種村季弘「K・ケレーニイと迷宮の構想」(『種村季弘コレクション 驚異の函』)/カール・ケレーニイ『迷宮と神話』
☆mediopos3490 2024.6.7
諏訪哲史編による
『種村季弘コレクション 驚異の函』(ちくま学芸文庫)に
「K・ケレーニイと迷宮の構想」が収録されている
巻末に収録されている論考の底本一覧によれば
初出は「SD」一九六九年四月号(鹿島出版会)
迷宮の神話を論じた
カール・ケレーニイの『迷宮と神話』
(「迷宮の研究」と「魂の導者・ヘルメース」を収録)も
種村季弘(と藤川芳朗)による訳出(初版一九七三年)で
巻末の解説も種村季弘による
ケレーニイ『迷宮と神話』については
mediopos-143(2015.4.7)で簡単にとりあげたことがあるが
今回は種村季弘の論考を導き手として
あらためてケレーニイの迷宮論について見ていくことにしたい
迷宮のもっとも単純な形態は
「渦巻」もしくは「螺旋形」であり
その最古のもののひとつは
メソポタミアで発掘された迷宮図である
その迷宮模様は
「獣の体内からとり出した内蔵(腸、肝臓)」であり
「バビロニアの腸卜の、そのときどきの記録文書
ともいうべき図」だという
「内臓がまず左巻き螺旋形となって走り、
ついで螺旋を描くのをやめ、個々の腸が巻きやんで
終点と出口に向かう」
「左」は「死の方向」であり
「左へ左へと湾曲する内臓の曲線は、死の世界、
冥府へとひたすら下降していく運動をあらわし、
この冥府の旅が終局に達するや、そこに出口がひらけて
歩行者はふたたび死の彼方にたちあらわれる
新しい生に向かって誕生する。」
迷宮の表象は「冥府世界の表象と結びつき、
錯綜たる迷路をくぐり抜ける冒険は
冥府降下の神話と結びつく」のである
つまり「迷宮入場−−迷路歩行−−脱出という過程は、
生−−死−−生」をあらわしている
「魔の森の支配者フンババを斃して帰還するギルガメッシュも、
アリアドネーの糸を頼りに迷宮の中心を護る
怪物ミノタウロスを斃して帰還するテーセウスも、
オデュッセウスや聖杯伝説の騎士たちも、
すべて迷宮=死の世界からの帰還者」なのである
ダイダロスがクレタ島のミノス王のためにつくった
伝説上の迷宮の話だが
ミノス王の怒りを被りみずから構築した迷宮のなかに
監禁された際に翼を発明して迷宮を脱出したのも
(息子のイカロスは太陽に近づきすぎて蝋の翼が溶け墜落する)
アリアドネーに糸をつかった脱出法を教えたのも
ダイダロスであったように
「迷宮入場−−迷路歩行−−脱出」「生−−死−−生」においては
「下降と上昇、失墜と昇天のイメージが組み合わされている」
また「地下世界としての迷宮」は
「母胎回帰願望の所産」とみなされがちだが
ケレーニイはバビロニアの「内蔵の宮殿」には
「母胎のイメージがまったくなかった」という
そして「迷宮が地下への方向を象徴するとすれば、
その対比物たる塔は天上への失墜の方向を要約する」ように
「「地下への失墜」はしばしば
「天上への失墜」である昇天と同時に起こる」
種村季弘はそうしたケレーニイの示唆から
「迷宮の総体的表象は、かくて
大地的母性的なものとエーテル的父性的なもの、
冥府降下と天路遍歴の「相反するものの合一」として
思い描かれなくてはなるまい」と結論づけている
mediopos-143(2015.4.7)では
迷宮から出ることは
あらたな再生へと向かうことだが
生きることはむしろ迷宮に身を置くことであり
迷宮から出ることが生きる目的なのではなく
迷宮に身を置きながら
迷宮を螺旋のように歩み
迷宮のなかでなにがしかの課題に取り組み
そこで目覚めていなければならないのではないか
そう問いかけてみたが
ケレーニイが迷宮は舞踏であり
「舞踏の動きという言葉で語られた神話」
であるという観点を一貫してもっているように
迷宮をゆく人間とは
生と死・天と地のあいだを
舞踏するように螺旋状に往還しながら
両者をむすんでいく存在だといえるのかもしれない
■種村季弘「K・ケレーニイと迷宮の構想」
(種村季弘(諏訪哲史編)
『種村季弘コレクション 驚異の函』ちくま学芸文庫 2024/2)
■カール・ケレーニイ(種村季弘・藤川芳朗訳)
『迷宮と神話』(弘文堂 昭和51年5月 初版3刷)
**(種村季弘「K・ケレーニイと迷宮の構想」より)
*「迷宮は、古来、閉所恐怖症と空間忌避の幾重にも交錯する心の迷路、閉鎖の恐怖と保護の魅惑の両極性感情をたえず誘発させる謎の空間であったかのごとくである。
