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【エッセイ】全ての「真実」を知ろうとする行為について
某YouTubeを見ていてふと思った。
それはノンフィクションで、ホームレスの方がいてその方が本当は家があるんじゃないかとか過去に犯罪まがいのことをやっていたのでは、などYouTubeのコメントで多数あり、それをホームレスの方本人に聞いて真偽の程を確かめると言うモノ。
本人はそんなことないと言っていた。
そんな事はどうでも良くて、問題なのが「真実はどうなのか、はっきりしろ」と言う姿勢が多数見受けられると言うこと。
確かにそれが台本であればノンフィクションではないし、やらせ番組としては問題ではあるけれど、そんな事どうでもいいのでは?と思った。
*****
そもそも真実を知って何になるのだろうか。
真実が嘘かの判断で、「知らない方がいいこともある」とよく聞くけれど、それは私が思っていることとは少し違う。
真実と言うのは一体なぜ必要なのか。
ある場面では真実を知る事が重要になる。
例えば殺人事件など。
そこまで極端ではなくとも仕事などでは必要な場面ではとても多いかもしれない。
ただ、全ての場面で真実が必要かと言うとそうは思わない。
全く知らない関係のない他人が真実がどうであろうと、それを問いただすような事に一体何の意味があるのだろうか。
特に、SNSや動画サイトなんていうものは目にしているものはほぼ赤の他人であり、そこに真実性があるかなんていうものはどうだって良いのだ、と感じる。
つづく。
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