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氷解

BWV1001。
バッハのヴァイオリンソナタ1番、
アダージョが大好き。
ヴァイオリンは上手く弾けないが、
鍵盤楽器用に編曲されたものが
あることを知って、
これなら挑戦したいと思っている。
演奏のために
あれこれ調べたり、
ヴァイオリンによる演奏を
聴き込んでいる。

この曲を聴き込むほどに、
「私はどうしたらいいんだろう」
という気持ちになる。
どうやって演奏するか?と
考えているのだが、
それだけでは済まないのだ。
「どのように生きるのか」を
問われてしまう。

峻厳。
悲しいような、厳しいような、
それでいて温かいような、
寄り添われているような。
慰められているような。
希望があるような。

この曲を通して、
前から感じていた疑問が
氷解したような気がする。
疑問というのはこうだ。

例えば「バビロン川のほとりで」
というコラール。
これはイスラエルの民が
捕囚にあってバビロンに連れて行かれた時、
バビロンの人たちに
「余興にお前たちの故郷の歌を歌え」
と言われた民の、
叫びを記した聖書箇所が題材だ。
長年帰還が許されない中、
どんなに故郷を慕わしく思ったことか。
そんな歌を楽しく歌えるはずがない、
そんなことをしたら心が破裂してしまいそう。
でも支配者の前でそれは言えなかっただろう。
一体どんな気持ちで歌ったんだろうかと、
想像するだけで胸が張り裂けそうになります。

が、このコラールは終始穏やかで、明るいのだ。
極限の悲しみと屈辱、
強烈な思慕の念を題材としているのに、
なぜ明るいんだろう、
というのが私の疑問だった。

このたび、少しわかったかも。
ヴァイオリンソナタを聴いて、
本当の希望というのは、
そういうものなんだろうな、と。

つまり、
一般にネガティブだと思われている
苦難とか別れとか悲しみとかが、
実は価値あるものには含まれていて、
それがあってこそ真実と言えるもの、
芸術、美と言えるものなんだろうな、と。

これをことばで言ってしまうと、
とても陳腐な感じ。
そもそも、人は真実に触れたら、
言葉を失うんじゃないか。

むしろ、
例えば音楽、例えば絵画、
そのようなものの方が、
より的確に私が言わんとしていることを
表現できるように思う。
私にとって、
この曲はまさにそういうものだ。

歌詞がない曲なのに
おかしいかな。


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