20241104(寄席で講談を聴いた話)
江戸の講談は定席(定期的に寄席が行われる場所)が無くなって久しいが、上方には講談小屋が存在している。2019年にオープンした此花千鳥亭だ。
講談師の旭堂小南陵さんが中心となりほぼDIYで作られたという、思いのこもった場所である。
今回帰省した機会に初めて此花千鳥亭を訪れ、毎月月末10日間開催されている「連続講談千鳥亭」の597日目を聴かせて頂いた。
連続講談千鳥亭 - konohana-chidoritei ページ!
この日の出演者は旭堂南龍さん、桂健枝郎さん、旭堂小南陵さん。
あらかじめネットで予約をしていたのだが、現地に着くと受付に名前の書かれた封筒が置いてあった。
自分の封筒に木戸銭(=入場料)1000円を入れて備え付けの箱に入れる。予約なしのお客さんは直接お金を箱に入れる、というシステムだそうだ。
私が着いた時点で客席にはまだ誰も人が居ない。そして封筒は私の分しかない。えっどういうこと?と思いながらお金の入った封筒を箱に入れ、誰も居ない12席から中央やや後ろの席を選んで座る。
開演までに予約無しの男性客が二人入って来られて、お客さん三人で開演となった。高座に上がる人も三人なので実質マンツーマンである。(←違)
一人目は旭堂南龍さん。実は私が初めて好きになった講談師がこの方である。
この日は侠客物「任侠浪華染」というお話だった。凶悪なやくざに拉致された太夫が命からがら逃げ出して、元太客の男に助けを求めに行く…というお話。連続物なので話が盛り上がってきて、これからどうなるんだ!?ってところで「本日はここまで」となってしまうのだが、とても面白かった。
YouTubeで見ていても思うのだが南龍さんは老若男女の演じ分けが非常に巧みな人だ。
二人目は桂健枝郎さん。文枝師匠のお弟子さんだそうだ。まずつかみのお話がとても面白かった。「いや~モテたいなーと思ってるんですけどねー」から始まる、吹雪の中芦ノ湖へ釣りに行って死にかけたお話。
ガチでヤバいと思った筈のエピソードも面白おかしくしてしまうのは流石噺家さんだ。
それから釣り場に色っぽい女の幽霊を探しに行くという噺に繋がる。所謂怪談噺に属するものだと思うのだが、怪談か…?と少し疑わしくなるほど主人公の男がお馬鹿さんで狂っていて面白かった。
トリは旭堂小南陵さん。この此花千鳥亭を作った女性講談師だ。まずつかみのお話があり、観客三名の客席を軽く弄ったりした後に真田三代記のお話を披露して下さった。
興津川流域の合戦において、武田氏の家臣であった若かりし頃の真田昌幸が無双するというお話である。所謂軍記物というやつだがとにかく迫力が凄かった。よく通る声とよく鳴る張扇、大きな身振り手振りを加えて語られる合戦の様子はまるでその情景が目に浮かぶようだった。
現在講談師の男女比は女性の方が多いというが、私が知る限り女性講談師の方が気迫や凄み、みたいなものがより強いような気がする。
これは私の憶測に過ぎないが、講談の歴史の中で女性講談師が普通に認められるまで、一種の差別や偏見的なものもあっただろうと思う。そういうものに打ち勝つために培われたものなのではないだろうか。
そんなこんなで10分ほど押して全ての演目が終了。あっという間の1時間だった。
かねてから一度現場で生の講談を聴いてみたいと思っていたが、来てみて本当に良かった。
私は20代の頃ライブハウスに通い詰めていて、30代以降も時々ライブやフェスに足を運んでいたが、最近は一部のバンドを除いてエンタメを現場で見るという事に嫌気が差していた。空気感についていけないのである。
更に今流行っているコンテンツの良さが全く分からなくなった。何を見ても不快に思うことはあっても何が良いのかさっぱり理解出来なくなった。
講談は面白いな、好きだなと思える数少ないものの一つだが、私が住んでいる高知という場所では、生の講談に触れる機会は殆どない。
帰省したタイミングで上方講談を聴きに行く、これが私にとって唯一の機会だと言えよう。年に数回しか訪れない機会だが、また是非此花千鳥亭に足を運びたいと思う。
そして今回行ってみて改めて痛感したことだが、やはり講談という文化が置かれている状況は極めて厳しいものだと感じた。ついこの間「本牧亭の灯は消えず」を読んだばかりなので、観客三人というのが小屋にとってどれ程の痛手であるかは察するに余りある。
私は滅多に現地へは行けないけど、折角大阪に出来た講談定席が無くなってしまわないように、微力ながら何らかの形で支援をしたいと考えている。
もし講談に興味があって、サクっと行ける距離にお住まいの方は是非此花千鳥亭へ足を運んでみてほしい。