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バーツラフ・シュミル『SIZE(サイズ) 世界の真実は「大きさ」でわかる』/『老子道徳経』/本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』

☆mediopos3591(2024.9.18)

日常生活において
サイズは重要な意味をもっている

服のサイズや道具や機械のサイズなど
意識的に選択されているサイズもあれば
実際に使ってみて
あるいはその場所に行ってはじめて
そのサイズが半ば無意識に予想していたものと
異なっていることに気づくサイズもある

「好むと好まざるとにかかわらず、
私たちは細かくサイズが定められた空間を動きまわっている」

バーツラフ・シュミル
『SIZE(サイズ) 世界の真実は「大きさ」でわかる』は

日常生活における「人間」という尺度を踏まえながら
「人間の身体の大きさで決まってくるものは何か? 」
「極端に大きなものや小さなものはどんな感情を引き起こすか? 」
「全体のサイズと部分のサイズは比例するか? 」
「黄金比は存在するか?またそれは実際に意味をもっているか 」
「正規分布とは何か? 」
といった問いに対し

学問分野の垣根を越え
生物学・経済学・心理学などの知見を駆使しながら
宇宙から地球へそしてマクロからミクロへと旅しながら
幅広くかつ奥深い「サイズ」の謎に迫っていく特別な一冊

私たちはふつう
大きい/小さい
長い/短い
高い/低い
といった「サイズ」を
感覚的に(時に比較計測しながら)とらえていて
日常生活においてそれらが重要な意味を持つことが多くあり

社会生活において
また必要に応じた観点に応じて
定められたサイズがあることが多いのだが
いうまでもなくそれらはほんらい
老子の「道徳経」でも説かれているように
相対的あるいは相補的である

つまり「物差し」は
必要な基準に基づいて変化する

実際に生活のなかで使用するサイズに関しては
人間の知覚がもつ諸条件などをふまえ
人間工学的な観点をもとにした
ある程度明確な基準があるものの

「物差し」を当てる対象によっては
その「サイズ」感を変えていく必要がある

『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』という
本川達雄の名著があるが

生物における「時間」を測る場合には
「ゾウにはゾウの時間、イヌにはイヌの時間、
ネコにはネコの時間、そしてネズミにはネズミの時間と、
それぞれ体のサイズに応じて、違う時間の単位」があり

その「時間」は「生理的時間」と呼ばれ
物理的な時間と区別されるという

「サイズ」が変わると
それによって「時間」も変わる

それを敷衍すれば
「観測者」の観測する世界は
「サイズ」によって決まってくるということでもある

従って重要になるのは
それぞれの世界におけるサイズによって
変化する基準を明らかにするということだが

別の「観測者」どうしの比較を
どのように位置づけるかという問いが
そこには生まれてくることになる

私たちの生において
じぶんのもつさまざまなサイズ感を意識化するとともに
他者におけるじぶんとは異なったサイズ感を
どのように理解していくか
ということが重要になるということだ

それぞれの想定する世界のサイズ感が
著しく異なっている場合
それをどのように相互理解
あるいは調整し得るかということでもある

■バーツラフ・シュミル(栗木さつき訳)
 『SIZE(サイズ) 世界の真実は「大きさ」でわかる』(NHK出版 2024/6)
■井筒俊彦(古勝隆一訳)『老子道徳経』
 (井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 慶應義塾大学出版会 2017/4)
■本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』(中公新書 1992/8)

**(バーツラフ・シュミル『SIZE(サイズ)』〜「はじめに」より)

*「第1章では、自然界と人間に関わる事柄においてサイズが果たす役割を見ていく。小さいものにも大きいものにもサイズの限界があり、無限に変化するわけではないこと、人間にはより大きいものを好む傾向があること、そして極端なサイズのあれこれについても説明する。

 第2章では、サイズの知覚について考える。私たちが実際に見ているものと、見たと思っているものの違い(錯覚は驚くほど簡単に生じる)を説明し、身長(日常生活のさまざまな側面に意外なほど大きな影響を及ぼしている)についても詳しく述べる。

 第3章では、複数のサイズの関係に目を向ける。釣り合い(プロポーション)、対称性、比率に関するストーリーを紹介し、いわゆる「黄金比」についても検証する。一般的に大衆文化には、よく黄金比が使われていると思われているが、実際はどうなのかも検討していく。

 第4章では、サイズのデザインに触れ、「人間工学」(利便性と安全性のためのデザインの科学)について説明する。そして、行きつく間もない現代社会において、人間工学のもっとも重要な活用例として説明する。(・・・)

 第5章では、「スケーリング」(サイズの相関)について見ていく。あるサイズが変化した結果、ほかのサイズがどう変化するかという問題だ。(・・・)

