるどなたかも、まだ見えていない、だけどお金持ちなら当然見えている知識があることに、ハッと、しませんか??

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