ようやく自分と出会えた

こんにちは、Kです。
今回は桜林直子さんの本を読んで自分なりに理解したことについて書きたいと思います。

世界は夢組と叶え組でできている

この本と出会ったのはつい最近です。
自分のアイデンティティーについて悩んでいた時、偶然目にして読みました。

詳細は省きますが、この本は著者の桜林さんが自身が考え行動したことの記録だそうです。
疑問に思ったことを深掘りし、そうして自分が何を感じているかを明らかにする・・・自分と向き合うための指南書のようだと思いました。

自分がわからない

私はすでに四十代ですが、ずっと自分というものがわかりませんでした。

本の内容にしたがって好きなこと、嫌いなことなどを書き連ねてみようとしましたが、中々出てこないのです。きっと感情にフタをしてしまっているのでしょう。

ではどうして自分の感情にフタをしてしまったのか。
妹の助けも借りて考えていくうちに、ふと子供の頃のことが思い出されました。

普通の家庭?

私はサラリーマンの父と専業主婦の母との間に生まれました。他に双子の妹と二つ違いの弟を入れた五人家族でした。

父は仕事のため週に一度しか家に帰りませんでした。なので母が一人で家事育児全般をこなしていました。
両親が真面目に働いてくれたおかげで、私達姉弟は何不自由ない生活を送れました。夏休みには海へ遊びに連れて行ってくれたり、誕生日やクリスマスにはプレゼントももらいました。

一見どこにでもある普通の家庭のようです。私も長年ずっとそう思ってきました。しかし父と母には決定的に欠けているものがありました。

個人を尊重しない

私は父や母から「何が好き?」「どうしたい?」といったことを尋ねられた記憶がほとんどありません。

両親にとって、例えば子供が学校に行くのは当たり前で、私の意志など関係ないという態度でした。
転んで泣いても「痛くない、泣くな!」、いじめられたら「やり返せ!」・・・その時々で私が感じていることをことごとく否定しました。
どこかへ遊びに出かける時も「どこへ行きたい?」とか、そもそも遊びたいかどうかも確認されません。遊ばせるのは父や母の気分次第です。
代わりにしょっちゅう言われたのが「他人に迷惑をかけるな。」でした。親の意向はいつも至上命令のようでした。
また私と妹は一卵性双生児で非常によく似ていたため、たまにしか会わない親戚などから度々間違われました。
母の口癖は「どっちでもいいから。」でした。

他人に興味がない

頻繁に個を否定されて育ったせいか、私はいつしか自分の思考や感情に興味を持たなくなっていました。と同時に他人への関心も薄れていました。友達と呼べるのはゲームやマンガなど趣味の合う限られた人だけ。

中学生ともなれば将来を考え進路をどうするか悩むものですが、私はこれと言ってしたいことがありませんでした。母に「もう勉強したくないから進学はしない。」と告げたら怒られたので、その時の成績で楽に入れる高校を選びました。

かたや塾に通い、必死で勉強する同級生たちの気持ちがどうしてもわかりませんでした。何でそんなに努力できるのか、それほどまでに目指す進路には何か楽しいことが待っているのか、全く理解できませんでした。

私はすでに人生にうんざりしていました。

挫折してひきこもりに

それでもどうにか高校を卒業した私は、一般企業に就職し事務職として働き始めました。ところが異変はすぐに襲ってきました。パニック障害を発症してしまったのです。

結局会社は二年程で辞めました。しかしパニック障害は治まりません。家から一歩も出られなくなった私は、この後十数年もの間自宅にひきこもりました(パニック障害の他にもうつ病やLiD(聞き取り困難症)など数々の障害に見舞われましたが、それについては他の回で書きたいと思います)。

ようやくつかんだ手掛かり

どうにかして健康的な生活を取り戻したいと思った私は、通院を続けながら数々の本を読み漁りました。

自己啓発に始まりスピリチュアル、占い、引き寄せ、森田療法・・・色んなジャンルを片っ端から読み込みました。そして最後に辿り着いたのが「毒親」でした。

他人の思惑が優先

私は二十代頃から自分が他人にどう思われているのか非常に気になるようになりました。他人が怖くて仕方がなく、常に顔色をうかがっていました。そして益々自分のニーズがおざなりになりました。

人生が他人事

一方でそんな自分をどこか冷めた目で見ていました。自分の人生なのにまるで他人事のように感じていました。他人事なので何とかしようという気も起きない。例えて言うならテレビの中の自分を見ているような感覚です。他人と自分との間に見えないベールがあるようにも思っていました。

自分に関心がない

桜林さんの本を読んで、好きなことを100個書き出してみようとしても中々進まないのは何故だろうと疑問でしたが、ずっと自分と向き合ってこなかったからだとわかった時、衝撃が身体を突き抜けました。

長い間他人や世間に迎合しようとするあまり、自分のニーズを置き去りにしてきた・・・だから好きなことも嫌いなことも、したいこともしたくないこともわからず、責任感や義務感だけで生きてきた私。そしてそれは個性を受け入れてもらえなかった幼い頃の養育環境が原因だったのではと思い至って、のどにつかえていたものが取れたような爽快感を得ました。

両親がするように私自身が私の欲求を無視してきた。自分に対する関心を失ったから他人にも興味が持てないんだとようやく腑に落ちました。

両親の功罪

「毒親」の本を読んだ時、私は初めピンときませんでした。何故なら父も母も私達子どもに暴言や暴力を振るったことがないからです。
しかしそれは物質的な面は満たしてくれても、精神的な面は不十分だったのだと後からわかりました。

一番の原因は両親の言葉、コミュニケーションの足りなさだったように思います。

私が働く意欲を失っていた時、母はよく「お金のため」と言って私を奮起させようとしました。しかし当時の私には、母がただ単に金の亡者のように思えました。

今ならお金の大切さが、母の言いたかったことがわかります。
食べることは欠かせませんし、税金や保険料を納めたり、他にもスマホ代や水道光熱費を払ったり・・・お金が全てではないとしても、あれば物質的な豊かさは得られます。そして物質的な豊かさが安心感となって気持ちにゆとりが生まれ、精神的にも安定します。

これからの私

ようやく幼い頃に見失った自分に再会できたような気がします。しかしだからと言ってこれが終わりではなく、むしろこれからどうするか、私の人生はリスタートを切ったばかりです。

鍛えないと筋肉は衰えるように、気を付けていないとまた元の「自分に関心がない私」に戻ってしまう。だからこれからは常に「私は何が好き?」「私はどうしたい?」と問い掛け続けていこうと思います。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

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K
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