「いつも」「ずっと」「いつまでも」なんて言葉、人には背負えない
人は弱いから、自分で立つことができる人や、迷う人に方向を示して、何か役にたてている自分に酔う。
気持ちだけありがとう、とか、言われたいだけ。
だけど、本当に立ち上がれないです、という人の側には人は近寄らない。
本当にお金がない、本当に認知が歪んでいる人、犯罪や違法性のある人、本当に立ち上がれない人や、大切な人の死を悼む人、治らない不調に悲鳴をあげる人、解決できない人の側は、避ける。
仲間じゃない…と判断される線引があるんだ。
仲間は、永遠の約束でなく、暫定的集合。
仲間だ、ともだちだと、良いときにしか名乗らないなら、それは、何かメリットを享受したいだけの関係性。
人は弱いから、ずっととか、いつもとか、いつまでも、とか、そんな副詞を語っても、責任を背負えない。
聞かされたら期待してしまうけど。
土台、無理なんだから、裏切りとかでもないよね。
暫定的な仲間。いつかメリットがなくなればいなくなる友だち。
最初から、それを理解してるから、期待もしない。
悲しいけれど、予想できていた悲しさ。
生きていると、そんな悲しいことが、何度もある。