ジョセフ・ラズ『価値があるとはどのようなことか』
☆mediopos2737 2022.5.16
本書での「価値」についての問いは
「世の中に価値と言えるようなものはあるのか」
「なぜ価値があるのか」といった問いではない
「価値の理解可能性」テーゼ
そして「理由と価値のつながり」テーゼが示すように
「価値の普遍性と個人の偏向はいかにして調和されるか」
つまり自分の価値観とは異なった価値観に対して
それを理解しそれと調和することができるかどうかである
価値は個人に依存したものでもあり
歴史や社会に依存してもいる
そしてそこにはさまざまな違いがある
そんななかで異なった価値を尊重するということは
どういうことであり得るのか
またそれはどのような
「希望ある未来への展望」を開き得るのかが考察されている
本書の議論の進め方はとてもわかりにくく
結局のところ「価値とは何なのか」が見えにくいところがあるが
おそらく〈mediopos2733(2022.5.12)〉でとりあげた
濱田陽『生なるコモンズ: 共有可能性の世界』の視点で
本書を読み進んでいけば理解しやすいところがありそうだ
そこでは「自らの存在と他なる存在との
限定的で開放的な関係可能性」という視点が示唆されていた
重要なのは他者の価値観を否定するのではなく
共有可能な価値観との共有可能性に向かって開くことである
〈価値は普遍的である〉ということは
ある価値観を絶対化するということではなく
普遍性のうちに多様性を認めながら
そのなかにおいて共有可能な「生なるコモンズ」として
「希望ある未来への展望にとって不可欠」なものと
みずからの価値観とを調和させる
そんな価値を求めるという態度であると言えるのだろう
もちろん「希望ある未来」を求めない
という個人的価値観もあり得るのだが
それはおそらく共有可能な「生なるコモンズ」ではない
さて本書では問われない
「なぜ価値があるのか」という問いだが
それは「なぜ意味があるのか」という問いと似ている
意味があることそのものが謎なのだが
価値というのもまた謎のように
どこかから私たちに訪れて
生を方向づけるところがある
その意味でいえば
意味も価値も〈普遍的である〉といえるのかもしれない
そしてそれは外から絶対化されるようなものではなく
「自由」において創造的であり多様なものであるとき
はじめて私たちの生を豊かにするものであり得る
■ジョセフ・ラズ(森村進・奥野久美恵 訳)
『価値があるとはどのようなことか』
(ちくま学芸文庫 筑摩書房 2022/4)
(「はじめに」より)
「倫理学説において大きな論争の対象にならないものはあまりないが、〈価値は普遍的である〉という見解は幅広く支持されている。しかしこの見解の意味と射程には不確実な点があり、さらに考察を加えることに意義があると私には思われた。(・・・)私が特に理解を深めたいと思ったのは、この見解が多くの人によって批判されているものの、私にはきわめて説得的と思われる次の想定といかに両立し得るかについてだった。すなわちその想定とは、〈何かを価値付ける特質————すなわち、その特質を持つものを良くしたり悪くしたりするような特質————は、歴史や社会に依存している〉というものだ。社会の慣行は偶然的なもので、慣行の変化も偶然的である。もし、価値付けるもの<the evaluative>が偶然的なものであるとしたら、どうしてそれが普遍的たり得るのか?
(・・・)
本書の焦点は、偏頗さ[偏向]<partiality>と不偏性<impartiality>との間の緊張関係にあてられている。普遍性は、不偏性を含意するように思われる。このことは、行為の理由が価値をたどるということを認めれば、直ちに導出される(あるいは導出されるように見える)。つまり、いかなる行為にとっても理由となり得るのは、その行為がそれ自体で、あるいはその帰結において、善を生み出す特質————その分だけ(pro tanto)その行為を善きものたらしめる特徴————を持っているということだ。(・・・)そうすると、善であるものは(あるいは善に由来するものは)何であれ、どこにおいても、いついかなるときも善であるから(そうでないとしたら、価値の普遍性とは一体何を意味することになるだろうか?)、価値を追求するにあたって私たちはみな同じ目的を目指しており、結びつきあっているということになりそうである。価値は偉大な紐帯、人類共通の絆であって、何が価値あるものなのかにつおての誤り、また価値あるものを追求する手段の決定に関する誤りだけが不和をもたらし得る、ということになる。
これは馴染み深い、時代を通じてさまざまな文化を支配した考え方だ。それは西洋において啓蒙思想から生まれた楽観的精神を鼓舞したし、私たちは今もその啓蒙思想の力を感じることがある。だがそれは時折のことだ。私たち自身の見方は、もっと暗く悲観的である。今————わたしたちは人類の歴史を通じて最も暗い生起[二十世紀]から来たのだから、それ以外でどうあり得るだろうか。
