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成田悠輔『22世紀の民主主義/選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』

☆mediopos2842  2022.8.29

成田悠輔という名は
どこかで目にしたことがあると思っていたら
一年半ほどまえ(2021.2.9)にmediopos-2277で
『文學界』で連載をはじめた「未来の超克」を
とりあげたことがある

世界のさまざまな問題は
いちどその根底のところから
考えなおして見る必要がある !
ということで
成田悠輔が提示したカテゴリーを
とても魅力的に感じたのを覚えている

そのカテゴリーとは
・測らない経済 ・集まらない都市 ・伝えないメディア
・決めない政治 ・交わらないSNS ・学ばない教育
・探さない就活 ・救わない宗教
である

その名をあらためて少し前にたまたま目にしたのが
テレビ東京の「ひろゆき&成田先生のRe:Hack」のYouTube
実はそのときまで「ひろゆき」のことさえ知らずにいたし
成田悠輔のこともまったく忘れていた

一見受けねらいの遊び番組ようにもみえたのだが
成田悠輔もひろゆきも
最初の印象とはまったく異なり
実のところホンネレベルでの
道徳性に満ちていることに気づいたこともあり
その人物像に興味をひかれ
しばらくYouTubeで記事を視聴したりしていた

そしてつい最近のことだが
著書がでていることを知り目を通してみることにした
基本は現代のデータやソフトウェア
アルゴリズムなどのデジタル技術を使うことで
実質的に滅びかけている民主主義を
再生させる可能性があるのではないかという
未来への提言とでもいった真っ当な内容である

ぼくのばあいも
(成田悠輔が著書でも「言い訳」しているように)
「政治がなにやら大事だと頭ではわかる。
だが、心がどうにも動かされない。」
「政治にも、政治家にも、選挙にも、
私はまるで興味が持てない。
どうでもいい・・・・・・そう感じてしまう」
というところが多分にあるのだが

そして民主主義ということそのものの
根本的な欠陥と危険性を感じることも多いのだが
たしかに本書で示唆されているような
「無意識データ民主主義」が実行されれば
(1)エビデンスに基づく目的発見
         +
(2)エビデンスに基づく政策立案
が可能であるという構想は興味深い

「無数の民意データ源から意思決定を行う」
アルゴリズムによって
どんなことが必要であることを発見し
それを実現する政策を立案していく
ということができれば
民主主義のシステムは有効に働く

しかしやはりそこで危惧されるのは
「無数の民意データ」である
無意識で求めているものから
見出される「目的」は
いったいどのようなものになり得るだろうか
ということである
しかし民主主義の対極にあるような
プラトンの『国家論』で描かれた世界にしたところで
それが賢人による統治であるとはいえかなりコワイ

とはいえこうして
あくまでも構想とはいえ
民主主義について通常議論されていることよりも
ずっと進んだ視点を構想してみることからはじめるのは
画期的なことであるのは間違いない

さて成田悠輔やひろゆきの
あの独特でユーモアたっぷりの語り口だが
気になるのは自然学的な要素のまるでないことである
あるのは社会と人間関係とデジタル世界

すべてをデータに還元しているわけではないものの
基本はそうしたテーマでのデータから見える視点である
「虫屋」のような世界や
「ものづくり」のような世界はまるで見えてこない
ある意味で「現実的」ではあるかもしれないが
その「現実」のとらえる「社会」には
「社会」のなかの人間以外の存在は見えてこない

■成田悠輔
 『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』
 (SB新書 SBクリエイティブ 2022/7)

(「おわりに・異常を普通に」より)

「「なぜ民主主義について考えてるんですか?」とある記者に聞かれたことがある。正直な答えは「他の記者の人に聞かれたから」という受け身で残念なものだ。でも、ちょっと考えてみると、もっと能動的で単純明快な理由も埋もれていることに気づいた。選挙や民主主義の現状が異常に見えるからだ。

もともと私の専門は民主主義とも選挙とも政治とも関係ない。データやソフトウェア、アルゴリズムなどのデジタル技術と社会制度・政策の共進化である。「意思決定や資源配分に使われるアルゴリズムをデータ駆動にデザインする手法」を作って、学術論文やソフトウェア、オープンデータなどにしている。」

「そうした技術発展を公共領域、特に民主主義や選挙に反映していくことに人類は驚くほど失敗してきた(・・・)。投票や選挙のやり方は何十年間もほぼ変わっていない。」

「今の選挙と民主主義の故障の構造を探り、選挙制度を作り変えられないか内側から闘争したり、独立都市・国家へと逃走して新しい政治制度をゼロから手作りしたり、無意識データ民主主義の構想をデザインしてみよう。

この本で取り組んだ課題やアイデアの多くは古い、私が考え出したことでも何でもなく、何百年も、下手すると数千年も前から、ずっと色々な形で変奏され、実験されてきた。民主主義に関する議論は同じ場所を何千年間もグルグル回りつづけていると言ってもいい。

ただ、同じ問題を取り巻く文脈や環境が変化したことで、同じ問題が違う表現を見せはじめた。数十年前までは、問題を解決する具体的で技術的に実現可能な代替案がなかった。100年前だったらどうしようもなかっただろう。でも、今は雲行きが違う。意思決定のために使える情報・データの質量や計算処理能力は桁がいくつも変わってきた。それを使って意思決定をするアルゴリズムを支えるアイデアや思想・理論も貯まってきた。そいつらを繋ぎ合わせて民主主義更新のためのサバイバルマニュアルにしたみたのがこの本だ。」

「瀕死の民主主義を追い詰める「黒船」を自分たち自身で作り出せるのかが問われている。突っ込みどころだらけの惨めなこの本の試みが、そんな黒船のトイレの部品くらいにはなれることを願う。

