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櫻井武『SF脳とリアル脳/どこまで可能か、なぜ不可能なのか』

☆mediopos3730(2025.2.4.)

脳の覚醒にかかわるオレキシンや
「人工冬眠」を引き起こす
ニューロンを発見した神経科学者であり
SFファンでもあるという櫻井武が

『SF脳とリアル脳/どこまで可能か、なぜ不可能なのか』で
SF作品に描かれてきた「SF脳」の実現性を検証しているが

「「じつは「脳だけコピー」してもムリだった
 …ヒトの意識は「からだ」がなければ、
 「そもそも生じない」という驚愕の事実」

という著書からの編集による記事が
講談社ホームページに掲載されている

『SF脳とリアル脳』には
『攻殻機動隊』『順列都市』『夏への扉』
『追憶売ります』『TENET/テネット』『LUCY/ルーシー』
『ベガーズ・イン・スペイン』『2001年宇宙の旅』
といったSF作品がとりあげられ

それらの作品では
「電子化して不老不死となった脳」
「意識をデータ化して取り出せる脳」
「記憶が書き換えられる脳」
「眠らなくてもよい脳」
「「心」をもった人工知能」など
「脳」がさまざまにテーマにされてきているが

コンピュータに意識を移して
ヴァーチャルリアリティの世界で生きられるかといえば
「脳とは本来、感覚系からきた外界の情報を
処理する装置ともいえる」ように
ヒトの意識は「からだ」を必要としている

「胸がときめく」「はらわたが煮えくり返る」
「手に汗を握る」といった表現もあるように
「フィードバックを介した身体の情報」や
自律神経系や内分泌系からの影響も受けている

「「私たちは「自分の体」を動かし、
「自分の体」で見て、聞いて、触れて、
感じることによってこそ、
世界を生き生きと認知することができるのである」

生きている脳は
「身体から切り離されると覚醒状態や意識を失い、
ノンレム睡眠に似た状態になる」

「脳だけを身体から取り出したあと、
感覚系からの入力がなくなると、
覚醒は保てない」のである

たとえ機械の中に意識が転送され得たとしても
「人間的な人格まで保持するためには、
物理的な身体や、そうでなければ少なくとも
ヴァーチャルリアリティによって、
外界の情報やイメージをインプットするシステム」を
必要とする

「脳」というのはただの「臓器」ではなく
神経系のすべてや
神経系に接続する全身の組織も含めた生命体が
一体となってシステムとして機能しているのである

そうした情報処理システムをつくることができ
「そのようにしてつくられた「脳」が
仮に人格をもつに至ったとしても、
それはヒトが生みだしたメカニズムに由来する、
独自の新たな人格」である

ヒトの大脳皮質の情報処理機構は
ほとんど解明されてはいないし
たとえ神経科学が飛躍的に進歩し得たとしても
「生体の情報処理機構」と
「コンピュータの情報処理機構」とは
まったく異なった原理で機能しているため
両者の情報処理機構を一体化させるのはさらに困難である

「生命」と「機械(物質)とは
その働く機構において
まったく異なった次元で働いている
しかもさらには「生命」を超えた
「感覚」「感情」「自我」といった機構を
一体化させるためには
人間がこれまで遙かな時のなかでたどってきた
進化過程を必要とするだろう

単純すぎる比喩だが
「脳」をPCととらえるとすれば
「脳」はあくまでもヒトによって
オペレートされるものであって
ヒトは「脳」だというわけではない

「「脳だけコピー」してもムリ」なのである

■櫻井武『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』
 (講談社ブルーバックス  2024/12)
■櫻井武
 「じつは「脳だけコピー」してもムリだった
 …ヒトの意識は「からだ」がなければ、「そもそも生じない」という驚愕の事実」
  *(上記著作からの編集(講談社ホームページ))

「電子化して不老不死となった脳、意識をデータ化して取り出せる脳、記憶が書き換えられる脳、眠らなくてもよい脳、「心」をもった人工知能。SF作品において「脳」は定番のテーマであり、作家たちはもてる想像力を駆使して、科学技術が進んだ未来の「脳」の姿を描いてきました。」

・物理的な身体の必要性

「「意識を機械に転送する」というと、どこかの部屋に固定された計算機の中で生きつづけることを想像する方も多いだろう。コンピュータに意識を移したのであれば、コンピュータ内に広がっているヴァーチャルリアリティ世界に生きればよい、という極端な考え方をする人もいるかもしれない。

