見出し画像

ジュネイド・ムビーン『AIに勝つ数学脳』

☆mediopos3426  2024.4.4

本書『AIに勝つ数学脳』は
「人工知能(AI)全盛の時代に
最も必要とされる「数学的知性」の全体像」について
親しみやすい語り口で理解させてくれる好著だが

その原題は
「Mathematical Intelligence
 What We Have that Machines Don't」
タイトルとしてのキャッチ性はあるのだが
「AIに勝つ」というのではない

人間の数学的に考える能力を活かすためには
AIにはできないことを踏まえながら
AIの計算能力を活かしていくことが求められる
といった内容となっている

内容を反映させたタイトルとしては
「AI時代に求められる新たな数学的知性」
あるいは
「数学的知性の未来
 ————AIと共生するために」
とでもしたほうがいいかもしれない

本書で論じられているのは
数学的知性を特徴づける5つの要素と
私たちが数学に取り組む際の2つの方法論である

そこで重要なのは
数学的知性は人間の持っている能力であり
AIにできることとできないこと
人間にしかできない特徴を理解したうえで
AIとどう関わっていくかという視点である

数学的知性を特徴づける5つの要素とは
「概算」「表現」「推論」「想像」「問題」である

人間が数学的な答えを理解するには
「概算」する能力が不可欠だが
コンピュータは正確な計算は行うが
おおざっぱに答えを推測することはできない

数学的思考を進めていくうえで
数学の概念や答えをどのような形式で
どのように表現するかが重要になるが
コンピュータの二進言語では
人間の身体性や思考方法に適したものにはならない

コンピュータは正確な答えは出してくれるが
それがどのような論理や文脈で
出されたものなのかは説明できない
そこにバイアスが存在している可能性もあるため
人間が論理や文脈を把握しながら
推論にもとづいて答えを理解する必要がある

コンピュータには新たな分野をつくりだすことはできない
決められたルール(公理)を
破ることはできないからである
ルールを破ることさえできる人間の想像力が必要になる

コンピュータに問題を解かせることはできるが
問題を立てさせることはできない
人間は遊び心のなかから新たな問題を立て
それをふくらませながら新たな世界をつくりだせる

数学に取り組む際の2つの方法論とは
「中庸」と「協力」である

中庸とはスピードと思考の深さのバランスをとること
答えに辿り着く速さも重要だが
創造的で有用なプロセスを経るためには
意識だけではなく無意識のプロセスも必要になる

協力に関してだが
数学的知性を活かすためには
人間と人間
そして人間とコンピュータとが
多様な観点で互いを補完していくことが重要となる

昨今はAIが人間にとってかわろうとしている・・・
というような風潮があったりもするが

AIには何ができて何ができないのか
人間しかできないことは何か
その基本的な視点を踏まえながら
相互補完しあえるようなありようについて
考えておくことが重要だと思われる

AIに勝つのではなく
AIに使われないように
相互補完的にうまく使っていくこと

本書はそのことを適切に概観させてくれる

本書で得られる「概観」から「推論」を行い
「想像」し「問題」を立てていくことも
コンピュータにはなしえない
人間だけの持ちえる「知性」にほかならない

その「知性」が目覚めなければ
AIに使われてしまうことにもなりかねない

■ジュネイド・ムビーン(水谷淳訳)『AIに勝つ数学脳』(早川書房 2024/2)

**(「はしがき 数学的知性の正体」より)

*人工知能の台頭と脅威

*「人間の脳がコンピュータのように動作するという発想に近い考え方は、かなり昔からおおざっぱな形で唱えられてきた。(・・・)しかし、そのように脳のあらゆる働きを単純化するという考え方から脱却して、脳のすさまじい複雑さを受け入れれば、人間ならではの思考が持つさまざまな面が見えてくるだろう。

 人間の脳は、ダイナミックに変化するよう設計されている。新生児にとって、目の前20センチより先の世界は最初は漠然としている。しかし周囲と関わり合うにつれ、持ち前の学習機構ににょってあっという間に適応し、変化していく。ものの数時間で母親の声を聞き取れるようになり、数日で母親の顔に見慣れ、数週間で色の違いを感じ取れるようになる。学習とは社会的な活動であって、自分の身体と他人や環境との関わり合いによって後押しされるものだ。

