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【エッセイ】本質的な事が「カフェ」で書けるわけがない事
私はよく物事の「本質的な事」を書いているけれど、書いている時はカフェだったりコーヒー飲みながらだったり、ゆったりしは気分で書いている。
そもそも本質的な事というのは、ゆるい環境の中で発生しているモノではない。
例えば「死」というのは、皆が迎えるモノであり、死ぬまでの過程で苦悩や苦痛などを伴い、最期は目の前がブラックアウトして終わるのだ
さらにもう一つ例えると「幸せ」というのは、幸せになるためには様々な苦難を超え、自分も制御する必要がある。
そのような事を書くのは、カフェでコーヒーを飲みながらジャズ音楽を聴き、心が安らぎながらPCのキーボードを叩いて書くような事とはとうてい思えない。
本質というのは、もっと澱んでいて濁っている。
現代の日本では汚いと揶揄される事と感じる。
それをPCで書いて、綺麗な文章に整え作業をしたところで、本質というのは全くわからない。
それでは今後はどうしていくのかと言うと、私はそのような深い溝にウジ虫やら強烈な臭いを放っているホンモノの本質がある場所には行けないので、これからもニセモノの本質を語るしかないのだ。
それでもいつかは、この本質的な場所へ行って何度も強烈な体験をする必要があると思っている。
つづく。
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