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「萩尾望都 マンガの女神」「高野文子 創作と自意識」(穂村弘『よくわからないけど、あきらかにすごい人』/萩尾望都『バルバラ異界(1)』/『高野文子作品集 絶対安全剃刀』

☆mediopos3267  2023.10.28

穂村弘が
「よくわからないけど、あきらかにすごい人」
に会いに行き
「すごい人」と創作をめぐる対話をする

対話をしているのは
谷川俊太郎・宇野亞喜良・横尾忠則
荒木経惟・萩尾望都・佐藤雅彦
高野文子・甲本ヒロト・吉田戦車の九人

どの対話からも
耳(目)を離すことができないが
そのなかから
マンガ家二人(萩尾望都・高野文子)をとりあげる
どちらもいわゆる少女マンガ家だが
いうまでもなく読者層は性別を超えている

個人的にいえば
両者とも大学生のころから読むようになり
ずいぶんと影響されてきた
いわゆる少女マンガといわれる方のなかの二人だ
(穂村弘はぼくより少しばかり年下だが
ほとんど同じマンガを読んでいるらしい)
萩尾望都は『ポーの一族』
高野文子は『絶対安全剃刀』である

高野文子のマンガにはじめてふれたのは
『別冊奇想天外SFマンガ大全集PART3』に掲載された
「ふとん」(1979.7)で何度読み返したか知れない
それほどに強い印象を受け
その後刊行された作品集を買い求め
それ以来何度となく読み返し続けている

この作品集『絶対安全剃刀』の初版を
リアルタイムで買って読んでいるというだけで
あるマンガ研究会(少し年下)の方に
一目置かれたことさえあったりするほど

さてそれぞれの対話のなかから
印象に残ったことを少しずつ

萩尾望都は『バルバラ異界』(二〇〇二〜〇五連載)から
「ようやく大人が描けるようになった」のだという
「それまでは、子ども目線からしか描け」ずにいた

「成熟した大人を描けるようになったこと」について
萩尾望都はそれまでは
「歳を取れば自動的に大人になると思っていた」が
「三〇歳になっても四〇歳になっても、
ちゃんと大人になりきれない自分がいる」と気づく

その話から「精神年齢はいくつで止まる」か
という話になり
「以前は、三〇くらいかと思ってたんですけど、
今では二三くらいかなと思うこともあ」るという

そういえばシュタイナーによれば
かつてはひとは年齢ともに精神も成熟していたが
現代(二〇世紀初頭)では二十歳くらいだというので
萩尾望都の感覚と近いようだ

穂村弘はじぶんのそれについて
「三歳くらいの自分、思春期の自分、
それと二〇代後半の自分」がいて
「それ以降はいない感じ」だとのこと

ぼく自身でいえば
物心ついたころ、思春期ころ、二十歳ころ、
それから少し飛んで
ようやく一〇年程まえから
リアルタイムでそれなりに歩いているじぶんが
同居しているように感じている

こうして一〇年程まえから毎日書いているのも
年齢に応じた「成熟」をと願っているところもあって
現在進行形(格闘中)である

さて高野文子との対談では
ずいぶんと意外な話があって驚かされた

「マンガは、攻撃しなきゃだめだと思ってやってた」
ということ
そして「マンガも詩も小説も、
自分のことを語るものだと思っていた」ということ
そして「現代大好き」だということ

『ドミトリーともきんす』は
自意識つまり「自分から離れ」て
気持ちよく描いているのだそうだが

マンガ家とくに女性マンガ家の多くは
ある種の「巫女」的なところが強くあって
それとどう共生するかあるいはそれを超えていくか
ということと格闘していることにあらためて気づかされた

ぼくが「24年組」といわれる女性マンガ家から
強い印象を受けてきているのは
そうした巫女的な自我との格闘に影響され考えさせられ
そこから半ば無意識的にも学ぶ必要があったからだろう

さてさて最近よく考えてみることのひとつに
かつてさまざまなジャンルで活躍していた
こうした「よくわからないけど、あきらかにすごい人」が
最近はずいぶん減ってきているのではないか
ということがある