 しかし、動物というものは動くことで、自分の周辺にあるリアルワールドの情報を収集していくのが本来の姿であり、そうする本能をもっているものだ。やはり私たちは、この世界のあり方を動いて理解したいのだ。

 脳は運動系を介して体を動かしているだけではなく、運動系からのフィードバックも受けている。また、脳は自律神経系や内分泌系を介して全身の機能を制御しているが、脳や精神の機能も、自律神経系や内分泌系からきわめて大きな影響を受けている。

 このようなフィードバックを介した身体の情報は、意識にものぼる。「胸がときめく」「はらわたが煮えくり返る」「手に汗を握る」などの表現は、それをよく表している。

 そして気分は、全身の状態の影響を強く受けている。有機的な身体と接続していないということは、体験がもとになって起こる身体の変化を体験できないということだ。心臓がなければ胸のときめきもないし、手がないなら汗を握りようがない。涙腺がなければ泣くこともできないし、内分泌器官がなければアドレナリンやコルチゾールなどの血液中のホルモン変化も起こらない。

 だから、生体の脳の機能を完全に模倣できる機械をつくるには、このような身体の変化までシミュレートして、それがどう精神活動に影響を与えるかを演算することも必要になってくる。そのためには、ロボットのような物理的な身体を与えるほうが、本来の脳の機能により近づくことができる。脳とは本来、感覚系からきた外界の情報を処理する装置ともいえるのだ。」

・脳は、それだけでは機能し得ない

「私たちは「自分の体」を動かし、「自分の体」で見て、聞いて、触れて、感じることによってこそ、世界を生き生きと認知することができるのである。

 実際に、生きている脳も、身体から切り離されると覚醒状態や意識を失い、ノンレム睡眠に似た状態になる。覚醒の維持には、脳幹を中心とした下位構造から大脳皮質に向けての絶え間ないインプットが必要なのだ。

 たとえば脳だけを身体から取り出したあと、感覚系からの入力がなくなると、覚醒は保てない。エール大学のグループは、ブタの脳を取り出して生かすという実験を行ったが、ニューロンは生きていても、意識や覚醒を保つために必要な統制のとれた脳活動は観察できなかった。

 つまり脳は、感覚系あるいは神経系などからの絶え間ないインプットがなければ、意識を保てない構造になっている。機械の中に転送されて生きる意識も、人間的な人格まで保持するためには、物理的な身体や、そうでなければ少なくともヴァーチャルリアリティによって、外界の情報やイメージをインプットするシステムが必要だろう。

 ときどきSFには、身体から切り離された脳だけが、培養液のようなものの中で生きつづけていて、精神活動も行っているという設定がみられるが、この場合も同様に、身体がないことにより脳の活動は本来のものとは大きく異なるものになるだろう。

 脳は一つの臓器のように思われがちだが、脊髄と一体となって中枢神経系をつくっていて、脊髄を介して、あるいは直接、多くの末梢神経系にも接続している。そうした神経系のすべてが、さらにはその神経系に接続する全身の組織も含めた生命体が、一体のシステムとなって機能しているのだ。」

・最も難しいハードル

「コンピュータやAIの技術がさらに進歩すれば、いつかは、脳の各部の機能をそなえた電子デバイスを並列に駆動することで脳を模倣した、情報処理システムをつくれるかもしれない。

 ロボットのような身体にさまざまなセンサーを装備し、それらから得られた情報をシステムに入力し、電子頭脳からの出力をロボットのアクチュエーターに送ることで、生体の脳と同じように機能するメカニズムをもった「意識」をつくることも、夢ではないかもしれない。

 しかし、こうしたことが可能になり、そのようにしてつくられた「脳」が仮に人格をもつに至ったとしても、それはヒトが生みだしたメカニズムに由来する、独自の新たな人格だろう。

 人格をもつロボットがつくれればそれだけでも大変なことではあるが、すでに固有の人生を歩んでいる私たちの脳の機能をその装置に転送し、生身の私たちと同じように世界を感じ、みずから思考し、行動できるようにするには、つまり個人の人格が機械の中で半永久的に生きられるようにするには、さらなる、そしておそらく最も難しいハードルがある。これを越えられないかぎり、「私が私である」という自我を機械に移植することは不可能だろう。

