見出し画像

幸田 正典『魚にも自分がわかる ――動物認知研究の最先端』

☆mediopos-2525  2021.10.15

「鏡に映った自分の姿を見て、それが自分だとわかる」
というのは人間だけではない

人間以外のチンパンジーも
そしてホンソメワケベラという魚も!

脊椎動物の鏡像自己認知では
最初は明らかに他の個体と見なし
(知らない他個体だと勘違いをして攻撃する)
(ステージ1)

そのうち変だぞと疑いはじめ
不自然な確認行動を繰り返し行いながら
鏡像の随伴性を確かめながら
自分であることに気がついていく
(ステージ2)

興味深いのはイカ・タコといった頭足類で
攻撃的社会反応(ステージ1)
や確認行動(ステージ2)が一切見られず
同種他個体には挨拶行動や攻撃行動をはじめるが
鏡の自分の姿に対しては
攻撃行動も不自然な確認行動もせず
いきなり鏡面の自分の姿を触りはじめるという

こうした研究を知ると
では昆虫類はどうなのだろうとか
興味がわいてくるがどうなのだろう
眼が複眼だったりもするので鏡像といっても?

とりあえず脊椎動物に限られるとしても
自己認識のプロセスにおいては
なんらかの鏡像自己認知段階があり
やがて自と他の違いを認識するようになるようだ

じぶんを即じぶんだと同一化して
それ以外の外的存在をじぶんとな異なった存在とみなす
というのは生命としての基本的な態度でもあるだろうが
(そうでなければ生き残っていけない)

即自的なじぶんではなく
外に映ったじぶんをじぶんだと見なすというのは
じぶんの身体の像を外から見ているということであり
勝手に拡大解釈をすればそれを見ているじぶんは
身体そのものではないということにもなる

さて本書の最後のほうに
思考と言語の問題も示唆されているが
鏡像自己認知をへて
鏡に映ったじぶんをじぶんだと理解する際には
言語と結びついていない思考があるということでもある

「鳥のカケスも、過去を振り返ることや、
将来のことを思い描くことができる」そうだが
じぶんのことをふりかえってみても
通常いわれる思考ではないものがなければ
成立しない認識があるのも確かではないかと感じる

言語と結びついた思考現象は
ある意味で思考以前の認識の後付けでさえある
それはずいぶん遅い乗り物でしかない
源思考とでもいえる認識は
直観とでもよぶことができるかもしれないが
それがどのように働いているのかはよくわからないけれど

■幸田 正典『魚にも自分がわかる ――動物認知研究の最先端』
 ( ちくま新書 筑摩書房. 2021/10)

「ホンソメワケベラという小さな熱帯魚が「鏡に映った自分の姿を見て、それが自分だとわかる」という研究を、ここしばらく行ってきた。」
「魚類の自己意識に関する問題に取り組んでいるのは、世界でも我々の研究室(大阪市立大学理学部・動物社会研[通称])だけである。我々の研究成果は、これまでの常識と大きく異なり、魚の自己意識、その他のいくつかの「賢さ」、そして「こころ」さえも、どうも人間とかなり近い面があることを示している。これまでの常識をただすときが来たのかもしれない。」

「我々は、ヒトや哺乳類だけではなく、魚類も顔認識を通して相手個体を認識・識別していることを発見した。さらに、魚もヒトのように、顔を特別なものとして認識し全体処理することで、素早くかつ正確に顔認識していることを示してきた。ヒトも魚もともに相手個体の「顔心象」を持ち、無自覚にそれと照らし和え合わせて「誰々さん」と認識しているのである。
 さらに大事な点は、この顔認識の神経基盤である顔神経系が、どうやら魚からヒトまで共通していそうなことである。(…)
 そして、ホンソメもヒトのように、鏡像の自分の顔を自分の顔心象と照らし合わせて鏡像自己認知することがわかった。ホンソメの鏡像自己認知の本質はヒトの場合と似ており、おそらくこの能力にも「相同性」(自己意識相同仮説)があるだろう。
 この鏡像自己認知の過程は、ヒトと魚ともに相手個体の顔心象と照らした他者認知の過程と似ている。顔心象と照らし合わせる他者認知の様式を、ヒトも魚も自己鏡像の認識に援用していると考えることができる。」