ぼく個人のセンサーが弱まってきたことも
少なからずあるだろうが
まとまった形で現れてきていた
「文化」の創造に関わるひとたちが
見いだし難くなっているようなのだ
いうまでもなく音楽の世界も同様である

それと反比例するように
科学技術的な側面だけはやたらと加速し続けている
そしてそれに伴った精神における「創造」は
むしろ逆行しているかのようだ

ともあれなんとか歳を重ねながらも
それなりの「センサー」を働かせ
「よくわからないけど、あきらかにすごい人」を
見つけられるようにと願うばかりだ

■「萩尾望都 マンガの女神」
 「高野文子 創作と自意識」
 (穂村弘『よくわからないけど、あきらかにすごい人』
  毎日新聞出版 毎日文庫 2023/10)
■萩尾望都『バルバラ異界(1)』((flowers コミックス 小学館 2003/6)
■大島弓子『綿の国星』(花とゆめCOMICS 白泉社 1978/6)
■『高野文子作品集 絶対安全剃刀』(白泉社 昭和57年1月)

(穂村弘『よくわからないけど、あきらかにすごい人』〜「「よくわからないけど、あきらかにすごい人」に会いに行く」より)

「子どもの頃は、自分の家と学校が世界のすべてだった。(・・・)ところが、思春期に入ったとたん、世界は一変した。親や先生や友だちがどこか遠いものに思えてならなかった。彼らが悪いわけではない。ただ、私の心が求める何かは今まで生きていた世界からは得られない、と感じていた。無邪気なままではいられず、アルバイトや恋愛をする勇気もなく、ただ自意識の塊になって蹲る。そんな自分にとって世界はどんどんよそよそしく無気味になっていった。

 私は救いを求めて必死で本を読むようになり、音楽や絵画や映画にも興味を持った。自分の求めるものが、一度も会ったことのない誰かが作った作品の中にあるに違いない、と思い込んだのはどうしてだったのか。わからない。実際、手に取った本のほとんどはぴんとこなかった。でも、ごく稀に奇蹟のような言葉や色彩やメロディに出会うことができた。この世にこんな傑作があることが信じられなかった。世界のどこかにこれを作った人がいるのだ。それだけを心の支えにして、私は長く続いた青春の暗黒時代をなんとか乗り切った。

 自分が本を書くようになってから、対談の仕事をするようになった。「誰か話してみたい人はいませんか」と訊かれたりもする。その時、私は怖ろしいことに気がついた。もしかして、奇蹟のような作品を作ったあの人にもあの人にもあの人にも、会おうと思えば会えてしまうのか。信じられない。でも、と思う。その人に会ってどうしようと云うのだろう。私が心から伝えたいことは唯一つ。「目の前に奇蹟のような作品があって、この世のどこかにそれを作った人がいる。その事実があったから、つまり、あなたがいてくれたから、私は世界に絶望しきることなく、生き延びることができました。本当にありがとうございました」。

 だが、そんなことを云われても、相手はきっと困惑するだろう。私のために作品を作ったわけじゃないのだ。第一、それでは対談にも何にもならない。ならば、と考えた。溢れそうな思いを胸の奥に秘めて、なるべく平静を装って、その人に創作の秘密を尋ねることにしよう。どうしてあんなに素晴らしい作品を作ることができたんですか。自分もあなたのように世界の向こう岸に行きたいんです、と。それだけを念じながら、私は憧れのあの人に会いに行った。」

(「萩尾望都 マンガの女神」〜「マンガ界の巨匠たち」より)

