【エッセイ】自分に必要な「情報」とは
ネット上には情報が氾濫している。
ネットを見ているだけで、
1時間が経ち、2時間が経ち・・・。
ネット上の情報と言うのは、
自分が興味あるものないもの、
その全てがある。
世界中の内戦も、今飲んでいる珈琲の銘柄も、
ほぼ全てを「表面的」に確認することが出来る。
他国での飢餓や戦争があると心が痛み、
動物の画像や動画を見ると心が温かくなる。
日本人がバットを持ち44本ホームランを打つと喜ばしい気持ちになり、外国人がシカを蹴ると怒りが増長される。
*****
私も、暇があればSNSやネットで様々な情報を見るけれど、そのほとんどが自分に全く関係が無い。
これはもう「趣味」なのだ。
1日1時間も2時間も情報を見るという事は、年間400時間~800時間は情報を見ている。
年間400時間〜800時間あれば、
一体何が出来るのか。
簡単な資格を2.3個取れるし、
バイトをすれば最低400,000円は稼ぐことができる。
仕事をしている人であれば、
800,000円~1,000,000円
ほど稼げるかもしれない。
私はその時間を「情報」を見る、
という時間に消費している。
これはもう完全に「趣味」としか考えられない。
私自身、ネットで情報を見る事が「趣味」と思っていない。
こんなにも時間を費やしているのに、
なぜ「趣味」という自覚を持てないのだろうか。
よくわからないが、不思議な現象だ。
*****
私が物心ついた時には、
すでにインターネットがあった。
ここまでの人生で、自分に関係のある必要な情報だけを確認して取り出すという事が出来ていない。
これは本当に難しい。
日本人とか女性とかZ世代とか、
自分の属性に紐づく情報は一見「関係がありそう」に思えるが、その大半は私には「まるで関係が無い」事を最近感じている。
関係ない情報についての記事は、
こちらでも触れている
そして、ある日突然「情報の取捨」が上手くなることなんて、おそらくー生無いと思っている。
これは直感的に、そう感じる。
そうなると「情報の取捨」について意識して生活しながら取り組むしかないけれど、今の私にはまだ出来ないので、今後の課題である。
つづく。
■他のエッセイはこちら