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幡野広志『みんな〝普通〟で困ってる』(webちくま)〜「世界はあいまいでできている」「これからの人生に必要な「勝手にたのしむ力」」
☆mediopos3677(2024.12.13.)
前回(mediopos3676/2024.12.12.)
國分功一郎と若林正恭の対談
「やっとみんな疲れてきた」を紹介し
「疲れすぎないためには
目的・手段から離れていかに楽しむか」が
大事なのではないかということについてふれたが
今回はそのために必要な視点を
幡野広志『みんな〝普通〟で困ってる』から
まず「世界はあいまいでできている」から
世の中のほとんどの物事は
〇×や白黒・ゼロヒャクで答えられるものはない
ほとんどのものはグラデーションである
物差しにしてもゼロとヒャクしかないわけではない
「できる」か「できない」のあいだにも
「たくさんの段階や成長がある」
「自責的であれ」という自己責任論も
「100%自責ポリシーの人がいたらかなり危うい」
しかも「白黒思考に染まっていくと、
世の中を「敵と味方」の2色に分けて考えるようになる」
「「真っ白/真っ黒、ゼロ/ヒャクといった極論は
わかりやすくてキャッチーなんだけど、
社会でうまく生きていくためには
半端さを心がけるほうが大事だったりする。」
重要なのはバランスであり
さらにいえば「個別を見ること」
世代論でいっても
ある世代が「みんな」そうだというわけではない
答えはたくさんあり
それも変わっていったりする
「「答え」に飛びつかないこと、
極論をあやしがること、
そして反対意見にも耳を傾けること」が重要なのである
続いて「これからの人生に必要な「勝手にたのしむ力」」から
学校では偏差値やテストなどの数字で評価されることが多いけれど
それが幸せにつながるわけではない
なにかを継続していくことは力になるけれど
なんでも続ければいいというわけでもない
重要なのは「なにをつづけるか?」である
「すべき」ではなく「したい」ものを選ぶこと
「つまんないこと」をつづけても続けられはしない
「興味のあることに取り組むことにしたら、
内側から湧いた衝動はピュアなままキープ」して
「「なにかの役に立つかな?」って
その後の展開を考えないようにする。」
「役に立つとかキャリアにつながる
とかの「実り」は結果論」であって
「メリットに頭を巡らせた途端たのしめなくなるし、
結果的に挫折」してしまうことになる
しかし「好きなことを仕事に」すればいいかというと
必ずしもそういうわけではない
「途端、「スキル」「金」「立場」とかの話」になるから
「好きを好きのままつづけるには、そういう割り切りも必要」だ
幸せに生きていくために必要なのは
「勝手にたのしむ力」なのである
「みんな」がそうだからといって
その求める「答え」のようにしなくてはいけないとか
「べき」にしばられて「したい」ことがわからなくなると
「楽しむ」ことができなくなるし
世の中の嘘や建て前に縛られるばかりになり
ただ疲れて擦り切れてしまうことにもなるからだ
■幡野広志『みんな〝普通〟で困ってる』(webちくま)
第10回 世界はあいまいでできている(2024年7月12日)
第17回 これからの人生に必要な「勝手にたのしむ力」(2024年12月6日)
**(「第10回 世界はあいまいでできている」(2024年7月12日)より
*「ほとんどのものはグラデーションだ。〇×しかない世界じゃないし、正解はもっとたくさんあったりする。」
*「小学生の息子には何かにつけて、「○×で考えるのやめよう」と教えている。子どもには○×って言い方がわかりやすいからこう呼んでるけど、「白黒思考」とか「0-100(ゼロヒャク)思考」って言うとちょっと大人な感じになるだろうか。かんたんに言うと、極端に考えるのはやめよう、すべてのことには<間>があるんだからって教えだ。」