「萩尾/「マンガの神様」というのがちょっと陳腐な言い方ですけど、手塚治虫先生がいなかったら、戦後の日本のマンガはここまで発展できなかったのではないか、という思いがありますので。手塚先生はマンガを文化として育てた方ですよね。
 穂村/同性の先輩だと、どんな方に憧れていたんですか。
 萩尾/女性のマンガ家はまだ少なくて、私が小学生のころ活躍しておられたのは、水野英子先生、わたなべまさこ先生、牧美也子先生といった方々です。
 穂村/手塚さん以外の男性作家ではどうですか。
 萩尾/石ノ森章太郎先生と、ちばてつや先生ですね。
 穂村/マンガ界の巨匠たちですね。萩尾さんをはじめ、大島弓子さん、山岸凉子さん、竹宮恵子さんといった「24年組」(昭和24年前後の生まれで、少女マンガの黄金期を作った作家たち)にも、キラ星のような才能が集まっていますね。どうして同世代にあんなに才能が噴出したのでしょうか。
 萩尾/私が中学のころ、講談社の『週刊少女フレンド』と集英社の『週刊マーガレット』が立て続けに創刊されて、作家が足りない時期があったんですね。出版社が定期的に作品を公募していて、それでデビューなさったのが里中満智子先生や青池保子先生、飛鳥幸子先生。そういうこともあった、マンガ好きの女の子は「あっ、私にも描けるんだ」と気がついたんだと思います。」

(「萩尾望都 マンガの女神」〜「男女のフェアネス」より)

「穂村/ある時期まで、大人はマンガを読まなかったし、そのあとも長らく男性が女性マンガを読むことはあまりなかったと思いますが、萩尾さんの出現によって男性でも熱心に少女マンガを読むようになりました。「萩尾望都だけは読む」という男性ファンが、ぼくの周りには多かったんです。」

(「萩尾望都 マンガの女神」〜「生の行方」より)

「穂村/萩尾さんは、あるとき「ようやく大人が描けるようになった」という発言をされていましたよね。
 萩尾/父親や母親をちゃんと描けるようになったのは『バルバラ異界』(二〇〇二〜〇五連載)からですね。それまでは、子ども目線からしか描けなくて、
 穂村/成熟した大人を描けるようになったことを、ご自身でどう捉えていらっしゃいますか。
 萩尾/歳を取れば自動的に大人になると思っていたんです。ところが三〇歳になっても四〇歳になっても、ちゃんと大人になりきれない自分がいる。精神年齢はいくつで止まるんでしょうね? 以前は、三〇くらいかと思ってたんですけど、今では二三くらいかなと思うこともあって。穂村さんは、いま、おいくつですか。
 穂村/ぼくは五一歳です。
 萩尾/ご自身で五一の大人の男性になっている感覚ってありますか。
 穂村/ないですね。
 萩尾/何歳くらいの感覚ですか。
 穂村/それが一つだけではなく、二つか三つあるような気がします。三歳くらいの自分、思春期の自分、それと二〇代後半の自分がいます。それ以降はいない感じですね。
 萩尾/三歳っていうのはすごいですね。
 穂村/全能感が捨てられていない気がするんです。
 萩尾/ほほう。それはすごい。
 穂村/けっこうみんなそうなんじゃないかな、たとえば、お酒を飲むと一人称が「俺」になって全能感が噴出する人っているじゃないですか。
 萩尾/女の人でもそうだと思いますか。
 穂村/女性の場合は、そこまでの人はあまり見ないかもしれないですね。
 萩尾/女の人が三歳のときの自分を上手に残すのは難しいかな。大島弓子さんは五歳の自分を上手に残している人かもしれないですね。ちびねことか。
 穂村/子どもが大人になるということが、ネコが人間になるくらいのギャップのように感受されているのかもしれないですね。萩尾さんは、大人になることや、人間として成熟することをどうお考えですか。魅力的な大人の世界ってどこにあるんでしょうか。
 萩尾/今の大人は成熟しないし、魅力的な世界もないですよ。思春期の渾沌を背負ったまま、会社や家庭で居場所を広げているだけのように見えます。
 穂村/大人の社会的広がりって、結局のところ物質とお金に換算できるものですよね。その一方で、自分が描く世界像というかインナースペースの広がりもある。それを犠牲にしながら、大人は社会の中で自己を拡大していくイメージがあるんです。
 萩尾/世の中って複雑ですよね(笑)。「大人は権力を持っているから、もっと幸福なんだろう」とか「毎日大きなことをいっているんだから、それなりに力があるんだろう」と思っていたけれど、実際はそうじゃない。幸福になるために必死に努力しなければいけないし、お金も稼がなければならないし、健康にも気を使わなければならない。そうやって生きていくのは大変なことですよね。その苦労のせいで、自分の世界をどんどん狭めていく。」

