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自分が思っているルールで戦うのは結構難しいことかも

あけましておめでとうございます。2025年元日の夜です。
新年の抱負、の手前にある「これから考え続けていこうかな」と考えた事柄を記します。

こころがつらくなる状況

私は、仕事が原因で適応障害になりました。
当時の事柄を振り返ると、会社や上司の方針に納得が出来ていなかったことが多かったように思います。組織の方針が自分の価値観とは合わず、自分の信じる考え方を貫こうとしても組織全体の理解を得られるような動きもできず、チームを率いられず、仕事を停滞させ、自己嫌悪が積み重なっていきました。
この、「会社や組織の方針に納得が出来ない」という状況は、おそらく今後も組織の一員として働く以上、発生すると思われます。そのようなときに、どう対処するか。

 『コンプライアンスの観点で問題が無いと思えるならば、まずは組織の方針を受けとめてみる』
 『そうしても、その方針はわたしの人格を表すものではないし、背負わず肩の力を抜く』

真正面で受け止めない、自分と仕事を同一化しない、他人の評価を気にしない。自分のこころを逃がして、やりすごす。
これが、今思う選択肢のひとつ。

それに加えて、最近思うこと。
わたし自身が「なんか、この仕事に意味が感じられないな」と、ざらつきストレスを感じ、それが重なるとこころがつらくなってしまう正体のひとつが見えてきました。それは、

『今しなければならないことについて、そこに焦点をあてた判断・行動のステップに基づいて行われずに、主に他の目的のために設けられた手段や手続きに基づき判断が行われ、それに向けて多大な労力が必要になること。さらに、そのために本来の目的がゆがんでしまうように思えること』

具体的ではないけれど、例示します。

Aという事柄の判断のために、Aの果たす目的が仮に一つだとして、その目的に合致するか否かだけに照準を当てて判断・行動すればいい、ということはほとんどありません。
手続きにおいては、Bという法律を遵守した手続きか、Cという会社が独自に決めた手続きをふまえているか、判断軸においても、Dという会社内の他組織の価値を損じていないか、Eという過去の経験から導かれた妥当性等、多種多様な観点が必要になります。

そのことは必要だとは理解します。
手続きについては、経営に大きな影響を及ぼす事柄であれば、株式会においては株主保護・会社運営の透明性の確保のために、会社法に基づく各種手続きである必要があります。
判断軸についても、会社全体、あるいはグループ全体としての視点をもって、判断し行動する必要があるでしょうし、未来の事柄の予測は過去の経験から推測することも大事でしょう。

ですが、そこまで経営にインパクトを与えないであろう事柄についても、決定手続きを各組織や各チームに与えず、まさに階段を登るように何度も会議にかける手続きを経ないといけない状況であったり、その判断も個々の事象の状況に基づかず、あらかじめ定めた「判断軸」だけで決められていくことに違和感を感じていたのです。
「テニスをするのに、サッカーのルールでしか判断しないと審判が宣言する」ような状況におかれたようなもので、その戸惑いと審判としてそれで良し悪しが判断できるの?と思うこと、これがわたしが仕事で感じるストレスの要因のひとつであったと思います。

どうしたら良いのかな?

この違和感に対して、まだ自分の中で「これだ」という解決策は持ち得ていません。
うまく対処できるかわかりませんが、今考えていることは以下です。

わたしがいくら「その物事の決め方はおかしいな」と思ったとしても、自分自身が判断する立場にないのであれば、わたしが思うルールでは試合は成立しない。組織の中においては、自分が正しいと思っているルールでは戦いにならないこともあるのだ。
判断する仕組み(ルール)に対して、それを使うなんておかしいと思っても、それを使えないわたしは試合に参加出来ない。

不要な仕事や会議だと感じ、時間効率を上げて最短距離で目的に辿り着くことが出来ないことでストレスを感じ、さらにその仕事意味ありますか、と思ってしまう・・・
この悪循環に対しては、遠回りのように感じるけれども、この仕組みは自分にとっては新しいスポーツのルールなんだと、理解しようとする視点を持ってみる。


課題(要因)を見つけること、それらに対する対応策を考えていくこと。
引き続き考えていきたいと思っています。
(了)

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