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『現代詩手帖2022年9月号』〜〜三浦雅士「思想が詩に結晶するということ/那珂太郎の宇宙」より)/『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』

☆mediopos2745  2022.9.1

那珂太郎は一九二三年一月二十三日生まれ
二〇一四年六月一日にすでに亡くなっているが
生誕百年ということで
『現代詩手帖』で特集が組まれている

巻頭には生前最後の詩
「四季のおと」が収められていて
その作品についての
三浦雅士のエピソードが興味深い

那珂太郎の喜寿か何かのお祝いの席で
三浦雅士が那珂の詩集『音楽』を
「さらに方法的に発展させることを望んでいた」ことを
那珂に見透かされていて狼狽したことがあったというのだが
その後四篇から成る詩作品「四季のおと」が
最晩年に書き留められていたことを知る
そしてその作品こそが
三浦の望んでいた作品にほかならなかったのだという

詩集『音楽』の展開は
三浦雅士だけではなく
那珂太郎の詩の愛読者のだれしもが
望んできていただろう

「背景に恐ろしいほど深い思索があることは疑いないが、
それを少しも感じさせない。
また、語音への過剰なこだわりも捨てられている。
ただ、四季の風が光と音をともなってすぎてゆくだけなのだ。
「四季のおと」は永遠を感じさせる。」

まさにである

若き日那珂太郎には
「気が付いたら居たんですからね」という
中原中也の口癖のような
「自己には根拠などまったくな」く
「根拠は自ら与えるほかない」という
実存的な思想をもっていて

その後の「那珂太郎の詩と思索の展開」もまた
近代的な自我ゆえに生じざるをえない
「自己への問いかけ」
「自己言及の悪循環」である「虚無感」を
背景としているところがある

那珂太郎の詩を愛読する者は
どこかそうした虚無感に共振しながら
自己言及に陥りがちな者でもあるのだろう
ぼく自身がそうであるように

そんななかでの
「音」へのこだわりがある

その「音」に関するところを
「詩論のためのノオト」から引用してみた

「純粋にことばの音といふものはない」
「一つの言語体系の中においてしか、音象たり得ない」

「ことばの音は、いはば〈ことだま〉のこだま」であり
それが「遠い潜在的意識なり記憶なりをよびさまし、
深奥の情緒にうったへる力をもつ」

「ことばの音韻性」は
「単に聴覚美としての効果をねがっての、技巧なのではない」
「虚心にことばの自律的うごきに随はうとする」ことで
「ことばをしてことばを呼ばしめ、
ことばをしてみづから行かしめることによって、
おのれの未知の領域に達しようとする」

「したがって、そのとき構文法は顕在的論理によって拘束され」ないが
「論理はこえられても意識はたえず覚めてゐなければならぬ」

「詩作品は、直接だれかにむかって書かれるのでもない。
それは自らおのれを超えたところの、
より大いなる無への供物とでもいふべきであ」る

つまり
おのれの「自己言及の悪循環」である「虚無感」を
「〈ことだま〉のこだま」としての「音韻性」によって
論理を超えたところの「大いなる無への供物」とする
ということではないか

忘れてはならないのは
「意識はたえず覚めてゐなければならぬ」
ということだ
集合意識へみずからを委ねるのではない
そこにはあくまでも「自己言及」という
無限の循環が存在している
それゆえにポエジーがそこに成立し得ているのだ

■『現代詩手帖2022年9月号』
 (思潮社 2022/8)
■『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』
 (思潮社 1968/11)
■『続・那珂太郎詩集 (現代詩文庫) 』
 (思潮社 1996/11)

(『現代詩手帖2022年9月号』〜「那珂太郎 四季のおと」より)

「春

ひらひら
 白いノートとフレアーがめくれる
 ひらひらひらひら
 野こえ丘こえ(まぼろしの)蝶がとぶ
 ひらひら
 花びら(の)桃いろのなみだが舞ひちる
 ひらひらひら
 ゆるやかな風 はるの羽音」

「夏

かなかなかな
 積乱雲の渦まくひかり
 かなかなかな
 燃える季節が(ゆっくり)暮れてゆく
 かなかなかな
 蜩が大気に錐をもみこむ
 かなかなかなかな
 光がかなでる銀色の楽器」

「秋

りり、りりり
 草むらにすだく蟲のこゑ(か)?
 りりり、りり
 鳴りやまぬ 魂の耳鳴り(か)?
 なが月 ながい夜
 りりりりりりりり
 無明のゆめの芒をてらす月」

