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20240813(平行軸で考えろ)

他人の価値観とか言動とか
世間で話題になっている事とか
コンテンツとか、ニュースとか
そういう今この社会を構成している無形のものが不快で不快で仕方がない
中には勿論不快じゃないものや、好ましく思うものもあるけど、
およそ9割に対して殺意を覚えるレベルで嫌悪感を催している。

ごくごく些細なものを例に挙げると、noteで今話題になっている人物の名前や出来事をタイトルに冠した記事があって、
どのような意見が書かれているのかと思いクリックしてみると、それについての話題は一切なく、全く関係ない記事が出て来る。
要するにインプレッション稼ぎで無関係のタイトルをつけるという手法だが、正直そんな浅ましい手口を使うその神経が分からん。
別に非難してやろうとかいうつもりは毛頭ないが(それすら馬鹿らしくなるレベルの低俗さなので)一体どういう人間性ならそういう事が恥ずかしげもなく出来るのか、テメーのその振る舞いについて他者を納得させられる程の正当性を説くことが出来るのか、強い興味を抱いてしまう。単純な知的好奇心から、話を聞いてみたい、納得がいくまで説明してほしいと思ってしまう。
普通嫌悪感を抱いたものは視界に入れないよう意識的に遠ざけるのが精神衛生的にも賢明な判断なのだが、私の好奇心はその逆を行こうとする。
この時点で既にかなり異常な自覚があるのだが、そのうえ最近は事あるごとに、ありとあらゆるものに対しこの嫌悪感を抱くので、
その都度「これは一体どういうことなのか、どういうつもりでこんな醜悪さを世に曝け出し、私の目に入れたのか知りたい。」と思っている。毎日毎日この嫌悪と執着を自己の中で繰り返している、最早完全な狂人である。

これは常々私が此処で言っている「感情の老化」という現象に加えて、私自身が本来持つ性質によるものだと思う。
しかし自覚はしているもののこの性質に論理的な説明をつける事が出来ず、それ故にどうすればこの悪癖を治すことが出来るのかも分からなくて、ほとほと困り果てていた。
ところが先日ある記事を見かけた際に、そこに答えが書かれていたのである。

「他人を許せない人の脳」で起きている恐ろしい事 「30歳まで」にどんな人と出会ったかが大切 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

正義中毒の状態になると、自分と異なるものをすべて「悪」と考えてしまうのです。自分とは違う考えを持つ人、理解できない言動をする人に「バカなやつ」というレッテルを貼り、どう攻撃するか、相手に最大級のダメージを与えるためには、どんな言葉をぶつければよいかばかりに腐心するようになってしまいます。

自分のこの感情が、ネットで他者を攻撃する加害者が持つ「怒り」と同質のものであることは自覚していた。自らのこの感覚が所謂「正義中毒」の症状と本質的には変わりないと分かっていたのだ。
「理解できない、こんなものが存在していい筈がない、なのに何故存在しているのか不思議でならない」そう思うから異常な執着を示す。私は叩き行為の加害者とほぼ紙一重の同類だったのである。
一体どうしてこんな醜悪なメンタリティに成り下がってしまったのであろうか。どうすればこの糞同然の感情を捨てることが出来るのか。

正義中毒から解放される最終的な方法は、あらゆる対立軸から抜け出し、何事も並列で処理することではないかと思います。

この一文がその答えを示してくれていた。確かに、私は気に食わないと思うものに遭遇した時、いつもそれを自分と対立する位置に据えていた。
否定するために自らそれを「戦うべき敵」のポジションに置いていたのである。
実際それらは決して、私自身を害するような敵対的存在ではなかったのに。
ただ不快だった、というだけでそれらを敵と認識し、害悪であることを確かめなければならないと思っていた。
だからあんなにも執着し、興味を持ったのだ。

ではそれらを対立軸ではなく平行軸に置いてみたら、どうなっただろうか。
インプ稼ぎで偽りのタイトルを付けることを恥とも思わぬ人が居る。その神経は到底理解できないが、
「はえー、そんな人もいるんだねー。肯定しないけど。」位に思っていれば下手に嫌悪感を燻ぶらせることもなく、意識の外側へ放り投げることが出来たのである。

推しに自分の価値観を押し付ける厄介ガチ恋オタクにも
「はえー、そんな人もいるんだねー、肯定しないけど。」

己の割いたリソースの大きさでマウントを取ろうとするゴリラみたいなオタクにも
「はえー、そんな人もいるんだねー、肯定しないけど。」

なんでもかんでも男女の対立にもっていこうとするジェンダープロレスラーにも、それに猛然と噛みつくコンテンツの事しか考えてないエゴ丸出しのオタクにも
「はえー、そんな人もいるんだねー、肯定しないけど。」

面白いコンテンツを作る才能もなく、発想力もなく、努力する気も端からないくせに、YouTubeで金儲けしたくて他人の醜聞を食い物にする暴露系YouTuberにも
「はえー、そんな人もいるんだねー、肯定しないけど。」

四六時中SNSに張り付いて批判対象を探し、炎上があれば嬉々として叩きに加わり、それで社会参加したつもりになっている救いようのないドクズにも、
「はえー、そんな人もいるんだねー、肯定しないけど。」

と、口に出してみれば今まで己が執着していた事のバカらしさに気が付き、若干おかしさすらこみ上げてくる。そして何処かすっきりとした気分になる。
ムカムカしたらこれを口に出せば、反吐が出る程嫌悪していた者たちも、軽々と意識の外へ捨てられそうな気がする。

幸い実生活においては私は周囲の人達に恵まれており、理不尽な目に遭ったり嫌な思いをすることは(皆無でないが)殆ど無い。
私が不快なものを自ら対立軸に置きさえしなければ、心の平穏はおそらく取り戻せるのだ。
対立すれば当然交わることになるが、平行であれば遭遇せずに済むのだから。

※みんなのフォトギャラリーから、ia19200102さんのイラストをお借りしました。ありがとうございます。




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