〈価値は普遍的である〉という信念は間違っているのだろうか。イエスでありノーでもある。しばしば理解されている意味では、この信念は間違っている。しかしその中核には健全なものがある。〈価値は普遍的である〉という信念をすべてすて去ってしまうよりも、この言明から何かが導かれ何が導かれないかを理解すべきだ。たとえばこれは、価値は時代を経ても変化し得ないということを意味しない。(・・・)価値の普遍性を信ずることは、希望ある未来への展望にとって不可欠だ。とはいえそのような展望は、普遍性のうちに多様性があることを認める見方である。ここにも希望はある。(・・・)未来への希望は、普遍性への信念と、価値の真の多様性についての正確な理解とを調和させることにかかっているのである。
本書で私が指摘しようとしているように、多様性は偏好から生ずる。つまるところ、偏好————特定の人間・行動・理由を他より好むこと————が、正当な[legitimate]多様性の根幹にある(それは邪悪な目的のための価値の濫用の根幹にもあるが)。ここでの想定は単純なものだ。評価を伴う信念・実践にみられる多様性がどこから生じているかと言えば、何が価値あるものかについての間違った信念(一般的に行って、それは正統ではない多様性を生み出す)からか、あるいは人や目的に対する偏好のうちで、たしかにその人や目的には価値があるが、それをある人々は魅力的に感じて肩入れしている一方、別の人々はそれに無関心であったり、それほどまでには魅力を感じなかったりするといったことからである、というのがその想定だ。あらゆる人が真に価値あるものについて偏好しているという仮定の下で、価値の普遍性は認められる。正統な多様性とは〈ある人にとって価値のあるものが他の人々にとってそうではない〉という事実の結果ではなくて、〈同一の価値——あるいは同一の価値に由来して魅力を持つ人・目的————への人々の惹きつけられ方が一様ではない〉という事実の結果なのである。正統な多様な惹きつけられ方は、さまざまな実践の現れにより支えられて、価値の個別化に導く。そうした実践は個別化以前の抽象的な諸価値を具現化し、また変容もさせる。」
(「第4章 人々を尊重する」より)
「尊重の第一段階は思考と表現において認めることですが、それは人々が価値に関与できるような態度を維持することに貢献します。この段階には個人的側面と社会的側面があります。人は一方では、価値あるものに価値があることを、自らの思考と表現において認めることで————たとえ、そうすることに一切関心がなくとも、また彼がそれに決して関与しないであろうことを知っている場合でも————その価値に関与する可能性に自らを開いています。人はまた一方で、こうした態度を自分自身が保つことで、その価値への関与を想定可能で尊重すべきものとする社会的文化的な思潮の形成と維持に貢献もしています。〈ものごとに価値がある〉というまさにその事実が、少なくとも、私たちにそうしたことを要求します。(・・・)理由の追及が通常そうであるように、こうした尊重の理由は、それ自体としては、特別な状況を除いて、人々に犠牲を課すものではなく、彼らの生の価値に貢献するのです。」
(「訳者解説」より)
「本書は〈価値の普遍性〉をテーマに掲げ、特に「偏頗さと不偏性」の間の緊張関係————いわばひいきと中立性のジレンマ————にあてられている。本書の大筋としては、各章で、価値の普遍性テーゼと対立するかのように見える反論が検討され、それぞれが必ずしも普遍性を否定するものではないことが示されていく。」
「「世の中に価値と言えるようなものはあるのか」「なぜ価値があるのか」といった問いは、本書の主題ではない。本書で鍵となるテーゼである、「価値の理解可能性」テーゼ、「理由と価値のつながり」テーゼが示すように、価値は「理由を与えるもの」として、もとより行為・意図・態度と結びつく事実が想定されている。この立場は、道徳の根拠として直観や形而上学的善などより受け入れやすい想定をすることで、道徳についての説明のハードルを下げている。」
「ラズは(理解されたものとしての)価値の事実を大前提とするが、くっきり確かな価値の実在を想定するわけではない。第一に価値の理解可能性テーゼは不徹底である。ラズは、行為の理由が説明される範囲には限界があることを認めている。(・・・)第二に、価値の潜在性という特徴も指摘できる。ラズの核心的テーゼの一つ、「価値と価値づける者の相互依存」からすると、価値づける者が関与せず、認めもしない価値はあくまで未実現もステータスだ。」
「本書は、価値とは何かとか、価値に対して具体的にどうするべきかという問いを掲げるのでもなく、それに対して目からウロコの答えを与えるものでもない。本書で問われたのは、自分の価値観からすると忌々しい偏った価値が大っぴらにされ、にもかかわらずそのような違いが正当なものとしておおよそ認められる現代において、価値がそれでも人と人とを繋げることができるのか、といったことである。つまり私にとってと他者にとって、ともに合理的に理解可能なかたちで、価値があることはどのようなことか————こうした問いに対する答えならば本書にある。」
【目次】
はじめに
第1章 愛着と唯一性
第2章 普遍性と差異
第3章 生きていることの価値
第4章 人々を尊重する
原注
訳者解説(奥野久美恵)
訳者あとがき(森村進)
索引