「脊椎動物では、魚からヒトまで広い範囲で鏡像自己認知が認められるが、認知が起こる過程は共通している。はじめは、鏡像を同種他個体と見なし社会的行動(多くの場合は攻撃行動)をとり、次に自分かどうかを確かめるための不自然な行動を鏡の前で繰り返す。鏡像自己認知のやり方については、魚類とヒトが顔に基づいて認識しているので、おそらく「そのあいだ」の他の脊椎動物も、やや強引にいうと顔認識で行っているのだろう。
 しかし、頭足類のイカやタコの鏡像の確認の仕方は、脊椎動物の場合とは大きく異なる。アオリイカに同種他個体をガラス越しに見せると、社会的な挨拶行動や攻撃行動をはじめる。これに対し、鏡の自分の姿に対してはスーと近寄り、攻撃行動も不自然な確認行動もせずに、いきなり鏡面の自分の姿を触りはじめるのだ(…)。これは脊椎動物とは異なる反応であり、自己指向行動の起こり方はまったく違う。」
「イカ・タコには、脊椎鵜動物に共通して見られる、攻撃的社会反応(ステージ1)や確認行動(ステージ2)が一切見られないのだ。逆に、頭足類の例は、魚・鳥・イルカ・ゾウ・ヒトまで多様性がいくら高くても、分類群がいくら離れていても、脊椎動物の鏡像自己認知過程の共通性が高いことを浮き彫りにしている。イカ・タコの例は、脊椎動物の自己認識様式の類似性、統一性あるいは保守性を再認識させる。」
「頭足類の個体認識のやり方はまだわかっていない。脊椎動物が、魚からヒトまでが共通して顔心象を持つ他者認識と自己認識とは対照的に、彼らの認識方法は大きく異なっている可能性もある。脊椎動物門と軟体動物門という大きく異なる動物門内での類似性、動物門間での相違性が明らかになってくれば、より広い視野から脊椎動物の自己意識の問題に迫ることができると期待される。」

「脊椎動物の鏡像自己認知では、チンパンジーもホンソメも、さらに多くの動物でも、はじめて自分の姿を鏡で見たときは、知らない他個体だと勘違いをして攻撃する。その後、変だぞと疑いはじめ、不自然な確認行動を繰り返し行って鏡像の随伴性を確かめつつ、考え(あるいは悩んで)自分であることに気がついていく、という認知の過程を経ている。どの脊椎動物でも、すべてが鏡を見たことのない個体である。
 最初は明らかに他の個体と見なし(ステージ1、鏡を見て1〜3日まで)、そしていろいろと確かめていくなかで、どこかの時点で「自分だ」と気づいているのである。それは、おそらく確認行動が始まり終わるまで(ステージ2、鏡を見て4、5日ごろ)のことである。それ以降の、鏡を覗き込む段階がステージ3である。この覗き込みは、自己指向行動と考えられ、自己鏡像が自分だと認識できたと考えられる時期である。
 確かめるといっても、その内容は自分自身の姿や自己の顔である。鏡像を自分だと認識するというのは、ホンソメにとってはさすがに難しい問題だろう。なにせそれまで見たこともない存在であるし、未体験の出来事である。」

「ホンソメが自分だと気づく過程は、大きく2つの可能性が考えられる。1つは不自然な確認行動を始めてから、時間の経過に従い、右肩上がりに次第にわかっていき、最後に100%自分だとわかるという可能性である。もう1つは、何度も確認行動を繰り返している中で、ある時点で「あっそうか、俺か!」と一気に気づく可能性である。
 前者の場合は、頭の中で鏡像をどのように確認し理解しているのだろうか? 最初は得体の知れない不可解な存在である。そのうち20%わかった、60%わかった、80%わかった状態というのが、私には想像できない。とはいえ、相手は魚なのだから未知の能力があるのかもしれない。
 ただ私は、自分自身の経験やこれまで魚を見てきた経験からして、ホンソメは、ある時点で一気にわかるのだろうと、はっきりした根拠はなしに考えていた。
 ヒトには、「ひらめいた」という言葉が当てはまる瞬間がある。まったく未知の物事を深く長く考えて、その「答え」に気づいた瞬間、「わかった!」とか「そうか!」という肯定的な高揚感を伴う心的状態になる瞬間(=Eureka moment)である。」

「思考はふつう言語と密接に結びつくとされている。だから、言語をもたない動物は思考ができないと見なされてきた。しかし、ホンソメが見せる「ユーリカ」は、魚類が思考の末に自分だと理解した瞬間と言えそうであり、この例は言語を持たない動物も、思考ができる可能性を示している。言葉を持たない鳥のカケスも、過去を振り返ることや、将来のことを思い描くことができる。」

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?