小倉孝保『中世ラテン語の辞書を編む/100年かけてやる仕事』
☆mediopos-3083 2023.4.27
英国で二〇一三年末
準国家プロジェクトとして
『英国古文献における中世ラテン語辞書』が完成する
プロジェクトが始動したのは一九一三年
第一次世界大戦の前年であり
辞書の完成までには百年かかっている
当初関わった人たちが
その完成を見ることはできないプロジェクトである
生きているあいだには完成しない仕事が
基本的にボランティアによってなしとげられた
現在このプロジェクトは英国以外でも進行中で
『ケルト古文献における中世ラテン語辞書』プロジェクトのほか
同様の辞書づくりが欧州十六カ国で進んでいるという
ヨーロッパの人たちにとっては
ラテン語はじぶんたちのルーツであり
歴史・文化を学ぶためには
ラテン語がわからないと昔の文献は読めない
しかもかつてヨーロッパにおいて
共通理解の道具であったラテン語は時代を経て
それぞれの地域ごとにかたちを変えてきたため
中世に使われていたラテン語を理解するには
その時代の辞書が必要であるにもかかわらず
それまで使われていた辞書は
一六七八年作成の『中世ラテン語辞典』だけだったのである
意義深いプロジェクトではあるが
自分のためにではなく後世のために辞書づくりに励み
しかもまったくじぶんの利益にならないボランティア作業に
多くの時間とエネルギーが注がれてきた
効率を優先し経済合理性ばかりが優先される
そんな世の中になっているからこそ
こうしたプロジェクトが進んでいることは
注目されてしかるべきだろう
ちなみに日本での辞書づくりは
明治維新以降の国家にとって
重要なプロジェクトづくりであったにもかかわらず
大槻文彦によってつくられ
明治二十四年に完結した『言海』は
全くの私費で作成されているという
政府はまったく資金を出していない
日本の文化施策は明治以降現在に至るまで
もっぱら管理を目的としたもののようで
そうした文化・歴史に関する
国家的なレベルでのヨーロッパとの意識の違いも
再認識されてしかるべきだと思われる
また現在のように英語習得にばかり向いている施策に対し
日本語の柱である漢字・漢文・古文はいうまでもなく
文学的な現代語に関してさえも
積極的なまでにスポイルさえしているような施策が
今後与える影響は甚大なものとなるだろう
本書の副題にある「100年かけてやる仕事」
という言葉が意味するものが
現代の日本ではほとんど失われてしまっているようだ
このままいくと
政府の積極的な主導とさえ思えてしまうような
人口減少と歴史・文化のスポイルによって
一〇〇年先には日本人もまた日本語も
死滅してしまっているのではないかとさえ思えるほどだ
■小倉孝保『中世ラテン語の辞書を編む/100年かけてやる仕事』
(角川ソフィア文庫 2023/4)
(「第一章 羊皮紙のインク」より)
「二〇一四年秋、ロンドンで新聞を読んでいた僕は「中世ラテン語辞書作成プロジェクトが百一年ぶりに完了」という小さな記事を見つけた。英国に暮らしていると時折、時間軸の長さに驚かされる。(・・・)「世紀をかけた辞書づくり」の記事には心揺さぶられた。随分閾の長いプロジェクトである。経済の採算性を初めから度外視していたとしか思えない。
現代社会は効率を優先し、あらゆるプロジェクトが経済合理性を基準に計られる。パソコンのクリック一つで情報は瞬時に世界を巡り、その都度、僕たちは意思決定を迫られていく。スピードこそ命。それに乗り遅れるのは愚鈍な者とみなされかねない。お金に換算できない限り、価値あるものと認めず、しかも短期的な利益が見込めなければやる価値はない。やや極端なとらえ方かもしれないが、僕は今の世の中にそうした風潮が蔓延している、もしくは蔓延しつつあるように感じている。そういう時代に生きていればこそ、百年をかけた辞書づくりに興味が膨らんだ。今すぐ直接、誰かに、何かに、役立つというこのではないにもかかわらず、それを完成させようと精力を傾けた人がいることこそ大切だと思えた。
英国の一部の人びとはこの一世紀という時間を、一冊の辞書を仕上げるために使ってきた。初期にこの辞書づくりに携わった人たちは、自分の生あるうちに辞書が完成しないことを知っていたはずだ。人々は自分のためにではなく後世のために辞書づくりに励んだ。自己の利益にならない作業に、多大な時間やエネルギーを費やしている。」