(「萩尾望都 マンガの女神」〜穂村弘「逢ってから、思うこと」より)

「萩尾望都さんをはじめとする、いわゆる24年組の作品で育ってきたという気持ちがある。自分にとって萩尾さんは思春期の感受性に決定的な影響を与えられたマンガ界の女神なのだ。」

(「高野文子 創作と自意識」〜「天の声が」より)

「穂村/以前の対談で、萩尾望都さんに「萩尾さん以降の同業者ですごい人は誰でいか」って訊いたら「高野文子さん」と即答されていて————。
 高野/ほんとうですか?
 穂村はい。なんだかすごくうれしくて、
 高野/うれしいけれど、重い責任ですね。
 穂村/高野さんは「萩尾さんが憧れだった」ってインタビューでおっしゃっていましたけど、どんなところに憧れたんですか?
 高野/「天の声」みたいな感じがしたんです。一六歳のとき。
 穂村/いわゆる24年組にはすごいマンガ家さんがたくさんいますけど、とりわけ萩尾望都さんなんですか?
 高野/そうです。まだマンガ家になりたいなんて考えてなかったころ、ずっと上の方から「こっちに来なさいよ」って言ってくれたんです。
 穂村/それは「描け」ってことですか?
 高野/そう。そんな気がする。
 穂村/天の声が「読め」じゃなくて「描け」っていうところがおもしろいですね(笑)。
 高野/たしかに「描け」って聞こえましたよ。
 穂村/それは萩尾さんの、どのころの作品ですか。
 高野/『トーマの心臓』はまだ発表されてなくて、短編「11月のギムナジウム」が雑誌に載ったころだと思います・
 穂村/あの時代に、すでに萩尾さんの特別な存在観に気づいていたんですか。
 高野/「この人は、きっとわたしに手紙をくれたんだ」って思ってました。」

「穂村/はじめて高野さんの『絶対安全剃刀』を読んだとき、萩尾さんよりも岡田史子さんに近いようなイメージをもったのを覚えています。単純な表面上の印象ですけど、作品ごとに絵柄を変えるところとか。岡田史子さんはお好きでしたか?
 高野/もちろん。しかし、その岡田さんの作品も萩尾さんのエッセイのなかで知ったものです。わたしは萩尾望都さんに「こっちへいらっしゃい」と言われて、この仕事をはじめたのですが、長年描いていくうちに、だんだん萩尾さんとは違う道を行くようになったと思います。ロンドンではなく、いつも日本だという点では、もしかすると樹村みのりさんに近いんじゃないかな。
 穂村/萩尾さんと樹村みのりさんは、同世代ですね。」

(「高野文子 創作と自意識」〜「描く対象」より)

「高野/『黄色い本』のあと、もうマンガはムリって思っていた時期があるんです。
 穂村/どうしてですか。
 高野/丸を描いて目鼻をつけると、わたしの声でしゃべりだすという超常現象が起きたんですよ。
 穂村/ええっ、どんなことがあるんですか。
 高野/描き過ぎたんですかね。どんな顔を描いても自分の顔に見えてしまうんです。風景画や似顔絵なら描けるので、じゃあ、他人を主人公にしたマンガならいけるかもしれないと思って————。湯川秀樹とか朝永振一郎っていう実在した他人を描くことにしたんです。」

(「高野文子 創作と自意識」〜「一コマ一コマの強さ」より)

