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母と私

私は自分の子どもがいないので
母ではない。
でも、私の母親はいる。

私にとってはちょっと付き合いづらい
微妙な存在だ。
なぜかぶつかってしまうから。

とはいえ、母は私に
多少歪んでいようとも
愛を注いで育ててくれたとは思う。

父の死後、
私と弟は、当然ながら
母を心配した。
父の最期を発見した母。
父の遺書の宛先となった母。
母は父を亡くして、
一人暮らしとなった。

弟と私は、
親の家から離れて暮らしていたため、
弟と私は父の葬儀を終えた後、
それぞれの生活の場に戻ったが、
独り身となった母を思って
それぞれに毎日母に電話をした。

母は非常にまっすぐな性格で
思っていることはすぐに口にする。
そのため、電話をすれば
聞かされる話は決まっていた。

自分がどれほど辛いか。
今日はあんなことを思い出した、
夫を思い出して辛い。
今日はこんな出来事があった、
夫を思い出して辛い。
夫を亡くした私に
あの人がこんなひどいことを言った。

悼みと怒り。
すべてこのパターンだった。
無理もない。

当時、臨床心理学の学徒だった私は、
娘としてできることは
母の話を無条件に
受け入れることだと思っていた。

毎日仕事を終えて退勤する時、
車に乗って一人になると
私は必ず泣いていた。
しかし涙をこらえて車の中から
駐車場から母に電話した。
電話で母の話を聞き、
切ってからまた泣いた。
号泣しながら運転し、
帰宅する時には涙を止めた。
家族に私の涙を見せるのは
めんどうだからだ。

盆暮には帰省したが
そこにあるもの全ては
父の生活の痕跡だった。

夏になると、何年経っても
父が仕事で被っていたヘルメットから
父の体臭が漂ってきていた。

こうして全ての事象が
父の死を思い出す刺激となって襲いかかった。
さらに母のグリーフ話が私に追い討ちをかけ、
私にとって帰省は過酷なものとなった。

母は私に、電話で、会えば対面で、
毎日私にグリーフを語った。
それは悼みの泥団子だった。
母が私に投げつける泥団子を
私は黙って胸に受けた。
泥が弾けて顔に体に飛び散った。
私はそれを拭き取ることを自分に許さず
甘んじて受け続けた。

私は自分のグリーフを
決して母に語らなかった。
そうすれば、
母の話はその後も延々と
続くことになってしまうからであり、
また私が母に思いを吐き出すことは
母を傷つけることでもあると思った。
今思えば、私も語って
共に慰め合えばよかったのかもしれないが
私にとってそれは
腫れ物を素手で刺激するようなことであって・・・
ああ、やはり今考えても、無理だ。

結果、私は心身を病んだ。
父の死に加えて、
母を受け止めること、
これが第二のダメージとなって
私は今も続く療養を
スタートさせることとなった。

私に子どもがいないのは
このダメージによるところが大きい。

それでも毎日の電話を続けていたのだが、
私は数年後、母の話を受け止めるのが
自分にとって過重なストレスと
なっていることをようやく自覚した。
臨床心理学を学んでいた私は
母のフォローは精一杯したのだが、
自分のダメージに気づくのは
かなり遅かった。
ある日勇気を出して
「もう毎日の電話はしない」
と宣言した。
もう、限界をとうに過ぎていたのだ。

弟は電話を続けてくれていた。
それが私にとっては救いだった。

父の死後、10年を過ぎる頃、
母は父への悼みを必ずしも語らなくなった。
父のことを語ったとしても
柔らかな思い出話となってきた。
また、弟の子どもたちが、
無邪気に母を笑わせてくれるようになった。
彼らは祖父の死の真相を知らない。
私は母からの泥団子を避けるためには
弟の子どもたちに手伝って貰えばよいのだと知り、
帰省した時も
母とうまくやっていけるようになっていた。

先日、母、弟家族と共に
父の墓を訪れた際は
父にまつわるおかしな思い出話を
皆で笑いながら語り合った。
私も泣き笑いしながら
加わることができた。

このようにして
今の私がいる。

きれいごとではなく、
ただ七転八倒しながら月日をやり過ごした
ということだ。

母は、
自分が私に何をしたかについて
全くわかっていない。
母は、形のない人の心というものを
あまり理解しない人だ。
そういう世代なのかもしれない。
分からせたいとは思わない。
それは彼女には無理だし
わかったところで
それは私の心配事を増やすだけだ。
弟も知らない。

ところで、上でダメージだと言ったが、
それは必ずしも忌むべきものではないと
このnoteを書きながら自覚しつつある。

父を亡くし、
母を支えようとして自分が壊れ、
妊娠出産のタイミングを失い、
子どもがいない私だが
これが必ずしも忌むべきことではないと
私は知りつつあるのだ。

不思議なものだ。





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