 脳をコンピュータに当てはめて説明したいのであれば、次のように言うこともできるかもしれない。何千万年もかけて進化してきた、直観やさまざまな思考法をもたらす「生まれ持った回路」と、この世界を渡り歩くための膨大な「学習アルゴリズム」とが、強力な形で掛け合わされたもの、それが脳であると。世界と関わるたびに、脳の神経回路はどんどん「アップグレード」して自身を「再配線」し、決めつけていた事柄を修正してじゃ経験を蓄積していく。そうして、この世界を見るための多様な新しいモデルを徐々に強化していく。」

*「AIの近年の進歩から本当に明らかになってきたのは、コンピュータは人間の痴性を模倣しているわけではないということだ。(・・・)特定のタイプの知的振る舞いをとらえる専用のレンズとしては使えるかもしれないが、人間の思考の多彩さや奥深さを備えた「汎用人工知能」に必要な水準にははるかにおよばない。」

*数学的知性の七つの原則

*「本書を通じて掲げていく数学的知性とは、パターンマッチングのアルゴリズムを超えたものを必要とする代物であって、それは人間とコンピュータの両方に求められる野心的な基準である。数学的知性をそのように理解するには、それを計算と結びつけるのをやめて、数学をもっと幅広い意味でとらえなければならない。」

*「最初の五つの原則は、我々の「考え方」に関する事柄である、

●人間に本来備わった数の感覚は、正確な計算でなく概算に基づいている。我々に組み込まれた概算のスキルは、コンピュータの正確さを補完するものである。現実世界を解釈するにはその両方が必要だ。

●おおざっぱな数の感覚は自然界の至るところに見られる。人間がほかの動物と違う点は、言語と抽象化にある。我々は知識を強力な形で表現する並外れた能力を持っていて、その表現法はコンピュータの二進言語よりも多様である。

●数学によって我々は、永遠の真理を確立するためのもっとも堅牢で論理的な枠組みを手にする。推論は我々を、純粋なパターン認識システムによる疑わしい主張から守ってくれる、

●すべての数学的真理は、出発点となる一連の仮定、いわゆる公理から導き出される。我々人間はコンピュータと違い、決まり事を破って、自分の選んだ事柄から論理的に導き出される結果を吟味する自由を持っている。数学に基づいて想像を膨らませ、ルールを破ることで、魅力的な、ときに適切な概念が手に入る。

●コンピュータには幅広い問題を解かせることができるが、それに値するのはどのような問題だろうか? 我々の持つ思考スキルにとって、問題を問うことは、問題を解決すること自体と同じくらい欠かせない。チェスなどの問題が力づくの計算力に屈してつまらないものになっても、我々は自分たちを奮い立たせて、決まりきった計算の守備範囲を超えたところに横たわる問題を考え出すことができる。」

*「これらの原則は数学に対する通常の認識に反しているため、実現するには意識的に懸命に取り組まなければならない。幸いにも人間には、自分の精神の働きをメタ認知的に意識する力が備わっている。つまり、自分がどのように考えればいいかを考え、どのように学べばいいかを学ぶことができる。自分の「取り組み方」に手を加えて、知性の持つこれらの側面を伸ばすための広い余地を確保することができる。そこから最後の二つの原則を読み取ることができる。自分の思考を操る方法に関する原則と、他者とともに考える方法に関する原則だ。

●我々特有の生物学的な知性には。意識的思考と無意識的思考の気まぐれが伴うことが分かっている。非常に手強い問題を解くには、スキルを発揮するだけでなく中庸も心がけて、問題を解くスピードや、考慮する情報の量をどのように制御するかにとりわけ注意を払わなければならない。

●人間が一人で生きることはめったにない。機械が人間を補完するのと同じように、人間はほかの人間を補完する。協力が実りを生むかどうかは、多様な観点を組み合わせあっれるかどうかにかかっており、デジタル時代のテクノロジーのおかげで、以前とは違った形で人間の集団的知性を利用する可能性が開けている。」

**(「第1章 概算」より)

*うまれつきの数感覚

*「人間はあいまいな事柄を非常にうまく処理できるようで、それがとりわけ顕著なのは大きさの概念においてである。」

「概算と正確な計算とは数的能力の互いに異なる側面であって、それぞれ別々の脳機能が用いられるが、我々にもとから備わっているのは前者だけであると結露づけられそうだ。超高速で超正確な計算機の時代、人間にとってはこの本能的な数感覚を活かすことがかつてなく重要になっている。