「でもじつはその考え方ってあまり正確ではなくて、僕は息子に「両端に○と×が書いてあるメジャーをイメージしてしてごらん」と伝えている。左の端には真っ黒なインクで「×」が描いてある。そこから無数の「×」が続くんだけど、ちょっとずつ「○」が混ざってインクの色も薄くなっていく。そして真ん中あたりで完全グレーの「×○」になって、さらに右に進むと「○」の割合が増えて白に近づいて、右端で完全に白い「○」になる。そんなメジャー。
つまり、「○=できる」「×=できない」だけじゃなく、その間には「全然できない」「できそう」「ほとんどできる」みたいなどちらでもない状態があるんだよってことだ。計算もゲームも英語も、「できる」と「できない」の間にはたくさんの段階や成長がある。グラデーションがある。
そしてこの「物事にはグラデーションがある」論は、「できる/できない」に限った話じゃない。ほとんどの物事は、濃淡こそあれグラデーションの中にある。」
*「すこし前、裁判傍聴にハマってよく裁判所に行ってたんだけど、意外だったのが勝ち負けはあっても「10対0」の判決はほとんどないってことだった。交通事故でも、10対0になるのはよっぽどの全力でどちらかが過失したときくらい。求刑10年であっても7年になるとか、それは情状酌量の余地があったからだとか、程度の差こそあれどこかの「間」におさまっていく。
周りを見ても、いい人も悪い人も100%どっちかだけってことはないでしょ? いい人でも少し自己中なところがあったり、悪い人でも情に厚かったり。最近はドラマやアニメでも「悪にも事情があるよね」ってトーンの作品がほとんどだし、さすがにフォローできねえなってくらいの100%悪、最近だとポケモンの「ロケット団」くらいしかおもいつかないもん。あれ、世界征服のためにポケモンを無慈悲に殺したりするからかなりの悪だよね。」
「真っ白/真っ黒、ゼロ/ヒャクといった極論はわかりやすくてキャッチーなんだけど、社会でうまく生きていくためには半端さを心がけるほうが大事だったりする。
たとえば「自責的であれ」って考え方。一種の自己責任論。起こってることは自分の責任だって考えるのはときに必要なスタンスではあるんだけど、「いついかなる場合もすべてひとりで背負わねばならない」って100%自責ポリシーの人がいたらかなり危ういよね。どこかで爆発しちゃわないか、親しい人だったらハラハラしちゃうでしょ。
一方で100%他責ポリシーの人はほとんどサイコパスで、近くにいる人のメンタルを容赦なく破壊してしまう。成長もできないし、もちろん人から好かれない。
だから大切なのはバランスだ、ほどほどに自責でほどほどに他責。ケースバイケース。どっちつかず。全然キャッチーじゃないしポリシーもなさそうに見えるけど、ヘルシーににこにこ過ごすためには白黒思考よりずっと役に立つ。」
*「こうしてその都度バランスを取ることと同時に、個別を見ることも大切だ。たとえば世代論。「みんな」なんていないと理解してたら、「若者は句読点をつけない」みたいなおおざっぱな「いまどきの若者像」を真に受けて振り回されたりしない。
知り合いが20代前半の息子さんに「若者ってみんな倍速視聴してるの?」と聞いたら、「んなわけないじゃん」と返されたと言っていた。彼女はむしろ疑って訊いたみたいだけど、極端な話はだいたい「んなわけない」エンドなんだよね。現実世界はケースバイケースだらけだし、「人による」だらけなんだから。
そもそも白黒思考の人は、答えはひとつしかないと思ってるんだよね。でも実際の「正解」ってもっとたくさんあったりするし、時間の流れで変わっていったりもする。
ちょっと意外な話だけど、科学も「絶対」が「絶対に」ない領域なんだって。「今わかっている範囲だとこうなる可能性が高い」と説明するのが誠実な態度。なのに、「結局どうなんですか!?」「絶対に大丈夫なんですか!?」ってすごい形相で詰め寄る人、コロナ禍でたくさん見たでしょ。「絶対ではないが可能性は低い」みたいな言葉にキーキー言っちゃう人。でも「絶対」、つまり反証可能性がないのはもう宗教なんだよね。
「答え」に飛びつかないこと、極論をあやしがること、そして反対意見にも耳を傾けることは、知的で科学的な態度だ。言い切らない人、意見を変えられる人のほうが誠実だって頭の片隅に置いておくと、人を見る目の養成につながるかもしれない。変なセミナーにも引っかからなくなるよ、たぶん。
