【エッセイ】文章に「保険」をかけるということ
私は事あるごとに文章を書いていて「保険」をかけている。
〇〇は〇〇だ!
しかし〇〇の場合は〇〇ということもある。
という感じで。
何故このような事をするかと言うと、文章は字面でしか伝わらないので、表現が欠けていると自分が伝えたい事が受け手に伝わらない。
要するに突っ込まれるのが面倒くさい
という事である。
文章だけでなく、言葉においても同じであり、突っ込まれたくないから保険を掛けるというケースが多いと思う。
という事は「保険を掛けない」方が相手に突っ込まれるので、突っ込まれたい場合は保険を掛けない方が良い。
それはどういう場合かと言うと、
ひとつは討論などの意見交換の場。
ここでは、突っ込み/突っ込まれつつ進むので、
保険をあえて掛けないのは有効かと思う。
また、もうひとつは、
注目を浴びようとする場。
つまり、SNSやyoutubeなどで多くの視聴者数や再生回数を伸ばそうとするような場所。
〇〇は〇〇だ!
と「断定」する方が突っ込まれやすい。
隙を多く見せて、
視聴数を伸ばすのが有効と感じる。
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断定は突っ込まれやすくなり、
保険は突っ込まれにくくなる。
注目を浴びたいのであれば前者、
目立たないようにするには後者。
どちらが正しいという訳ではなく、
場面に応じて使い分けるのがベストなのかなと思う。
しかし、断定はなかなか使いづらい。
毎回断定して突っ込まれるくらい、
堂々と生きたいとは思っている。
つづく。
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