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伊藤潤一郎「睡眠を哲学する」
☆mediopos3709(2025.1.14.)
伊藤潤一郎「睡眠を哲学する」が
Webの「集英社新書プラス」で連載されている
個人的には現在「睡眠」についての悩みはまるでない
若い頃は朝方まで眠れぬまま起きていて
昼の間に睡魔に襲われるということもよくあったが
やがて「いつでもどこでも睡眠(笑)」なる特技を身につけ
とくに「睡眠」で悩むことはなくなっている
眠るときはからっぽになること
それに尽きる
「睡眠」は生命的な霊的エネルギー補給のようなものなので
それさえ欠損しなければ問題はないはずだが
世の中では「睡眠」についての悩みは尽きないようなので
世の「睡眠事情」なるものについて知っておこうと思う
まず連載の第1回「よく眠らなければならない」から
「Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)」という
2023年7月にリリースされたアプリがあるらしい
「いい睡眠リズムを、つかまえよう!」
というのがキャッチコピーとなっている
睡眠には「いい睡眠」と「悪い睡眠」があるということだ
「睡眠負債」という言葉があるように
睡眠不足は危険とされているが
長く寝ればそれでいいかというわけでもなく
「あまりにも長く寝ているひとは、
何らかの病気になっている可能性があるらしい」
「Pokémon Sleep」からいえば
「いい睡眠」には「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の
「いいリズム」のサイクルが重要だという
しかし現在の資本主義社会においては
健康的な眠りが必要とされているというよりは
睡眠が争を生き抜くためにうまく使いこなすべき手段
としてとらえられている向きがある
しかも貪欲な資本主義は
「Pokémon Sleep」などのスリープテックを使って
「個々人がいい睡眠を取り、
パフォーマンスを向上させるだけでは飽き足らず、
さらにデータまで吸い上げようとしている」
「睡眠中の人間は生産も消費もしない存在だったが、
いまやベッドに置かれたスマホを介して、
私たちは睡眠データの生産者となった」のである
そうした「プラットフォーム資本主義」から抜け出し
資本主義の外へと脱出するためには
「データ化されない物理空間を残すこと」が重要になる
続いて連載第2回「睡眠本からみえる社会の現在地」から
昨今の睡眠に関する書籍や記事には
睡眠を専門的に研究する科学者が登場するが
それらの営為は結果的に
「科学の知が資本主義を後押しする事態」を招き
「睡眠にまつわる科学言説は資本主義と一体となって
ひとつの能力主義のシステムを作っている」といえる
「よい睡眠とよい覚醒はセットであり、
覚醒時のパフォーマンスを上げたければ
よく眠らなければならない――
科学者たちによる最近の睡眠本には
必ずそう書かれているうえ、
睡眠不足や睡眠障害による経済損失まで語られている」
しかし「私たちにいま必要なのは、
規律でも自己管理でもない睡眠であり、
そのような眠りを可能にする社会だろう」と
伊藤潤一郎は示唆している
では「睡眠を規律や自己管理から守るには
いったいどうすればよい」のか
連載第3回「睡眠学習は何を目指していたのか?」では
1960年代まで時計の針を巻き戻し
睡眠に効率性を求める言説が
半世紀以上つづくものであることについて
「寝ているあいだに楽に勉強したい」という
怠け心が商品化された
「睡眠学習枕」が典型例としてとりあげられている
睡眠学習理論を支えているのは潜在意識の存在であり
たとえばジョセフ・マーフィー(日本語訳1968年)
『眠りながら成功する:自己暗示と潜在意識の活用』は
そのうさんくささにもかかわらず
いまでも書店の棚に並んでいるようだ
こうした向きに対し伊藤潤一郎は
梅崎春生の「蝙蝠の姿勢」(『怠惰の美徳』所収)を引き
「重要なのは、梅崎は眠るときに睡眠以外のことは
何もしようとしていないところである」と示唆を加えている
睡眠学習のような
「効率性や生産性という地平から脱け出」すためには
「梅崎春生の「怠惰」のような、
現在の常識とは異なる睡眠の姿」が必要なのではないか・・・
最初にふれたように
眠るときはからっぽになることに尽きるのではないか
さらにいえば起きてなにかを考えたりするときにも
そこに「効率性や生産性」などは持ち込まず
からっぽになることが大事なのではないかと思っている
■伊藤潤一郎「睡眠を哲学する」
第1回 よく眠らなければならない(2024.10.16)
第2回 睡眠本からみえる社会の現在地(2024.10.31)
第3回 睡眠学習は何を目指していたのか?(2024.12.17)
(集英社新書プラス)
○伊藤潤一郎
哲学者。1989年生まれ、千葉県出身。早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、新潟県立大学国際地域学部講師。専門はフランス哲学。著書に『「誰でもよいあなた」へ:投壜通信』(講談社)、『ジャン゠リュック・ナンシーと不定の二人称』(人文書院)、翻訳にカトリーヌ・マラブー『泥棒!:アナキズムと哲学』(共訳、青土社)、ジャン゠リュック・ナンシー『アイデンティティ:断片、率直さ』(水声社)、同『あまりに人間的なウイルス:COVID-19の哲学』(勁草書房)、ミカエル・フッセル『世界の終わりの後で:黙示録的理性批判』(共訳、法政大学出版局)など。
伊藤潤一郎
睡眠を哲学する
第1回 よく眠らなければならない
伊藤潤一郎
睡眠を哲学する
第2回 睡眠本からみえる社会の現在地(2024.10.31)
伊藤潤一郎
睡眠を哲学する