「穂村/たとえば、カメラで撮影すれば、風で飛ばされてゆくオブラート越しに風景が見えたり。オブラート同士が重なっているところは景色が鈍く見えたりするんだろうけど、我々の肉眼では知覚できませんよね。そういった人間が知覚できないような一瞬を見せるコマが、高野さんのマンガのなかにはいっぱいある。
 高野/うん。絵って、そういうものですからね。
 穂村/ぼくはそれを「一瞬のかけがえのなさ」の表現としてとらえて読んでるんですけど、
 高野/それほど考えて描いてませんよ。
 穂村/高野さんの作品の話になると、読者はコマ単位で好きなところを語りますよね。
 高野/ええ、そうみたいですよね。」

「穂村/通常のマンガが従っている暗黙のルールとまったく違うものがありますよね。たとえば、「一コマをこれくらいのスピードで読むと誰が決めたんだ。その読み方を変えろ」と言われるような気がすることがあるんです。そう言われて、自分が従っていたルールを捨てるんですが、同時に、なんだか作品から攻撃されているような感じもして・・・・・・。
 高野/攻撃していたんでしょ。マンガは攻撃しなきゃだめだと思ってやってたんです。
 穂村/気のせいじゃなくて、やっぱり攻撃されてたんだ(笑)。
 高野/よし、どこから斬りつけてやろうか、って考えて描いてたんですから(笑)。
 穂村/どうして攻撃的だったんですか?
 高野/やっぱりね、マンガは戦だと思っていたところがあるんですよ。でも、もう攻撃はやめたんえす。『ドミトリーともきんす』はとっても平和なんですよ。」

(「高野文子 創作と自意識」〜「創作と自意識」より)

「高野/わたしは、マンガも詩も小説も、自分のことを語るものだと思っていたんです。自分の気持ちをそのまま字や絵にする。十代のころからずっとそう思ってやってきたんですけど、自分のことを誰かに聞いてもらうのはもういいかなって思っちゃったんです。描いても描いても解決しないということに、ようやく気がついて・・・・・・。
 穂村/なんだか意外ですね。初期作品から「わたしのことを訊いてほしい」という感じは希薄だったと思うんですが。
 高野/え、そうですか?
 穂村/たとえば、どんな作品が高野さんのことを聞いてほしいと・・・・・・。
 高野/ずっとそればっかりやってきたような気がするんです。
 穂村/最初のモチーフに、それほど自意識がかかわっているとは思っていなかったので驚きます。高野さんは、ご自身で「テーマ主義」とおっしゃってましたよね。そのテーマっていうのは、モラルみたいなものかと漠然と思ってました。そのモラルに照らしたときに見えてくる現代の日本が嫌いなんだろうなって————。
 高野/いやいや、現代大好きですよ(笑)。
 穂村/そうなんですか。
 高野/はい。やっぱり現代ですよ。
 穂村/てっきりに、憎んでいるのかと思ってました(笑)。反バブル的な『るきさん』とか。
 高野/現代が大好きですよ。昔がそんなによかったわけではないし。」

「高野/今は文学よりも自然科学のほうがいい。涼しい風が入ってくるようになりました。自分から離れるのは、すごく気持ちがいい。心の奥の暗い泉ばかり観ていても解決しないことが多いですよね。そう思っていたとき、湯川秀樹が「遠くの広いところへ行ってみてください」って言ってくれたんです。」

(「高野文子 創作と自意識」〜穂村弘「逢ってから、思うこと」より)

「高野文子さんの新刊が出るたびに緊張した。なんというか、作品を読むことが読者にとってのひとつの試練というか、挑戦というか、闘いになることがわかっているからだ。そこにはいつも私の感受性で受けとめられる以上のことが描かれているのだ。自分は今、とんでもない傑作を、ぜんぜん受けとめ切れないまま、その価値をざあざさこぼしながら読んでいる、という焦りを覚えた。だが、初めから何十回も読み返すことがわかっているような永遠的な作品に触れる至福。それは他では味わえない特別な読書体験だ。今回、ご本人から「攻撃していたんですよ。マンガは、攻撃しなきゃだめだと思ってやってたんです」という言葉を聞けて逆に安心した。」

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