*何を入力するか————モデル

「機械学習プログラムも所詮我々が作ったものだ。単純なものも複雑なものも含め、すべてのモデルは、それを設計した人がどんな選択をしたかに左右される。実際にモデルを立てるのはアルゴリズムでなく人間であって、その人間が、この世界を合理的に近似できると考える関数やパラメータを選ぶ。コンピュータは、与えれられた選択肢の範囲内で考えるにすぎない。」

*何を与えるか————入力

「モデルの成否は、どこにどんなデータを入力するかにかかっている。

**(「第2章 表現」より)

*イヌのイヌらしさ

*「機械学習プログラムの振る舞いはけっして人間らしくはない。機械はすべての物体をベクトル、すなわちいくつかの数を並べた列として扱う。機械学習アルゴリズムは、画像や文章、囲碁における石の配置など、訓練のための例を与えられると、その一つ一つをベクトルで表現した上で、それらのベクトルをもっとも良く記述できる関数を数学演算によって見つける(この手順を「最適化」という)。」

*「人間の脳は、さまざまな対象をそれまでの経験に当てはめることで耐えず学習していく。我々の世界観は、新たな経験や問題を古い経験や問題と関連づけるたびに、段階的に改良されちく。それに対して機械学習プログラムは、得られるデータを根こそぎむさぼって、あらゆる入力を見境なく処理する。(・・・)

 コンピュータは、人間がおこなっているのと同じ意味でイヌを「見る」ことはない。詰まるところ、無数のピクセルの集まりを別のピクセルの集まりと比較する計算を行っているだけだ。」

*心的表現とその圧縮性

*「人間は情報を保存するようにはできていない。(・・・)実際には思考や記憶は、「自然」な処理環境の一部としてニューロンのネットワーク全体に分散している。とはいえ、(・・・)人間は情報量そのものを最適化するようにできているわけではないはずだ。(・・・)その量はますます増えるばかりだ。そこで、情報を圧縮する方法が必要となる。(・・・)

 圧縮は人間に本来備わったスキルである。

(・・・)

 我々はまた、この世界を大まかな形で認識している。

(・・・)

 断片的な情報をつなぎ合わせて意味のあるまとまりにするには、強力な表現が必要となる。(・・・)情報は孤立した断片として存在することはないのだ。」

**(「第3章 推論」より)

*論理と情動の絡み合い

*「どんな論証も社会的枠組みの中に存在していて、その木的な観念を伝えることだけでなく、観念を正当化して、それが正しいことを他人に納得させることにある。それをすべて一気に達成するには、論理と情動の両方に訴えかけるような論証でなければならない。論理は、その主張が客観的に真理となるようにするためのもの。情動は、人の信念が正しい方向に向くように、その真理を表現するためのものである。数学的論証は、実際の真理と見せかけの真理を峻別する厳格なシステムであって、論証の論理的な側面を対象とする。しかしきわめて強力な論証、単なる真理を超えて知恵や洞察を呼び覚ますような論証は、人間の誠心に備わった豊かな表現にも基づいている。記号や図、物語や比喩など、説明に役立つツールを活用することで、結論だけでなく論証の大枠も見えてくるようなものである。そもそもそも混乱していて複雑なこの世界を理解するには、使える限りの表現を最大限活かすしかないのだ。」

**(「第4章 想像」より)

*不完全性は知性にとって何を意味するか

*「人間の知性を機械で再現するには。何か特定のルールや振る舞いに縛られないような設計が必要となるだろう。つまり、矛盾を受け入れるような機械だ。(・・・)

 ここでおそらく鍵となるのは、人間が機械をプログラムすることで、機械がそれ自体の大系を破れるようにすることは可能だろうかという疑問だ。人間の知性が充たすべき基準は、あらかじめ規定された思考モードを否定する人たちによって設けられてきた。論理的操作だけでは、けっして我々の信念体系に立ち向かうことはできない。信じていたことから外れた事柄に立ち向かう術はない。創造性h不連続性から生まれるものである。パラドックスについて深く考えて、既存の考え方に風穴を開けることから生まれるものだ。論理的な気質と破壊的な心的態度を組み合わせ、矛盾を見つけ出してそれを解決したときに、人は新たな考え方を生み出すのだ。」

