【対談】ピーター・バラカン×酒井邦嘉 「生成AIは言葉を、音楽を、人間を、どう変えるのか」 (『kotoba No.58』)/酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』『デジタル脳クライシス』
☆mediopos3679(2024.12.15.)
『kotoba No.58』(2025年冬号)の特集は
「いい歌詞とは何か」
そのなかから言語脳学者・酒井邦嘉と
ピーター・バラカンの対談
「生成AIは言葉を、音楽を、人間を、どう変えるのか」を
とりあげる
酒井邦嘉には『チョムスキーと言語脳科学』
『デジタル脳クライシス――AI時代をどう生きるか』
といった著書があるように
言語機能は生得的だとするチョムスキーの視点から
生成AIがその言語能力を損なってしまうことに
警鐘をならしているが
対談も主にそのテーマをめぐる内容となっている
ピーター・バラカンは
じぶんではChatGPTなどはまったく使っていないが
「限定的な利用ならAIは価値のあるもの」で
「使うか使わないかは各自は選べばいい」とし
「人間が機械に利用されてしまうという危険性」については
意識的になっておかなければならないという
酒井邦嘉はすでに社会や教育現場においては
議論のないまま「AIをどうやってうまく使うか」
ということになってしまっている現状に対し
「AIをいかに使うべきではないか」を訴え続けている
「愚か者には見えないらしい
「王様の新しい服(生成AI)」に対して、
自分の目と感性を信じて「王様は裸だ!」と
言えるような勇気が必要」だというのである
過剰なまでにインターネットに依存することによって
「考える前に検索する」という習慣が生まれ
肝心の問題解決能力が落ちてしまったり
「「自分がいいと思ったから、この音楽はいい」のではなく、
「再生回数が多いから、いいもんだろう」と見なして、
思考停止に陥る」ように
「機械に使われる方向へ流されて」しまったりもする
ピーター・バラカンが「人間の脳に比べれば、
コンピュータはまだまだで」
「プログラムされた音楽にソウルが感じられない」
といっているように
機械には感性がないにもかかわらず
なんでも機械に任せてしまうことで
じぶんなりの感性を育てていくことができなくなる
そして「AIに頼って自分の頭を使わないように」なると
「イノベーション(新しい考え)を生むような能力」を
失ってしまうことにもなる
対談では一貫して
AIに依存してしまう傾向への危機感が表明されている
ピーター・バラカンは「人類の歴史上、
これまでの新しいテクノロジーはどれも
必ず危険をはらんでいるものだった」が
「その発展の度合いは、今ほど劇的じゃなかった」といい
酒井邦嘉は「AIを規制しない限り、
人間は自らの文明を破壊しかねない」とまで言っている
それに対して両者とも
次世代の若い人たちを信頼することが
「唯一の希望」だとしているのだが
果たしてどんな未来がつくられていくのだろう
新しいテクノロジーはおそらくこれからも生まれ続るだろうし
それが大衆化され依存度を高めながら広がっていくことを
止めることはできそうにない
重要なのはそれにつれて
人間の「能力」(感受性・思考力等)が
それなりに育っていければいいのだが
現在すでにその傾向を見せているAI依存は
それらをスポイルしてしまうことにもなりそうだ
まさに対談のタイトルのように
「生成AIは言葉を、音楽を、人間を、どう変えるのか」
そしてそれに対してわたしたちはどうすればいいのか
その問いは否応なく現在進行形として
わたしたちの前に投げられている
■【対談】ピーター・バラカン×酒井邦嘉
「生成AIは言葉を、音楽を、人間を、どう変えるのか」
(『kotoba No.58』いい歌詞とは何か 2025年冬号 集英社)
■酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書 2019/4)
■酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI時代をどう生きるか』((朝日新書 2024/10
**(「【対談】ピーター・バラカン×酒井邦嘉」より)
*「生成AI後の人類はどう変貌していくのだろうか。酒井邦嘉は、言語能力によって音楽や美術、さらには人間の想像性が共通する構造を有しており、生成AIによりそれが損なわれることの危険性は大きいと警鐘を鳴らす。音楽に造詣が深く、英語、日本語の話者でもあるピーター・バラカンはそれらを通してAIにどんな未来を見ているのだろうか。」
**********
*「酒井/対話風の合成AIにすぎないChatGPTが出てからというものは、言葉が非常に軽く扱われ、創造的なアイデアも機械で安易に生み出せるかのように軽視されてしまいました。芸術の分野でも、AIで画像を合成したり、作曲したりするような時代を迎えているわけです。(・・・)
バラカンさんは、ChatGPTなどを使っていらっしゃいますか?