しかしながら迷宮の問題は、おそらくこれを心理学的探求のみに委託することはできない。同様にまた、純粋に建築術と建築史の分野にゆだねることも正しくはないだろう。なぜなら具体的な建築物としての迷宮をさておくとしても、表象としての迷宮(ラビリントス)は、刺青、舞踏、装飾模様、テキスタイルなど文化のあらゆる領域に古くからくり返し姿をあらわすからである。このような迷宮表象の本質をもっとも包括的に、だが簡潔に記述した研究としてただちに思い浮かぶのは、ハンガリアの神話学者カール・ケレーニイの『迷宮の研究』である。」
*「フォルムの点からすれば、迷宮のもっとも単純な形態は、渦巻もしくは螺旋形に還元される。方形の迷宮図はしばしば渦巻きや螺旋形のヴァリエーションにほかならない。太古以来、宗教的慣習や芸術創作の遺物として今日まで残存している迷宮図は、多かれ少なかれ螺旋形を基本としている。」
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「今日見ることのできる螺旋形、あるいは螺旋模様の、最古のもののひとつはメソポタミアで発掘された楔形文字入りのものをふくむ粘土書板に描かれた迷宮図である。この螺旋形はかならずしも第一義的にバビロニアの迷路的な宗教建築に関係づけられるものではない。アッシリア学者ワイトナーが書板の楔形文字から解読した成果によると、この迷宮模様があらわしているのは狩猟で捕獲した獣の体内からとり出した内蔵(腸、肝臓)であって、いわばあまねく知られたバビロニアの腸卜の、そのときどきの記録文書ともいうべき図なのである。周知のように、バビロニアの占卜は世界最古の組織的な予言方法であった。」
「腸卜は予言を司る神官たちの重要な儀式であった。ワイトナーの解説によれば、粘土書板の迷宮図のかたわらに記されているある楔形文字はつぎのように翻訳できる、「これらの腸は左方向へ巻かれ、ついで解きほぐされる」と。したがってワイトナーは言うのである。「この意味はすなわち、内臓がまず左巻き螺旋形となって走り、ついで螺旋を描くのをやめ、個々の腸が巻きやんで終点と出口に向かうということである。図形はこの説明に適合している」。
左とは、死の方向である。左へ左へと湾曲する内臓の曲線は、死の世界、冥府へとひたすら下降していく運動をあらわし、この冥府の旅が終局に達するや、そこに出口がひらけて歩行者はふたたび死の彼方にたちあらわれる新しい生に向かって誕生する。実際、あらゆる迷宮はまず「冥府」(地下世界)なのである。バビロニアではまたこの腸卜に使用される犠牲獣の内臓は「仁蔵の宮殿」とも呼ばれた。さらにケレーニイの指摘にしたがえば、『ギルガメッシュ叙事詩』に登場するギルガメッシュの敵手、秘密の坂と閉ざされた道をめぐらして魔の森の主である怪物フンババが顔面いっぱいに腸を付着させた「内臓の人」であることから、迷宮的なものが冥府的なものと同一視されただけではなく、魔の森と内臓もまたひとしく冥府の迷宮宮殿として表象されていた。すなわち迷宮、内臓。森は、いずれも死者たちのすまう王国、冥府の類同物にほかならなかったのである。」
*「迷宮の表象はここで明確に冥府世界の表象と結びつき、錯綜たる迷路をくぐり抜ける冒険は冥府降下の神話と結びつく。したがって迷宮入場−迷路歩行−脱出という過程は、生−死ー生というダイアグラムにあらわすことができるだろう。魔の森の支配者フンババを斃して帰還するギルガメッシュも、アリアドネーの糸を頼りに迷宮の中心を護る怪物ミノタウロスを斃して帰還するテーセウスも、オデュッセウスや聖杯伝説の騎士たちも、すべて迷宮=死の世界からの帰還者であった。」
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*「一方、こうした英雄たちの冥府体験とともに、略奪婚にまつわる少女たちを主人公にした冥府神話がある。
この種の冥府神話の典型としてケレーニイがあげているのは、ツェーラムの伝説の少女ハイヌヴェレの場合だ。太陽の男に略奪されて冥府に入り、ふたたび地上に帰還するハイヌヴェレは別名をラビーと称し、ラビーが月の神話名であるところから。ハイヌヴェレの生−死−生はあきらかに太陽に略奪されて徐々に影の世界に入っていく月蝕の過程を模している。