**(「第5章 問題」より)

*賭け事をめぐる問題と確率論

*「コンピュータは鳥よりもカエルに近い。個々の問題と答えに集中するだけで、それらがもっとも幅広い概念とどのように関係しているかは気にしない。予想外の見事な答えを出してくるかもしれないが、その答えを予想外の見事なものとして特別視したり、さまざまな答えを結びつけて統一的な理論を作ったりするための基本的な枠組みは持ち合わせていない。

 また、コンピュータがいつかこの世界にまったく新たな問題を突きつけてくるかどうかも定かではない。」

*子供の頃の習慣を甦らせる

*「全知全能の機械を追求する上で障害となるもう一つの要因が、この物理世界の現実が渾沌としていることだろう。たとえば自動運転車を普及させるには、命に関わる情況に直面したときにアルゴリズムがどのような選択をすべきかを解き明かすために、哲学や倫理学かた知恵を借りる必要がある。哲学者はいわゆる「トロッコ問題」という思考実験に考えをめぐらせてきた。これは、あるグループの人たちを犠牲にして別の(たいていもっと大きい)グループの人たちを救うことが、どのような場合に正当化されるのかという問題である。しかし、白黒はっきりした答えが求められることはほとんどない。グレーゾーンを相手にした非常に手強い問題だ。生死や倫理、道徳や宗教、法律に関わるさまざまな難題に人類は何千年も前から苦しんでいるのだかた。近いうちに機械がそれらの問題を片付けてしまうことはないだろう。コンピュータの正確な二進言語では扱えないような疑問もあれば。コンピュータでは意味のある答えを出せないような疑問もある。恐ろしいのは。我々が自分たちの疑問をコンピュータが処理できるような形に変えてしまって、さらには薄っぺらいものにしてしまって。その答えをやみくもに受け入れてしまうことだ。

 非常に重要な疑問というのは、往々にして非常にあいまいなものだ。そのような疑問を突きつけられると我々は、自分たちの世界観を振り返り、核をなす信念や価値観を吟味し、あいまいさや不確かさを受け入れられるようになる、コンピュータに答えを尋ねることは。たとえできたとしても絶対に避けなければならないときもあるのだ。」

**(「第6章 中庸」より)

*内なる衝動

*「我々の生物学的な基本構造は、思考や問題解決に数えきれない脅威をもたらす。退屈や不安の感情に取り憑かれるのは、機械ではなく人間だ、一方、我々の考え方の癖を見定める手段を持っているのも、機械ではなく人間である。我々h思考のスピードや課題の難しさを調整して、できるだけの生産的なフロー状態に自らを切り替えることができる。テクノロジーはフローに似た状態へ追い込むのに役立つが、それは知識を共有したいという焦燥を抑えつけた場合にかぎられる。

 最終的にフロー状態に入れるかどうか、どんなたぐいのフロー状態を経験するかは、自分が何によって掻き立てられるかに左右される。機械は動機をもった主体ではなく、(人間が規定した)数学的モデルに基づいて計算をおこなうことで、エラーが最小限になるような選択をするようにプログラムされたものにすぎない。コンピュータを働かせるには、「オン」のスイッチを押すだけでいい、しかし人間の心は、少なくとも現在の知見によれば、プログラムに基づくそのような記述を超えた存在である。人間の「オン」のスイッチは内部にあって、我々がどんな観念を抱くかは、意識レベルと無意識レベルの両方で何に注意が向けられるかに大きく左右される。」

**(「第7章 強力」より)

*意思を共有する

*「テクノロジーは、協力する相棒と、人どうしを結びつける手段という、両方の役割を果たす。我々が機械を使って問題を解くと同時に、インターネットは人と人の協力関係を強化する。そのテクノロジー自体も、我々人間がどのように終結するかによって方向づけられるだろう。アルゴリズムに潜むバイアスの多くは。似たような人たちからなる開発チームの姿を映し出しているにすぎない。自動化された判断を信頼してもかまわないのは、そのテクノロジーを作った人たちが人類全体と同じくらい多様である場合にかぎられる。」

○ジュネイド・ムビーン (Junaid Mubeen)
オックスフォード大学で数学の博士号、ハーヴァード大学教育大学院で国際教育政策の修士号を取得。現在はWhizz Educationという企業で教育担当取締役を務め、先進的な数学教育プログラムを世界中に提供している。また、ベストセラー科学作家のサイモン・シンとともに、世界最大のオンライン数学サークルparallelを運営している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?