バラカン/自分ではまったく使っていません。ただ、音楽映画祭の監修をしていて、ある栄華の日本語字幕を作るのにChatGPTの利用を主催者に提案したことはあります。でも、最終的には元の音声を確認しながら修正していく作業が必要でしょうね。
こういう限定的な利用ならAIは価値のあるものじゃないかな。テクノロジーは存在しているわけで、使うか使わないかは各自は選べばいい。でも、逆に人間が機械に利用されてしまうという危険性は必ずあるから、それは意識しておかないといけませんね。
酒井/すでに社会や教育現場では、AIを使うかどうかをほとんど議論することなく、「AIをどうやってうまく使うか」という意識になってしまっています。私はこのところ「AIをいかに使うべきではないか」を訴え続けていますが、最後の砦に取り残されるかもしれません。
先ほど「対話風」と呼んだ理由は、AIにはそもそも心がありませんし、言葉の意味や相手の意図を察する力もないからです。質問した人の話題に関連したものを合成してそれらしく応じるだけですから。
それなのに、「AIと対話ができる」ということを信じて疑わない人は、なぜこれほど多いのでしょうか。「新技術を恐れるな」と専門家や識者から喧伝されて、テクノロジーに乗り遅れたと人から思われることを恐れているのかもしれません。愚か者には見えないらしい「王様の新しい服(生成AI)」に対して、自分の目と感性を信じて「王様は裸だ!」と言えるような勇気が必要ですね。
・インターネットによる能力低下
*「バラカン/僕らの時代は、わからないことがあったら、とにかく本を読んで調べなければいけなかったのです。一生懸命考えて問題を解決するということは、人間の基本だと思うんですよ。インターネットが使えるようになって三〇年近くになりますが、この「問題解決能力」は、日々確実に落ちていっていると思う。そういう僕も、ネットに頼らずに何かしているかと言えば、そんなにしていないけれど(笑)。
酒井/問題解決能力の力が落ちるのは、「考える前に検索する」という悪しき習慣のためでしょう。どんなにネット上の情報を得ても、それを「読書」と呼ぶことはありません。本に書かれた情報は限られている分、まだ考える余地が残されているわけで、そこで発揮される想像力や思考力こそが読書で磨かれる能力なのです。
インターネットのもう一つの弊害は、多数意見への偏向です。「自分がいいと思ったから、この音楽はいい」のではなく、「再生回数が多いから、いいもんだろう」と見なして、思考停止に陥る危険です。そうした付和雷同の状態が極限まで高まったところにAIが出てきてしまったので、人間は自身を振り返る余裕のないまま、機械に使われる方向へ流されていくことでしょう。
バラカン/音楽配信サーヴィスのSpotifyなども、聴いている曲をすぐにシステムが学習するんですね。こちらが曲を選ばなくなったら、勝手に選曲して聴かせてくる。どういうアルゴリズムを作るかによるんだろうけれど、それがかなり上手なんですよ。音楽を受け身で聴く人には、それも悪くは無いのかもしれない。多様なメディアがあること自体は、僕はいいことだとは思っています。ユーザーはその中から自分の感性に響くものを選べばいい。でも、なんでも機械に任せてしまうのはどうなのかな。機械に感性はありませんからね。
酒井/AIに心などなく、行動履歴や統計データから確率的な予測をするだけですし。
バラカン/人間の感性というか、音楽の好みというのは、いろいろな影響を受けてできている。外に表れない子どものときからの人間関係や、親が聴いていた音楽の記憶。あるいは一〇代のときにつき合っていた女性のことを思い出すこととか。
酒井/でも、一筋縄ではいかないのがまた人間で、周りに反発してロックに傾倒するというのも、社会体制や閉塞感にあらがうことをエネルギーにしたわけでしょう。」
・言語能力はたった一度の突然変異で生まれた
*「酒井/私は、人間の脳が言語を生み出す仕組みを研究しており、音楽と言語は同時に生まれたと考えています。
バラカン/音楽の起源の非常に古いものだからね。
酒井/言葉を最初に発した人類が、鼻歌を歌わなかったはずはないでしょう(笑)。