「冬

しんしんしん
 (しはすの)空からすだれがおりてくる
 しんしんしん
 家の内部に燈りをともし
 しんしんしん
 見えないものを人は見つめる
 しんしんしん
 それは時の逝く足音」

(『現代詩手帖2022年9月号』〜三浦雅士「思想が詩に結晶するということ 那珂太郎の宇宙」より)

「那珂太郎の起点は短編小説「らららん」である。第一詩集『ETUDES』末尾に収録されている。『ETUDES』は現代詩文庫16『那珂太郎詩集』に転載されているが、抄録である。にもかかわらず、短編小説「らららん」が含まれているのは、秀作か否かにはかかわらず、これが那珂自身にとって重要作であったことを示している。(…)
 発表は一九四一年、那珂は一九二三年一月二十三日生まれだから、十九歳である。旧制福岡高校三年だから、書かれている内容について言えば、中学時代からほぼ同じ思想に浸されていたと本人が述べている。典型的な箇所を引く。
 「ぜんたい悲観なんて、生の自己否定なんて、あきれた意識の倒錯じゃないか。虚無とは已に観念にすぎぬ。自ら描いた固定観念——心の企てた一虚構、意図された意識にほかならないんだ。無意識的人間には、決して虚無はおとづれないのだから!」
 自己への問いかけは必ず自己言及の悪循環すなわち虚無を伴うという認識を示している。」

「中原中也は酒場で絡んで太宰を泣かせたことで有名だが、その口癖に、「気が付いたら居たんですからね」という言葉があった。私の印象では、この言葉で、小林秀雄は中也の天才に気づいたのである。この言葉は、中也が、先駆的というほかないが、自覚的な実存主義者として生きていたことを証言している。
(…)
 那珂太郎の「らららん」を浸し、「日記」を覆っているのは、「気が付いたら居たんですからね」という中也のこの述懐とまったく同じものである。要するに自己には根拠などまったくないのであり、それはそのまま人間に「心から打ちこめる為事」などないこと、ありえないことに等しいのだ。根拠は自ら与えるほかないのであり、太宰流に言えば、それこそ「滅私奉公」で何かに「惚れ込む」こと、つまり根拠など問わないこと、あるいは与えられたそれを根拠だと思い込むことにほかなたないのである。」

「意味も目的も親が与えるのであって子が発明するのではない。朔太郎も中也も医者として家業を継ぐことが望まれたのはその端的な例である。親も子も通常はそれを疑わない。したがって自己への問いなど生じようがない。
 だが、ある段階からそれがそうではなくなったのだ。便宜的にそれを近代と言ってもいい。「気が付いたら居たんですからね」というのは、古来皆無ではなかったにせよ、とりわけ近代において一般化した流儀なのではないか、と疑うことができる。着想が逆転したのだ。
 芥川龍之介の『河童』が良い例だが、そこでは親が胎内の子に、生まれたいか、生まれたくないかを尋ねるのである。おそらくこの着想の異様さは、一個の自己意識が生まれるということの奇怪さをどのように把握すべきか、その流儀が変化していて定まらないそのちょうど過渡期に着想されたことによっているのではないか、と私は思う。ここには考えるべきことが山積している。
 那珂太郎の詩と思索の展開はこの過渡期、その推移をおそらく典型的に示しているのではないか、というのは私の現在の強い印象である。」

「いまも忘れられないが、那珂さんの喜寿か何かのお祝いの席でちょっとしたスピーチをしたことがあって、それを承けるかたちのスピーチで、那珂さんが、「三浦くんは『音楽』の展開をさらに方法的に発展させることを望んでいたので、『はかた』以後の展開に不満があったことは、よく承知している」とおっしゃったのである。私は狼狽した。その通りだったからである。見透かされていたという思いだった。
(…)
 亡くなられた直後だったと思うが、治子夫人が四篇から成る「四季のおと」を示されてどう思うか尋ねられた。晩年、だいぶ眼が不自由になっておられたと思うが、ノートの切れ端に書き留めておられたというのである。「あら、これ新しい詩ができたのね?」と言うと、はにかむように微笑されたという。そして刊行が予定されていた『宙・有・その音』に掲載していいかと尋ねると、軽く頷かれたというのである。
 一読、私は、心底、驚いた。それこそ「『音楽』の展開をさらに方法的に発展させたもの」としか思えなかったからである。背景に恐ろしいほど深い思索があることは疑いないが、それを少しも感じさせない。また、語音への過剰なこだわりも捨てられている。ただ、四季の風が光と音をともなってすぎてゆくだけなのだ。「四季のおと」は永遠を感じさせる。これこそ私が待ち望んでいたものではないか。私は絶賛した。以後もその思いは強まるばかりである。詩はさながら風をシテとする夢幻能のように眼前を過ぎてゆく。」

