初めて「計算・数の学習障がい」最初から言って仕事している。

学童保育の仕事を夏休みの臨時指導員をしたが、
常勤になるにあたって、
計算・数の学習障がいだと告知して仕事し始めた。
初めてカミングアウトした上で新しい社会に入ったのだ。

なかなか新しい体験です。

発達障がいの児童は預かってるので、寛容です。

頭がいい人だからだと理解される。
「そうなんだって」などと思っている。

挨拶の時は、
計算器も苦手なのと、20以上は私に数えさせない方がいい。
お菓子は数えれない。
数学と物理は得意だと話した。

今日出てきた会話が、
「子どもの時、算数とか大変だったでしょう。
いつわかったの?」
予想できた会話だ。
「小3の割り算の筆算で、友だちが『計算器は間違ってるけど、やり方があってます』と言われて、自分で理解して工夫して生きてきただけです。」

「『はい。わかりません』とは言えず.ついていけずに、キョトンとしてる時があると思います」
「わかった。わかった。」
理解が早い。
「わからなかったら、言ってね」と言われてもダメなのだ。
時代が変わったなぁ。
なのか環境がいいのか。
カミングアウトしておいてよかった。

話はズレるが、
数ヶ月前、別の場所で、ハガキ的なものを、最後に合計を数えて数合わせする際。
「私は計算障がいだから、私には数えさせない方がいい」と言った。

すると、年配の人が、
「個性、個性。気にしない。」
と言った。
これには腹が立った。
自分は個性に溢れてると思ってる。
周囲が、そう見ましょうという慰めでしかない。

困ってるのは、当人と、その家族だ。
「個性」と言われても解決しない。
だって治らないから、障がいなのだ。
工夫して生きていくだけなのだ。

今の子どが小さい段階で、
「あなたは、読書障がいだからね」
と、わかっても
自分は馬鹿だと思ってしまうわけで、
個人によって差異が多いので、自分で、理解して工夫できるまでには、やはりには成長と共にしか進まないと思う。
大人は、その手助けしかできない。

障がいは、片足ないと同じなので、補助具がいると思って欲しい。
「足よ。生えよ」と思わないで欲しい。

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なゆた
ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?