バラカン/酒井さんの師である言語学者のチョムスキーは、言葉を話して創作するという能力は、人間だけが持っていて、しかもそれは脳に組み込まれているという説を唱えているんですよね。
酒井/それが言語生得説の要点です。」
「バラカン/われわれがこの言語能力を手にするために、人間にはいったいどれだけの歴史が必要だったと、チョムスキーは言っているんでしょう。
酒井/チョムスキーが考えたシナリオは、とても面白いものです。おそらく、「たった一度の突然変異で言語能力が完成した」と述べています。
バラカン/「あるわずかな変化、脳内のわずかな再配線があったことは間違いなく、その再配線によって言語システムが作り出された」とい踏み込んだ説明をしています。
そもそも、人間がいくらでも大きな数を数えることができるのは、言語と共通した「再帰的」(recursive)な能力であり、無限の生成力を可能にしています。(・・・)
再帰的な能力を持つ動物は人間のほかにおらず、たとえ動物が学習して一〇まで数えられるようになったとしても、質的に異なります。(・・・)
人間の脳は、ある一度の突然変異によって「無限」を理解できるようになり、完璧な言語の設計を手にしたわけです。この能力のお蔭で、さまざまな新しいものを限りなく創造できます。人間にそうした無限の生成力が備わっているからこそ、音楽でも絵画でもいろいろなジャンルやスタイルが発展していくのだと思います。
バラカン/そこまで融通が利く人間の脳に比べれば、コンピュータはまだまだですね。道理でプログラムされた音楽にソウルが感じられないわけです。
・AI時代の教育の危機
*「酒井/チョムスキーの言語理論はこれほど明解なものであるにもかかわらず、現在のAIのシステムはこの理論にもとづいておらず、まったく正反対の産物です。
チョムスキーの言語生得説では、先ほど言われたように、「普遍文法」という言語能力が脳に組み込まれていると考えます。ところがAIの機械学習は、すべての能力が後天的な経験を通して「学習」されるものとする経験論に基づいています。
AIの研究が始まったのは一九五〇年代で、その頃はチョムスキーの新しい言語理論の影響を受けていたのですが。今では水と油なのです。
バラカン/ある人の声を三〇分ぐらいAIに聞かせれば、その本人がしゃべっているかのように音声が作れますよね。画像も動画もいくらでも合成できてしまうから、本当に信じられるものがなくなってしまった。これもAI時代の弊害ですね。
酒井/創造的な生成ではなく、本物の断片を合成しただけですから、似せるのだけは得意なわけです。
バラカン/そうなると、もう見たもの聞いたものすべてを、まず疑わなければならない。これは人間にとってすごくストレスだと思うんですよ。本人は人を信頼したい気持ちがあるはずです。なのにこれからの世の中はそれはもう通用しないからね。そのストレス自体が、今後人間にどのように作用するかは計り知れないでしょう。
酒井/私もまったく同感です。事実、去年から教育現場がすでに崩壊し始めています。教員が学生を信頼したくても、レポートに生成AIを使ったかどうかわかりませんから。私の講義でもレポート課題をやめて、全面的に筆記試験に切り替えました。「AIとつき合っていく」など、無理な話です。
バラカン/そこまでいくと、「じゃあ、教育の意味はどこにあるの?」という疑問も出てきますよね。人間にとって、イノベーション(新しい考え)を生むような能力を失うことは、いちばん怖いですね。
酒井/AIに頼って自分の頭を使わないようにするわけだから、これは極めて深刻な事態です。その予兆はAIの前からあったと言うべきでしょう。(・・・)
検索に頼ると、なんでも簡単にわかった気になって、疑問が解決したと思った時点でたいていは興味を失ってしまう。そうすると、あえて未知の問題に挑むような奇特な人、つまり研究者は激減することでしょう。
アインシュタインは、自らの能力について「熱烈に好奇心があるだけだ」と繰り返し語っていました。好奇心を失ってしまったら、規格外の人物が出てくる余地はなくなってしまいます。