(『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』〜詩集〈音楽〉〜「作品A」より)

「燃えるみどりのみだれるうねりの
 みなみの雲の藻の髪のかなしみの
 梨の実のなみだの嵐の秋のあさの
 にほふ肌のはるかなハアプの傷み
 の耳かざりのきらめきの水の波紋
 の花びらのかさなりの遠い王朝の
 夢のゆらぎの憂愁の青ざめる蛍火
 のうつす観念の唐草模様の錦蛇の
 とぐろのとどろきのおどろきの黒
 のくちびるの蒼みの罪に冷たさの
 さびしさのさざなみのなぎさの蛹」

(『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』〜那珂太郎「詩論のためのノオト 22」より)

「純粋にことばの音といふものはない。
 たとへば〈しんしんと雪がふる〉の〈しんしん〉というオノマトピアは、〈sinsin〉といふ音によって、刹那裡に人に心理的反応をよびおおこすだらう。人はそこによびおこされるものと切りはなされた〈sinsin〉といふ音を聴くことはできぬ。だがそれは一言語体系の那珂でのその語のもつはたらきであって、別の言語体系においてその語の音が、そのやうな心理的反応をよびおこすことは、たうていできないだらう。(…)
 このやうに、もおっぱら音のみから成るオノマトピアでさへも、普遍性をもった純粋音ではありえず、まさしくそれは、一つの言語体系の中においてしか、音象たり得ない。」

(『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』〜那珂太郎「詩論のためのノオト 23」より)

「ことばの音は、いはば〈ことだま〉のこだまだ。それはおそらくもっとも端的に、ことばのいのちそのものであり、伝統に培はれてきた人の遠い潜在的意識なり記憶なりをよびさまし、深奥の情緒にうったへる力をもつ。
 音を捨象したことばは剥製言語にすぎず、文字によって記されたことばの場合もまた、かならず、音は幻像として聴覚に作用するのでなければならぬ。
 文字のイメェジは、音を空間化するのに必要である。」

(『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』〜那珂太郎「詩論のためのノオト 24」より)

「ことばの音韻性——なかんづく頭韻もしくは母音律によって、ことばを追求すること——それはけっして単に聴覚美としての効果をねがっての、技巧なのではない。作者は効果をねらふのではない、むしろ虚心にことばの自律的うごきに随はうとするのだ。ことばをしてことばを呼ばしめ、ことばをしてみづから行かしめることによって、おのれの未知の領域に達しようとするのだ。したがって、そのとき構文法は顕在的論理によって拘束されず、ほとんどことばはそれみづからの要請のままに、波のやうにうねってゆく。だがそれはおそらく、シュウルレアリスムの自動記述ともまるで異る。意識の消去乃至拡散による放縦はここになく、極度の意識の集中によって、作者はことばを選択させられるのだ。論理はこえられても意識はたえず覚めてゐなければならぬ。」

(『那珂太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期16) 』〜那珂太郎「詩論のためのノオト 26」より)

「詩作品は、直接だれかにむかって書かれるのでもない。それは自らおのれを超えたところの、より大いなる無への供物とでもいふべきであらう。
 だがそれはまた、作者自身がそのことを意識するとしないとにかかはりなく、まさに〈ことば〉にあづかることによって、おのれの属する文化と伝統へあづかるものであることを否定できない。彼が〈ことば〉に憑かれたものであり、〈ことば〉なしにはおのれを保ち得ないのは、なぜか。
 書く人、彼は現実へも、社会へも参与はしない。むしろこれから超脱しようとして書く。しかしまた、彼はづからの作品を欲する、ほとんどそれに執着するのは、なぜか。書かれた作品は、彼が好むと否とにかかはらず、結果として、まさしく現実的存在であり、社会的存在であり、そこに呑みつくされるほか、在り場所はないであらう。〈一九六六年五月〉」

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