 それは、脳ではどのような情報処理が行われているか、そしてどのように情報が「記憶」として蓄えられているかを、正確に読みとることである。

 ヒトの大脳皮質の情報処理機構は、いまだにほとんど解明されていない。それを正確に読みとるには、神経科学の革命的な進歩が必要だ。しかし、生体の情報処理機構と、コンピュータの情報処理機構はまったく異なる原理を使っている。

 以前の記事でも述べたように、ニューロンや、ニューロンの集合したモジュールであるカラムの作動原理を理解し、そこで行われている情報処理を外部から読みとる方法が確立されなくては、脳から情報を読み出すのは難しい。」

・冒頭の作品から……

「意識(精神)のデータ化・デバイスへの転送を描いた作品たち。

 ********
 ポールはうなり声をあげながら、体を床におろした。
 (わたしは、〈コピー〉なのだ)
 どんなに記憶が継続していようとも、自分は“もはや”人間ではない。
 ********
 グレッグ・イーガン『順列都市』(1994年)

 本テーマ初回で、オーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンが1994年に著した『順列都市』(原題 Permutation City)をあげたが、それ以外にも、精神転送を扱った作品は多い。

 同じグレッグ・イーガンの『ディアスポラ』にも、同じような「コピー」という技術が出てくるし、先の記事でもふれた『攻殻機動隊』でも、人間の意識をネット上に転送するというテーマが扱われている。全世界で大ヒットした映画『マトリックス』(1999年)も、仮想空間でのイベントが題材だ。リチャード・モーガンの『オルタード・カーボン』(2005年)も、人間の意識がデジタル化され、身体を交換することで死を超越した27世紀の未来を描いている。」

□(おもな内容と、登場するSF作品)
 第1章 サイボーグは「超人」になれるのか(『二重太陽系死の呼び声』ニール・R・ジョーンズ)
 第2章 脳は電子デバイスと融合できるか(『攻殻機動隊』士郎正宗)
 第3章 意識はデータ化できるか(『順列都市』グレッグ・イーガン)
 第4章 脳は人工冬眠を起こせるか(『夏への扉』ロバート・A・ハインライン)
 第5章 記憶は書き換えられるか(『追憶売ります』フィリップ・K・ディック)
 第6章 脳にとって時間とはなにか(『TENET/テネット』クリストファー・ノーラン監督)
 第7章 脳に未知の潜在能力はあるのか(『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督)
 第8章 眠らない脳はつくれるか(『ベガーズ・イン・スペイン』ナンシー・クレス)
 第9章 AIは「こころ」をもつのか(『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック監督)

○櫻井 武
1964年東京生まれ。筑波大学大学院医学研究科修了。筑波大学基礎医学系講師・助教授、テキサス大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員、筑波大学大学院人間総合科学研究科准教授、金沢大学医薬保健研究域医学系教授などを経て、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構副機構長。医師、医学博士。日本睡眠学会理事も務める。
1998年、覚醒を制御する神経ペプチド「オレキシン」を発見。睡眠・覚醒機構や摂食行動の制御機構、情動の制御機構の解明をめざして研究を行っている。
第11回つくば奨励賞、第14回安藤百福賞大賞、第65回中日文化賞、平成25年度文部科学大臣表彰科学技術賞(研究部門)受賞。
著書に『睡眠の科学』『食欲の科学』『「こころ」はいかにして生まれるのか』(以上、講談社ブルーバックス)、『〈眠り〉をめぐるミステリー』(NHK出版新書)がある。

◎Netflixオリジナルドラマ『オルタード・カーボン』プロモーション・ビデオ。

傑作SF小説を原作としたNetflixオリジナルドラマ『オルタード・カーボン』の舞台は、300年後の未来。人間の心がデジタル化された世界では、”スタック”に保存した心を新しい身体(スリーヴ)に埋め込むことで、肉体の乗り換えが可能となっていた。 物語の主人公は、ジョエル・キナマン演じるタケシ・コヴァッチ。新たなスリーヴにスタックを埋め込まれ、数世紀後の世界に生き返ったコヴァッチは、地球の資産家であるローレンス・バンクロフト(ジェームズ・ピュアフォイ)の殺人未遂事件の真相を追うことになる。何度も生き返ることができる世界で、誰が、なぜバンクロフトを殺したのか。そしてコヴァッチの隠された過去とは…。

◎櫻井 武
「じつは「脳だけコピー」してもムリだった…ヒトの意識は「からだ」がなければ、「そもそも生じない」という驚愕の事実」
*講談社ホームページ


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