バラカン/先日、テレビ番組の取材で熊野に行ったんです。明治から昭和初期にかけて活躍した南方熊楠を紹介するためだったんですが、彼は好奇心のかたまりですね。興味の対象となった学問が博物学や考古学から、民俗学や宗教学までいろいろ。粘菌なども研究したりしてね。(・・・)そういう規格外の人がいなくなると困りますよ。そういう人たちから、我々はものすごく恩恵を受けますからね。
酒井/音楽の世界でも、規格外の人がときどき出てきますね。
バラカン/そうそう、付き合いにくいとは思うけど(笑)。でも、そういう人たちがいるからこそ、文化や技術が次の段階に移行していくんですよ。
酒井/このままAIが人間社会に浸透していくとしたら、本当に危険ですね。
バラカン/人類の歴史上、これまでの新しいテクノロジーはどれも必ず危険をはらんでいるものだったと思うんです。ただね、その発展の度合いは、今ほど劇的じゃなかった。ところが、インターネットの出現は大きかったですね。インターネットが最初に出てきたとき、民主的に発信できて、平和な未来がもたらされると、僕も含めてみんな夢見ていたんです。
でも、残念ながら人間はいい人ばかりじゃない。そして人間は、本当に悪い意味で楽観的なんだな。AIのことも、危機感がない人が多すぎますね。
酒井/人間の言語能力は完璧ですが、心が未熟なままなのです。隣の国とも、同じ国の人とも仲良くできず、常に扮すが絶えないわけです。
バラカン/AIは、悪い人が利用しようと思えば、簡単に利用できる。それがいちばん危険ですね。
酒井/爆撃にドローンが使われていますが、さらにAIを搭載したロボット兵器では、無慈悲な攻撃命令を出せるうえに、誤爆も多発します。「敵国が使うなら、自分も使わねば」という強迫観念に駆られる結果。抑止力なども働きません。AIを規制しない限り、人間は自らの文明を破壊しかねないでしょう。
バラカン/本当にこの文明が存続できるかどうか、切羽詰まってきています。
でも今、若い人たちが先頭に立って、社会や政治を変えようとかんばっていますね。だから僕たちも、彼らのことを本当に信頼してあげないと。
酒井/教育の意味とは、次の世代を信頼するということに尽きますね。それが唯一の希望です。
バラカン/「education」(教育)という言葉は、「引き出す、導き出す」ちうラテン語が語源です。「教える」という上から目線ではなくて、その人が持っているものをうまく引き出すお手伝いをすることが、本当の教育ですね。
酒井/「各個人にとって学習とは大部分が再生・再創造の問題、つまり心の内にある生得的なものを引き出すという問題である」と、言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトが述べています。人を育てる教師という仕事も、人にしかできないことだと、改めて思い直しました。」
○ピーター・バラカン(Peter Barakan)
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年、音楽出版社で著作権関係の仕事に就くため来日。現在はフリーランスのブロードキャスターとして活動。おもな著書に『ロックの英詞を読む──世界を変える歌』『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック』(光文社知恵の森文庫)、『ラジオのこちら側で』(岩波新書)、「新版 魂(ソウル)のゆくえ」(アルテスパブリッシング)、『テイキング・ストック』(駒草出版)がある。
○酒井邦嘉(さかい くによし)
言語脳科学者、東京大学教授。1964年生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。1996年マサチューセッツ工科大学客員研究員を経て、2012年より現職。第56回毎日出版文化賞、第19回塚原仲晃記念賞受賞。脳機能イメージングなどの先端的手法を駆使して人間にしかない言語や創造的な能力の解明に取り組んでいる。著書に『言語の脳科学』『科学者という仕事』(中公新書)、『脳の言語地図』(明治書院)など。