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囚われと亡命詩人の家バームダード・ソフィア・ラミシュさんの訴えに添えて


日本と、ざっくり海外では詩に対する感覚が違う。
ざっくり海外では、主張であり表現は公表するものたのだ。

日本人は、こっそり秘めてかく。
私もそうなので、発表せずに死んでもいいなどと言っている。センチメンタル・エゴイスト。そして詩人でない人もそう思っている。

その点で、この詩を奪われた事は亡命されたのと同じなのだろう。
囚われの身となった事。
自由を失った事。

哲学の詩も多い。漢詩とか授業で接してきたと思います。
壮大な生命哲学の詩もある。

ソフィアさんも、そうでしょうが、心の中では詩をかき続けるでしょう。しかし
、それは発表できずに死する事は望んでいないのです。

そこで、げんさんの詩集「声をあげずに泣く人よ」は、日本人が日本語で日本人らしく、日本人らしいそのまんまの風貌のまま、声あげれない人の代わりに詩をかいてきた詩集なのです。

それは、ざっくり海外の詩への位置づけと同じだと言えるでしょう。

と、恋愛詩ばかりこっそりかいてる私が一応こんな詩にも接して詩をかいてるんだぞと、偉そうに書いてみました。

↓送った詩「生命の発露」
音のしない子ども
音の流れない風
音律のない詩
リズムのない生命

生命の発露が芸術
発露できる芸術家の責任は
生命を震わし続ける事だ

できる

生命の発露を塞ぐな
衝撃で掻き消すな

げんさんの投稿を転載。↓

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なゆた
ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?