 さらに、代謝スケーリング(エネルギー消費量が体重にどれほど左右されるか)についても見ていこう。人間においても、ほかの哺乳類においても、その他の動物においても、代謝スケーリングはとりわけ重要だ。第6章では、こうした事実について見ていこう。」

**(バーツラフ・シュミル『SIZE(サイズ)』〜「第1章 万物の尺度としてのサイズ」より)

*「サイズは日常生活の非常に多くの場面で重要な意味をもっている。たとえば、衣服、調理器具、道具、機械、部品などのサイズはたいてい慎重に規格や基準が定められていて、私たちは自分に適したサイズの物を利用して日常生活を送っている。それに、予想される平均値(あるいは最小の寸法など)にも頼っていて、そうしたサイズの物を複製したり、それに合わせたり、同様のサイズが繰り返し出現するものと予想したりする。そして、大西洋を横断するフライトでサイズの合わない服を着ているとき、道具が人間工学を考慮せずにデザインされているためにうまく使いこなせないとき、基準を守っていない寸法の階段を重いカグをもって上がっていくときなど、実際のサイズが予想していた範囲から外れていたときに初めて、無意識にサイズの予想を立てていたことを自覚する。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは細かくサイズが定められた空間を動きまわっているのだ。

 現代社会はサイズを標準化することで、想定外の寸法の物に遭遇するリスクを抑えようとしてきた。大半の人は正確な寸法を知らないだろうが、日常生活にはさまざまなサイズの基準があることを察しているし、海外に旅行に行ったり、引っ越したりした人は、国によってその基準が違うことに気づいただろう。」

**(バーツラフ・シュミル『SIZE(サイズ)』〜「第9章 おわりに/まとめ」より)

*「わたしたちはつねにサイズを意識している。サイズを見積もり、比較し、すばやく記憶にとどめ、無意識のうちに行動の指針として利用している。(・・・)サイズのあいだには類似点や相違点があることがわかっていて、私たちは多くの標準的なサイズに親しんでいるので、予想していた規準からサイズが逸脱していれば、どこかおかしいと察する。また、小さいものから大きいものまでサイズの幅が広いことも認識しており、小さいほうを好む場合もあれば、この大きさではまだ足りないと思う場合もある。」

「サイズを知覚する際には五感を総動員するが、なかでも視覚がいちばん重要だ。」

「サイズはつねに相対的に見られていて、美的な好みや機能上の必要性に応じて決められた釣り合い(プロポーション)が見た目の魅力を決定し、性能に違いをもたらす。社会はこれまで縦横比で表現される好みのサイズをいつくか定めてきた。絵画や彫刻はこうした理想を作品に反映し、左右対称性を尊重した。対称性はいたるところにある——自然界のデザインにも、人類はつくった最初の道具にも、誰もが知る記念碑的な建造物にも。私たちはまた人間の身体や顔に関しても、対称性があるものを好む。」

「サイズは人間の身体においても、大きな意味をもつ。とくに、重力、熱放散、可動性、活動量、必要なエネルギー摂取量、食事や給餌の回数は。身体の大きさによって変わってくる。」

**(『老子道徳経』〜「第二章」より)

*「天下の人々はみな美を美とみなし、そこに醜さが生まれる。
  天下の人々はみな善を善とみなし、そこに悪さが生まれる。

    実に、有と無とは、互いを生じさせるもの。
    難しさと易しさは、互いに補いあうもの。
    長さと短さは、互いに対をなすもの。
    高さと低さとは、互いに寄り添い合うもの。
    音と声とは、互いによって調和を保つもの。
    前と後ろとは、互いにつき従うもの。

  だからこそ聖人は、無為の原則をしっかりと守り、不言の教えを実践するのである。

    万物が(聖人のまわりに)生まれるが、かの人はそれを拒否しない。
    かの人は万物を養うが、それが自分の持ち物だ、などとは言わない。
    かの人は(偉大なことを)なすが、これは自分の仕事だといって自慢することはない。
    かの人は自分の自分の役割を果たすが、これは自分の手柄だといって固執することはない。
    かの人は自分の手柄に固執しない。だからこそ、かの人の手柄は、決して自分のもとから離れはしないのである。

**(本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』
   〜「第一章 動物のサイズと時間」より)

*「私たちは、ふつう、時計を使って時間を測る。(・・・)時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。
  ところがそうでもないらしい。ゾウにはゾウの時間、イヌにはイヌの時間、ネコにはネコの時間。そしてネズミにはネズミの時間と、それぞれ体のサイズに応じて、違う時間の単位があることを、生物学は教えてくれる。生物におけるこのような時間を、物理的な時間と区別して、生理的時間と呼ぶ。」

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