子どもたちが将来幸せになる、よりも優先すべきこと
世の中にはいろいろな価値観があって当然です。
私にとっては、「子どもたちが将来幸せになる」ことがほとんど唯一の価値と感じていて、それはそれでどうなんだ(偏り過ぎ)と思っております。
おいしいものを食べれば感動しますが、だったら自分が食べるよりは子どもに食べさせてあげたい。だけどいつもそんなものばかり食べていたらバカになってしまうような気もするので、ときどきだけ。世の中にはこんなおいしいものがあって、「味全体」を感じ尽くせるかな? また、それは、過去も含めたたくさんの人たちの、さまざまな努力の積み重ねであって・・・直接的に身体的に感じる感動と、背景を想像しての頭の中の感動と、どちらも味わってほしいです。
感謝の言葉を頂けると、ほっとはします。が、実際に一皮むけて成長したのはお子さまです。「絶対」がないなかで成果をつかみ取ったのもお子さまです。そして大事なのはその先。成長して合格して、その先。自分に合った居場所や人たちにめぐり合って、能力を発揮し、自由と調和のバランスを保っていけそうか。「絶対」はないなかで、相応の合理的判断や、腹を括った勝負ができそうかどうか。まだまだ勉強したらいいことがたくさんたくさんありそうですね。
親しい仲でわいわいと。心が洗われます。だけど本音の本音を掘り下げれば、「そこにあるもの」と同時に「そこにはないもの」のことも考えてしまい、楽しむことが楽しくないというか。。。子どもたちにはどんな友だちがいるのかな。その友だちにはどんな家族があり、どんな友だちがいるのかな。いろんな役回りを経験できているかな。そして何より大切にされているかな。
お金は・・・あったら買いたいのは本だけど、自分ではもう読み切れないし、子どもたちにあげるためだけに買っているようなものです、、、が、ほとんど読んでないだろうな・・・ま、あ仕方ない・・・いつか必要になるでしょう。
新しいことに挑戦したり、興味のない分野の本を読んだりも楽しいけれども、自分が楽しいというよりは、「こんなじっちゃんでも、新しいことに挑戦して、失敗しまくりながらも、できるようになっていってるよ」という具体例を示すため。そして自分が「わからない・できない」という気持ちを忘れないため。
旅行は・・・いろんなところに行ってみたいです。だけど、ただ自分が「楽しかった」で終わるだけなら、楽しくないかな。シルクロードとアマゾンと北極は特にあこがれが強いけれど、体力が・・・。
冒険という観点では、視点を変えれば毎日の通勤も、すぐ前のコンビニに行くのも、冒険として楽しめるし、本を読めばその世界を(仮想的に)冒険できる。冒険欲はある程度、満たされていると言えそうです。
楽なことがしたいか・・・と言われると、まったくしたくない。だってもうすぐ無限に休める時が来るのだから。
子どもたちに接していて、それもほぼマンツーマンなので、毎回毎回、自分をリセット。生まれ変わらせてもらっている気分です。何をどこまでやっていて、どんな性格で、どんな進め方や説明の仕方に反応が良くて/悪くて、どこで躓いていて、何がより本質的な原因と考えられ、それを解消するにはどんなアプローチがあり得るのか。
そして、実験と観察。うまくいったことも、いかなかったことも、次につなげられるように。
できれば同じ視点で子どもたち自身が自分たちを実験・観察できていけるようになれば、少しずつ手を放していく頃でしょうか。
そうなってくれば、徐々に、未来についての話をします。どんな未来をつくっていくのか(世界の動向/科学技術の進歩/人の心/経済状況/自分の興味/できること/価値を感じること・・・)。どこで何をするのか。そのために何が必要か。今までの経験の中から活かせることはあるのか。。。
話が少しずつ具体的になって、細部がはっきりしてくると、とてもワクワクします。
何も特別なことではありませんし、正解も不正解もないと思います。できること(真摯に子どもたちと向き合うことと、少しだけ先を見ること)を精いっぱい。そして、自分ができることよりも、自分を超えてできるようになってもらうことが、学習する伝統の根幹ではないかと思います。
そういう意味では、私も「師」を超えていかなければならないのですが、そちらの方はもっと道のりが長いようです。