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新谷尚紀『神社とは何か』/佐藤弘夫『日本人と神』

☆mediopos2651  2022.2.18

日本の神社のもっとも古いかたちは
「もり(杜)」への祀りであり
それが「ほこら(祠)」「やしろ(社)」
「みや(宮)」といった社殿祭祀へと変遷してきた

いまでも磐座に注連縄を張っただけのような
神域が各地にあるように
「天空の太陽や月星や
大地の山野河海の恵みと脅威」といった
自然界の生命力を畏れ敬ってきたのが
神社のもとになっている

そうした場所に宿るカミはやがて
超越者の観念をもつようになるとともに
「祭りのたびに祭場に迎えられる不可視なるもの」
ともなっていく

古代においてはカミは
そうした自然界の生命力として
人と対峙する外在的なものだったのが
仏教の影響による「超越者に対する思弁の深化の果てに、
人間に内在する聖性が発見されて」されてゆき
現世と超越的な神的存在が
この世とあの世とを分けるようになってゆくのだ

西欧からみればおそらく
多くの日本人の神への態度は節操がなく
古代的なアニミズム的なカミから
超越的な神にいたるまで
適宜その時々その場の場に応じて
ほとんど違和感なく手を合わせたりしている

むしろ違和感があるとすれば
一神教的な信仰形態に対してくらいのものだろう
おそらくその違和感は
わたしたちの心的風景に根強くある
アニミズム的な自然界の生命力への畏れ敬いなのだろう

わたしたちの感じているのは
善悪を裁断するような絶対者ではなく
森羅万象に存在している神々だからだ
「いただきます」と食事の前に手を合わせるのも
さまざまなものに供養という感覚があるのも
一神教的な神ゆえのものではない

日本列島のカミはさまざまに変貌を体験してきたが
いまこそ問わなければならないのは
私たち日本人の神や霊的存在に対する態度は
はたして霊的現実に適っているのかどうかだろう

現代では霊的な存在に否定的な人間は
科学という神を信仰しはじめていたりもする
そのくせ日常的にはアニミズム的だったりもするのだ

その意味でも今後重要になってくるのは
私たちの習俗もふくめ
確かな霊的現実をふまえた霊学的神秘学的視点なのだろう

ただ現世利益的なものに傾斜するためだけのものでも
この世に否定的になるような霊への傾斜でもなく
いわゆるこの世とあの世を貫きながら
さまざまに現象している霊的なものを探求する
そんな視点が求められる時代になってきている

■新谷 尚紀『神社とは何か』 (講談社現代新書 2021/12)
■佐藤 弘夫『日本人と神』(講談社現代新書 2021/4)

(新谷 尚紀『神社とは何か』より)

「文献学、遺物考古学、民俗伝承学という三つの学問の協業という観点から日本の神社の歴史を追跡してみました。そこからみえてきたのは、もっとも古いかたちを伝えている、文献史料にもなかなかその歴史情報を残しにくい素朴な神祭りのかたちとしての、「もり(杜)」への祭りです。そして、それと平行して磐座や禁足地への祭りが古く、それが次第に、「ほこら(祠)」や、「やしろ(社)」や、「みや(宮)」のかたちへ、つまり社殿祭祀という新しいかたちへ、という変遷がありました。」

「神社とは文字通りにいえば神の社のことです。神を祭る建築物です。では神とは何か、社とは何か。神とは、人間が生活している自然界の生命力のことです。天空の太陽や月星や大地の山野河海の恵みと脅威です。自然界の恵みと脅威に対する敬いと畏れがその基本です。その自然の生命力を畏れ敬うために、人びとが設営し祈りと祭りをささげてきているのが神の社です。社とは屋代のことであり、自然界の生命力を神として信仰し迎え祭るその場所と建物のことです。」