(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)

「見当もつかないほど革命の目的が大きいので、革命は尻込みを何度もくり返す。尻込みしなくなるのは、どんな後戻りもできない状況になったときだ。するとその環境のほうが、こう呼びかける。

ここがロードス島だ。ここで跳べ!
   ここにバラがある。ここで踊れ!」

(「A.はじめに断言したいこと」より)

「若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。」

「私たちには悪い癖がある。今ある選挙や政治というゲームにどう参加してどうプレイするか?そればかり考えがちだという癖だ。だが、そう考えた時点で負けが決まっている。「若者よ選挙に行こう」といった広告キャンペーンに巻き込まれている時点で、老人たちの手のひらの上でファイティングポーズを取らされているだけだ、ということに気付かなければならない。」

「これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えると、つまりちょっとした革命である。」

(「B.要約」より)

「経済といえば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。勝者を放置して徹底的に勝たせるのがうまい資本主義は、それゆえ格差と敗者も生み出してしまう。生まれてしまった弱者に声を与える仕組みが民主主義だ。暴れ馬・資本主義に民主主義という手綱を掛け合わせることで、世界の半分は営まれてきた。

二人三脚の片足・民主主義が、しかし、重症である。ネットを使って草の根グローバル民主主義の夢を実現するはずだった中東の多国民主化運動「アラブの春」は一瞬だけ火花を散らして挫折した。むしろネットが拡散する煽動やフェイクニュースは陰謀論が選挙を侵食。北南米やギャグのような暴言を連発するポピュリスト政治家が増殖し、芸人と政治家の境界があいまいになった。」

「では、重症の民主主義が再生するために何が必要なのだろうか? 三つの処方箋が考えられる。(1)民主主義との闘争、(2)民主主義からの逃走、そして(3)まだ見ぬ民主主義の構想だ。」

「逃走はどこまでいっても逃走でしかない。民主主義に絶望して選民たちの楽園に逃げ出す資産家たちは、民主主義に内在する問題を解決しはしないからだ。では、どうすれば逃走と闘争し、民主主義の再生をはかれるだろうか? 求められるのは、民主主義を瀕死に追いやった今日の世界環境を踏まえた民主主義の再発明である。

そんな構想として考えたいのが「無意識データ民主主義」だ。」

「無数の民意データ源から意思決定を行うのはアルゴリズムである。このアルゴリズムのデザインは、人々に民意データに加え、GDP・失業率・学力達成度・健康寿命・ウェルビーイングといった成果指標データを組みあわせた目的関数を最適化するように作られる。意思決定アルゴリズムのデザインは次の二段階からなる。

(1)まず、民意データに基づいて、各政策領域・論点ごとに人々が何を大事だと思っているのか、どのような成果指標の組み合わせ・目的関数を最適化したいのかを発見する。「エビデンスに基づく目的発見」(Evidence-Based Goal Making)」と言ってもいい。

(2)(1)で発見した目的関数・価値基準にしたがった最適な政策意思決定を選ぶ。この段階はいわゆる「エビデンスに基づく政策立案」に近く、過去に様々な意思決定がどのような成果指標に繋がったのか、過去データを基に効果検証することで実行される。

この二段階燃焼サイクルが各政策論点ごとに動く。したがって、

無意識民主主義=
    (1)エビデンスに基づく目的発見
         +
    (2)エビデンスに基づく政策立案

と言える。こうして、選挙は民意を汲み取るための唯一究極の方法ではなく、(1)エビデンスに基づく目的発見で用いられる数あるデータ源の一つに格下げされる。」

「無意識民主主義は大衆の民意による意思決定(選挙民主主義)、少数のエリートによる意思決定(知的専制主義」、そして情報・データによる意思決定(客観的最適化)の融合である。周縁から繋がりはじめた無意識民主主義という雑草が、既得権益、中間組織、古い慣習の肥大化で身動きが取れなくなっている今の民主主義を枯らし、22世紀の民主主義に向けた土壌を肥やす。」

(「C.はじめに言い訳しておきたいこと」より)

「この本の目的は単純明快である。選挙や民主主義をどうデザインすればいいか考え直し、色々な改造案を示すこと。それに尽きる。

ただ、打ち明けておかねばならないことがある。政治にも、政治家にも、選挙にも、私はまるで興味が持てない。どうでもいい・・・・・・そう感じてしまう。」

「私は新聞も読まないしテレビもほとんど見ないが、政治(家)や選挙に関するニュースがたまたま目に入るたび、自分がまた一歩つまらなく古臭い人間になった気がしてしまう。ひょんなことから毎週エラい政治家と話す機会があるが、いつも辛い。動物園で珍しい動物を観察したくらいのノリでそっと退散しれしまいたい。

そのことが、しかし、この本を書くきっかけになった。」

「政治がなにやら大事だと頭ではわかる。だが、心がどうにも動かされない。政治やそれを縛る選挙や民主主義を、放っておいても考えたり動いたりしたくなるようにできないだろうか? その難題に挑戦することがこの本の隠れた目的である。読者のためというより、正直自分のためである。そのために二つの戦略をとる。

(1)政治や選挙や民主主義をちょっと違った視点から眺めることで、考え直す楽しさや面白さを創り出すこと(「内」なる興奮を作り出す)。

(2)政治や選挙や民主主義を通じて世の中をちょっとでも良い方向に変えられるかもしれない。そんな予感を与えるため、選挙や民主主義をどう改造してどう参加すればいいか。色々な方向に向かう戦略や構想を閉まること(「外」からの報酬を作り出す)」

「もう一つ言い訳しなければならないことがある。この本のテーマについて私は素人だということだ。私は政治家でもなければ政治学者でもない。政治そのものについても、政治学や政治史についても、素人の部外者である。」

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