ハイヌヴェレの冥府降下が迷宮彷徨と対応していたことは、彼女に捧げられたマロの踊りという舞踏が螺旋形のコレオグラフィーを基礎としていた事実からしてもあきらかである。」
*「当然これらの迷宮舞踏のコレオグラフィックな構造が問題になる。迷宮舞踏の形式はほぼ一定している。それははじめて長い一列の横隊で、やがて一団と一団とが「たがいに向かい合って踊る」(ホメーロス)」。おそらく全体はしだいに渦巻きもしくは同心円状に変ってゆき、先頭のほうの踊り手は後続の踊り手と平行に、しかも逆の方向に回転した。一説によれば、テーセウスもまたミノタウロスを征服したあと、勝利を祝ってこの踊りを踊ったが、その振り付けはあきらかに迷宮への入場とそこからの脱出を模していて、「舞踏が同時にそこから解放されてきた死の恐怖を現前させることによって、救護がことほがれた」(ケレーニイ)のだった。」
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*「ここで私たちはダイダロスがクレタ島のミノス王のためにつくったという、あの有名な伝説上の迷宮までたち返らなくてはならない。ダイダロスがミノス王のために建造した迷宮は、冒頭に述べた紀元前十六世紀頃から実在したクノッソス宮殿と同じものではない。だが、これと密接なつながりがあることは、今日、クノッソス宮殿の遺跡の地下を発掘してみれば、おそらく巨大な洞穴迷宮が発見されるにちがいないという説がおこなわれていることからも推察されよう。
とまれ伝説の物語るところによれば。稀代の工人ダイダロスはミノス王の多淫症の妃パジファエーのために一種の性交機械を考案作成したが、そのためにミノス王の怒りを被って、みずから構築した迷宮のなかに息子のカイロスとともに監禁された。だがダイダロスは蝋と羽根でつくった翼を彼自身とイカロスのために発明して迷宮から飛びさった。途中イカロスのみは傲慢のために「美しいもの」に憧れる度を逸し、太陽に近づきすぎて蝋が溶けたために翼を失った海に墜ちた。」
*「ミノス王はミノタウロスを迷宮に閉じ込め、怪物は年々アテーナイから貢納される少年少女たちを啖って生きながらえた。のちに英雄テーセウスはミノス王の娘アリアドネーから贈られた赤い糸を頼りに迷宮に潜入して怪物を退治し、アリアドネーの糸をたどって無事この迷宮を脱出する。
アリアドネーに糸による脱出法を教えたのも、もとはといえばダイダロスだった。とすれば、ダイダロスは、翼と糸という二通りの迷宮脱出法を知っていたことになる。鳥の姿と地下洞穴の関連は、ゲラーノスの踊りにおける鶴と迷宮の関係にひとしく、「死を通じて生へ」という救済象徴としての迷宮に基づくものであろう。」
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*「あの冥府の導者ヘルメスも足に翼をもち、自由に空中を飛翔することができた。ダイダロスの飛行とシャーマニズムの脱魂体験(エクスタシス)との関連についてはもはやいうまでもないだろう。
ところで、下降と上昇、失墜と昇天のイメージが組み合わされているのは、たんにシャーマンの白昼夢や神話の世界の出来事ばかりにはかぎらない。主として近代詩を対象にしながら飛行の夢を分析したガストン・バシュラールは、『空と夢』(宇佐見英治訳)のなかで「詩人たちにあって必ずしも稀でないテーマ、すなわち高さへの墜落というテーマ」について語っている。ニーチェにとってじゃ深さが上にあった。O・V・ミロスは「私は時間のこの王座の上で眠りこみたいのです、神の深淵のなかに下から上へと落ちてゆきたいのです」と歌う。「墜落−−−−あの始原の『直線』−−−−それこそが帰還だ」とも。」
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*「地下世界としての迷宮は母胎回帰願望の所産とみなされることがすくなくない。たしかに冥府訪問者たちは地下の迷宮に向かって「下降」するのである。しかし冥府降下をあくまでも母胎回帰願望と同一視しようとするなら、下降者たちの不思議な飛行能力は説明不能の現象としてあるもどかしさを残すにちがいない。その点先に述べたバビロニアの「内蔵の宮殿」に関して、ケレーニイが、「予期に反して」、そこには母胎のイメージがまったくなかった、と語っているのが示唆的である。迷宮嗜好はかならずしも豊穣をはぐくむ大地母神に向かう母胎回帰願望ではなく、あたたかい安逸な子宮内部にやすらおうとする被護願望であるとはかぎらないのである。(・・・)「地下への失墜」はしばしば「天上への失墜」である昇天と同時に起こるからである。