「二〇一四年暮れ、僕はロンドンの英国学士院にアッシュダウンを訪ねた。」
「アッシュダウンから話を聞く。
「辞書づくりが始まったのは一九一三年です。英国の知識人の多くが当時、新しい中世ラテン語辞書の必要性を認識していました。二百年以上、まともな辞書がつくられていなかったのです。」
英国の知識人はそれ以前、一六七八年作成の『中世ラテン語辞典』を使っていた。」
「英国学士院は次のようにボランティアを募集した。
〈英国学士院の中世ラテン語委員会は一定のラテン語知識を持っている人の協力を求める。英国、アイルランドの人々が書いた古典以外のラテン語を初めて採取する作業である。完成すれば、それは学生たちにとって大きな価値を持つ。そのためにはボランティアの協力が不可欠である。ボランティアの仕事は文献を読み、適当な言葉を書き留めることである。もちろん中世をテーマとしている研究者の援助も歓迎する。時間のない専門家からは、専門分野についてコメントをもらうだけでも歓迎である〉」
(「第四章 ラテン語の重要性」より)
「百年にわたって英国人は中世ラテン語の辞書づくりにエネルギーを費やした。その熱意の背景には、欧州における古典(ギリシャ・ラテン語)の特殊性がある。(・・・)
日本に帰った僕は、欧州におけるラテン語の位置づけに関して語ってもらえる人についてリサーチした。すると何人かの知人から東京大学名誉教授の逸見喜一の名が上がった。名著『ラテン語のはなし』の著者である。(・・・)
逸見はまず、欧州におけるラテン語の地位についてこう説明した。
「ヨーロッパ人にとっては自分たちのルーツ、ヨーロッパの基礎です。英国で民族語(英語)が整えられる以前、知的言語といえばラテン語でした。英語がラテン語に優るのはそんなに古い話ではない。実際、(近代の科学者)ニュートンはラテン語で論文を書いています。だからラテン語がわからないと昔の文献は読めません。」
「「英語を知るにはラテン語を理解する必要があります。」
(・・・)
ラテン語は時代を下るに従い、それぞれの地域ごとにかたちを変えていく。そうして生まれた中世ラテン語が各地域で微妙に異なっている(・・・)。しかもラテン語を起源とするロマンス系のフランス語、イタリア語、スペイン語であっても、今ではかなり異なる言語となっている。普通、それぞれの国民は他の言語を理解できない。こうした時期による言語の変化について、逸見は日本の漢字・漢文よ比較しながら興味深い解説をした。
「ヨーロッパはアルファベット、表音文字です。これは発音に合わせて簡単に変わります。一方、漢字は表意文字です。どう読もうと字は変わらない。そのため時代や歴史性を超越します。話し言葉である中国語は時代と共に変わっているはずですが、文字は変わらない。だから基本いぇきに漢字は歴史性を持って読む必要がない。読み方がともかく、今でも昔の論語を読むことは可能です。古い文献であっても同時代のものとして読める。字で固まっているわけです。アルファベットは違います。発音に合わせて変える傾向が強い。ラテン語の発音は地域によって変わります。ラテン語でありながらフランス語やイタリア語が生まれたのは、発音に合わせて変化していったからです」」
「中世ラテン語は地域ごとに独自の変化をしている。英国の古文献にある中世ラテン語を正しい意味で読みよくだけでなく、解釈の正しさを証明するためにも完全な辞書が必要だったといえるようだ。」
(「第六章 学士院の威信をかけて」より)
「特別委員会のメンバーは無給である。オックスフォード大学を中心に、メンバーの出身大学から通常のサラリーは出るが、委員会の仕事への対価はゼロである。ラインハートたち委員会のメンバーもまた経済的な指標を抜きにして、この役割を全うしてきた。
「委員会の誰一人としてお金のためにやっている人はいなかったはずです。経済的な観点からすると委員をやることに意味はありません。人類にとって有益で、意味あることに携われるチャンスはそれほど多くありません。委員としてそうしたチャンスを全うでき、喜ばしく思いました」」
(「第八章 ケルト文献プロジェクト)
「『英国古文献における中世ラテン語辞書』には兄弟プロジェクトがある。ケルト文献の辞書である。