「日本の歴史と文化の中に伝えられている日本人の神の観念には、尊い存在としての神への信仰とともに、迷惑な恐ろしい霊物として警戒すべき神がありました。それは自然の動植物の中に宿っていて、時にそこから離れて人間に接近しようとする精霊のたぐいです。私たちが避けているにもかかわらず、あちらから近寄ってきて、それらと接触すると人間はいろいろな災いを受ける、そういう迷惑な存在です。つまり、高級な神霊と低級な雑霊とがあること、高級な神霊の祭りの場でも、そこには必ず雑霊や邪霊のたぐいが近寄ってきて、人間に障り災いをおこす危険があること、を感じ分けていました。だから、神霊の祭りの場でも同時に雑霊たちにもホガウ(乞う・祝う)またホカウ(乞い・祝い)をするという習慣がありました。
 身近な例では神社や寺院でチャリンと投げ込む賽銭の習俗もそのような日本人の霊魂観をあらわしています。その賽銭の習俗は、神事の中の散米の作法にも通じるものです。ただし、自然界の動植物の中に宿っているのはときどき浮遊してくる迷惑な恐ろしい忌避したいような霊物だけでなく、それと同時にふしぎに霊妙な威力をもつ霊物、つまりある意味でご利益のあるような霊物も宿っていると感じられてきました。
 人間のまわりにいる霊的な存在には、高級な神霊と低級な雑例とがあるが、それらはあまりはっきりとは分別できないという感覚が古くから伝えられていました。自然界の造形である巨大な磐座や異様な聖樹や叢林などの特定の場所や事物に対して、それを聖化されたものとして禁忌の対象として畏れ敬うという信仰もありました。若狭大島のニソの社、薩摩・大隅のモイドン、中国山地の荒神森などのたぐいもそれです。そのような自然物への信仰も、有名で立派な社殿で知られる大きな神社の信仰に通底するものでした。
 古代以来の歴史の古い磐座祭祀や水源祭祀、またその後の禁足地祭祀、そして社殿祭祀を含めて、日本各地の郷村や都市の中に祭られている大小さまざまな素朴な社祠や石神や社や聖樹・聖石などへの信仰にいたるまで、それらはすべて信仰の構造という面から考えてみれば、日本の神社の信仰と祭祀に共通しているものなのです。日本の神社とは、人びとの天然自然の中に想定されてきている神霊と精霊とへの畏敬と信仰という素朴な原点から文化的な発展をたどって立派な造形へと至っている、私たちの眼前の多様性の中に通底しているものなのです。」

(佐藤 弘夫『日本人と神』より)

「人類が初めて人間を超える存在(カミ)を感知したのは、人知の及ばない自然現象に対してだったと推測される。それは、やがて土偶などの像として具体的な形を与えられて、人々に共有されるに至る。しかし、超越者観念の抽象化の進展と冥界の拡大に伴ってカミはいったん姿を消し、祭りのたびに祭場に迎えられる不可視なるものへと変化を遂げた。」

「都城を抱えもつ古代国家が形を整えると、天皇と国家の守護を委任された神は、寺院にいる仏と同様に、特定の地に留まって常時監視の目を光らせることを求められた。古代において神・仏といったジャンルを超えて超越者に求められたものは強力な霊験であり、山中修行者が目指した到達点も神の清浄性に接近することでえられる験力の獲得だった。」

「平安時代の後期から、この世とは次元を異にする不可視のイメージが拡大する。そこに住むカミが救済者とされるとともに、その聖性が被救済者にも内在することが強調される。カミは、人間の外部にあって霊異を引き起こすものから、人々を生死を超えた彼岸に送り出すものへと、大きく変貌を遂げた。」

「近世社会では、中世人が共有していや遠い他界のリアリティが失われ、この世とあの世に振り分けられていた人・カミ・死者が、再び一つの世界で共生する事態が生じた。死者のケアはもっぱら遺族の役割となりう、神仏は生死を超えた救済に代わって、こまごました現世利益の要望に応えることを主要な任務とするようになった。」

「だれもがカミになれるという理念は幕末には社会に定着し、列島には無数の小さな神々が満ち溢れた。霊場に祀られた人々は幸せな死後を保証され、カミとなることを約束された。カミの叢生は、身分制度を窮屈に感じた江戸時代の庶民が抱く秩序からの逸脱指向の反映であり、同時に彼らがヤスクニの思想に取り込まれていうく原因ともなった。」

「古代までは、神・仏を含む日本列島のカミは現世内的存在であるとともに、徹底して外在的であり、人と対峙するものだった。それに対し、超越者に対する思弁の深化の果てに、人間に内在する聖性が発見されていくのが中世という時代だった。
 その際の思想的な素材を提供したのが仏教だった。仏教の論理を用いて、一〇世紀後半からある種のカミ(仏)が絶対的存在=救済者にまで引き上げられていった。その結果、人間の世界(現世)から根源神の世界(他界)が分離するとともに、その膨張が進行する。強大化する仏に対抗するように、一部の日本の神もまた救済者へと上昇を開始する。現世と理想の浄土が緊張感をもって対峙する世界観が構築され、それまで人間と一つの空間を分かち合っていた神仏が、あの世とこの世に振り分けられていくのである。」

「日本列島における聖なる存在は、縄文時代から今日に至る数千年の歴史のなかで、いくども変身を繰り返してきた。
 カミが個々の具体的な事物や事象に即して把握される段階から、抽象化が進み、目にみえないものとされる段階への転換があった。不可測な意思をもつ善悪を超えた祟り神から、明確な目的意識に裏づけられた救済者への転身があった。外在するものから、人間に内在するものへの移行があった。「神」「仏」「天」といった区分を超えて、日本列島のカミはこうして変貌を体験してきたのである。」

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