「ケレーニイはふたたびバビロニアの「内臓の宮殿」に関して、具体的な実証こそないが、この迷宮の表象があるいはメソポタミアの寺院塔ジグラトに「天上の対比物」を見出しているかもしれない、と仮説する。すなわち迷宮が地下への方向を象徴するとすれば、その対比物たる塔は天上への失墜の方向を要約する。」
*「迷宮の総体的表象は、かくて大地的母性的なものとエーテル的父性的なもの、冥府降下と天路遍歴の「相反するものの合一」として思い描かれなくてはなるまい。一言にしていえば、それは両性具有的表象でなくてはならないのである。ケレーニイが『迷宮の研究』の終始を通じて舞踏や建築や祭儀を素材にしてくり返し確認したのも、迷宮表象におけるこの相反するものの合一性にほかならなかった。迷宮を良かれ悪しかれ袋小路以外の何物とも認めない近代合理主義の偏見をたえず破壊しつつ、私たちの識閾下につねに現存する迷宮は、あやなす死と生の葛藤のうちに、かくてくり返し、開き、閉ざされ、また開くのである。」
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**(カール・ケレーニイ『迷宮と神話』〜「迷宮の研究 二 バビロニア」より)
*「迷宮は、それが蒼古たる宗教的慣習かもしくはすくなくとも始原的芸術行為の記念物としてあらわれた場合には、そこに多少とも、しばしばきわめて単純なものであるにもせよ、螺旋の形態が認められる。それ自体として独立に描き込まれているにせよ、螺旋の曲折模様として造形されているにせよ、私たちがそれをひとつの道として表象し、いわば無愛想な入り口が通路に入っていくようにそこに身を置いてみれば、たちまちにして一個の迷宮なのである。迷宮の神話学的現実性を喚起するためには、右のように表象し且つ内部に身を置くことを要するのである。神話学的現実性をみずから担っていた人びとにとっては、迷宮とはそのなかに存在していることであり、そのなかで動いていることであった。彼らはときとして迷宮のなかで覚醒して、直接的に体験した意味を概念の言葉に移し変える、無言の動作や物語のなかで胸のうちを打ち明けた。かかる意味をとらえようとするならば、無言の迷宮のための説明文であるそれらの物語をも用立てる必要がある。」
**(カール・ケレーニイ『迷宮と神話』〜種村季弘「訳者あとがき」より)
*「「迷宮の研究」は原著者の序文にもあるように、第二版の序文にもあるように、第二次大戦直前フロベニウス研究所の調査隊によって大がかりな調査研究がおこなわれた、モルッカ島セーラムのハイヌヴェレ神話発掘を機として、迷宮という具体的な形象を媒介にして成立した比較神話学的作業である。ケレーニイの迷宮という主題への関心は、本書にもしばしば語られているクレタ島の迷宮(ならびに迷宮舞踏)への関心とともに古く、後に「聖なるクレタ」(高橋英夫訳)のなかで回想しているところにしたがえば、ヴァルター・F・オットーとのクレタ島におけるひそやかな散歩の時期(一九二九年頃)にまで溯る。「迷宮の女王」、さらに一九六三年に発表された小論文「迷宮からシルトスへ」(ギリシャ舞踏に関する考察)において、迷宮の主題はふたたび舞踏との関連において取り上げられた。ここでも本書において一貫して主題されている彼の舞踏=迷宮にたいする観点は変わらない。すなわち、「いかなる原舞踏も神話を描写しているのではない。それは、それ自体がひとつの語りであり、舞踏の動きという言葉で語られた神話なのである。」(迷宮からシルトスへ」)。」
*「本書にくり返し述べられているように、ケレーニイはたえず生きている迷宮−神話としての舞踏に立ち戻り、そこから死滅の時期、さらに死後の時期に入った神話である、建造物や図形における迷宮について論を進める。迷宮そのものの構造が生−死−再生の聖なる循環を展開させているのと軌を一にして、「迷宮の研究」の対象もまた生から死へと下り、さらに死後の生へと飛翔して行くわけである。抽象的理論のドグマチズムを排して学問的資料に具体的かつ厳密に当たりながら冥府神話の構造を詩的直観の光の下に浮かび上がれた、ケレーニイの全業績中の白眉ともいうべき名篇であろう。」
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