これは「甘え」か「ご自愛」か~休職中の葛藤~
休職中、毎日本当にやることがない。
いややることがないというのは大嘘で、毎秒今すぐ決断を下さなければ後々詰むだろうなあという課題に頭は常に占拠されている。しかしその課題を認めた上で今の私には狂ったように寿司打をやるしか時間を潰す気力がない。
早起きして朝ご飯を食べて読書して運動して、といった一連の流れを辛うじて習慣化し最後の人間性のようなものを保とうとあがいているが、どれもこれも頭の中心が痺れたような感覚が伴っている。そしてこれはやはり、自分にどう接していいか分からないからだと思う。
毎日「充実した一日」を演出するためのポーズに過ぎない作業で貴重な時間を溶かしている今の私は、自分を「労わっている」のか、それとも「損なっている」のか。
休職中ずっと考えている。
現場にいれば、あともう少し頑張れたのではないだろうか。身体が壊れてからでは遅いと言うが、あとどのくらいで壊れるかのリミットがどこかに表示される訳でもない。本来踏ん張るべきところで私はあえて逃げ出し、長期的なキャリア形成の観点で自分を損なってしまいたかったのではないか。
息のしずらい、心理的安全性もくそもない環境に身を置き退勤後は毎日「会社やめたい」「まじで仕事できない」と愚痴をこぼす限界社会人の自分に実は酔っていて、それが人生の「20代前半」という時期において私の自我を保つためにはある意味必要なことだったのかもしれない。休んだことを「甘え」ととれば、甘えにも将来に対する自傷的な心理が働いていると思う。
一方で、これまでレールを外れることなく、どう擬態しても完全には溶け込むことの出来ない社会に必死に縋りついて心を殺してきた自分を、一旦休めてあげたいというような思いもあった。それはほぼ自分が普通には生きられないということの悟りと諦めにも近かったが、初めて評判や世間体でもなく自分の心を尊重できたような瞬間でもあった気がする。
身体が壊れてしまわなければ、「甘え」と「自愛」の区別がつかないのは私だけなのだろうか。
もう考えるのも疲れてしまった。
来世はちょうちょになりたい。