英国で中世ラテン語辞書づくりがスタートした当初、このプロジェクトはアイルランドをはじめとするケルト古文献のラテン語も対象としていた。その後、英国(イングランド)分とアイルランド(ケルト)分に枝分かれし、『ケルト古文献における中世ラテン語辞書』プロジェクトがスタートしている。」
「英国の中世ラテン語辞書プロジェクトを起点に欧州十六カ国で同様の辞書づくりは進んでいる。」
(「第九章 日本社会と辞書」より)
「明治に入って政府は中央集権化を進める。その過程で共通語を整える必要性が生まれる。江戸時代は藩ごとに漢文の影響を受けていたため、地域が異なってもほぼ共通していた。北と南の日本人同士であっても文書でやりとりする限り、理解が可能だった。欧州におけるラテン語の役割を日本では漢文が果たしていた。一方、話し言葉としての日本語は地域によってばらつきがあった。全国一律の教育制度が整えられ、通信・放送機器が発達した今とは比較にならないほど、そのばらつきの度合いは高かった。近代化を推し進めるには共通語を整理する必要があり、そのため日本語辞書の作成が求められていく。
最初の本格的国語事典は明治二十四年に完結した『言海』である。大槻文彦がつくったこの辞書の完成を明治政府はことのほか喜んだ。
(・・・)
『言海』の完成がどれほどの「大事件」であったか。明治二十四年六月二十三日に開かれた出版祝賀会に出席した顔ぶれを見ると、それがわかる。」
「これほど明治政府が求めたにもかかわらず、『言海』は私費で作成されている。政府は資金を出していない。明治政府は当初、国の資金で辞書をつくることも検討したが、実現しなかった。」
「大槻は結局、自費で『言海』を完成させる。資金がないため分冊とし、予約が入った部数だけを印刷していった。」
「{今野真二)「日本に国がつくった辞書は一冊もありません。政府は資金を出すわけでもなく、私費で辞書ができるのを喜んでいる。珍しい国だと思います」
英国の中世ラテン語辞書は政府の資金援助を受けた英国学士院が作成した準国家プロジェクトである。それを考えると、日本の状況は不思議である。」
「今の政治家や経営者を見ていると、おしゃべりは達者でも、中身のある話のできる者が少なくなっていると守屋(洋)は痛感している。基本的な教養と覚悟に欠けているためだと言う。
「人間としての厚みといったらいいんでしょうかね」
漢文の習得とは言葉としての漢文理解だけを意味しない。漢文によって記述された思想や哲学、宗教、歴史を知ることにつながる。つまり、漢文を捨てることは、道具としての漢文から遠ざかるだけでなく、漢文を通して脈々と受け継がれてきた思想や生活習慣までも捨て去ることを意味する。」
「時代と共にある文化が廃れ、別の文化が社会に芽生えてくる。それは当然の成り行きである。明治維新以降、急激な西洋化によって日本社会が変化したのを否定的にとらえる必要はない。西洋文化の持っていた民主主義や啓蒙思想、科学重視の考えが日本社会に影響したことは歓迎されるべきだろう。野球やサッカーなどスポーツを楽しみながら、そのスポーツが内包している文化に触れ、ジャズやクラシックといった西洋が生んだ音楽、西洋絵画や映画に触発されるかたちで日本社会が多様性を持ちえたことを喜ぶべきだ。
ただ、一方で漢字・漢文が担ってきた伝統や文化を切り捨ててしまうことの否定的側面にもっと目を向けてもいい。一例を挙げるなら、学校教育の現場で昨今、英語教育の重要性を叫ぶ声は高まる一方であるのに対し、漢文や古文の大切さはほとんど語られない。西洋文化を取り込もうと社会を挙げて邁進する動きには負の側面もついて回るのである。」
◎小倉 孝保
1964年滋賀県生まれ。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長、編集編成局次長を経て論説委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人 「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』(講談社)など。
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