白黒思考に染まっていくと、世の中を「敵と味方」の2色に分けて考えるようになるのもめちゃめちゃ怖い。しかも、ぜんぶ自分と同じ考えじゃないと簡単に敵認定してしまうようにもなる。敵と認定した相手には無駄に攻撃的になるし、排他的になる。嫌われるし学べない。それじゃ人生、どん詰まりだよね。
大切なのは、グレーポジションの人間として「この部分は賛成だけど、この部分は反対」って判断を重ねていくことだ。まるっと判断しない。まずは、「映画の趣味は合うけど政治的な価値観は合わない」みたいな友だちを切り捨てないことから始めるといいとおもう。穏やかでいられるし友だちは増えるし成長もできる。ふつうに幸せじゃない?」
*「現実は「間」も妥協も譲歩もありまくりだ。○×、白黒、ゼロヒャク。こういう考え方に囚われると、大人社会ではうまくやっていけない。
凡庸だしキャッチーさに欠けるんだけど、堂々と「そこそこ」「まあまあ」「一部は」「場合による」「人による」みたいなあいまい人間でいよう。」
**(「第17回 これからの人生に必要な「勝手にたのしむ力」(2024年12月6日)より)
*「学校では偏差値とかテストの順位とかの数字で評価されるけど、人生は数字で幸せにはならない。じゃあ、何が幸せを決めるのか?」
*「前回は「継続」について話をした。継続にはめちゃめちゃ効能がある、なにをしてもつづかない人はまず「10回目の成功体験」を持ってみるといいよという話。
ただ、ちゃぶ台をひっくり返すような話になるかもしれないんだけど、なんでもいいからつづければいいというわけじゃない。最初の一手、「なにをつづけるか?」の選び方が大事だったりする。
たとえば「毎日漢字の書き取りを10ページずつつづけよう」と腕まくりして、ほんとうにつづく? つづかないよね。継続には、「正しさ」じゃなく「たのしさ」が不可欠だ。だから「すべき」ではなく「したい」ものを選ぶのがセオリーになる。
前回ぼくは「コツコツタイプじゃなかったからヤンキー校に進学することになった」と話したけど、もう少し正確に言うと、勉強がたのしくなかったし、ほかに夢中になることがあったからやる気にならなかったんだよね。
つまり、継続力がない人っていうのは根気がないっていうより「つまんないこと」をつづけてるだけだったりする。つまんないから「疲れたし今日はもういっか……」ってなっちゃうの。
だってゲームやマンガ、YouTube、その他もろもろの趣味は親に怒られてもつい手が伸びちゃうでしょ。自分が興味があったり夢中になったりしているから、がんばらなくても勝手につづいていく。」
*「人生ってこういう「勝手につづくこと」「自然としちゃうこと」に集中するとうまくいくようにできている。わざわざ向いてないことに挑戦して歯を食いしばって継続しようとしても、悲しいかなあんまりものにならない。これはモノにしたい、上達したい! とピュアにおもえるものを選び取ろう。
そうして興味のあることに取り組むことにしたら、内側から湧いた衝動はピュアなままキープしよう。どういうことかというと、「なにかの役に立つかな?」ってその後の展開を考えないようにする。役に立つとかキャリアにつながるとかの「実り」は結果論。メリットに頭を巡らせた途端たのしめなくなるし、結果的に挫折しちゃうからマジで気をつけよう。
*「「なんのために」を考えないためには、外野の声をいかにシャットアウトするかも大事になってくる。ほら、好きで絵を描いてる友だちに「なに目指してんの?(笑)」とか言う人、いるでしょ? ああいうプレパラートみたいな薄い言葉に耳をかたむけちゃダメだよ。
研究者や学者にも「それ、どんな役に立つんですか?」って質問を嫌う人がいるんだけど、それはただピュアに未知の世界に挑んでるから。夢中で何十年も研究してたら大発見があって、じゃあこれをどう活かそうかって考えるパターンも多いらしい。そんな感じが理想だよね。いまこの瞬間の、自分の「たのしい!」にだけ集中しよう。」
*「それで言うと、「好きなことを仕事にする」のはあまりおすすめできなかったりする。写真家のぼくが言うのも説得力がないんだけど、好きなことを仕事にした途端、「スキル」「金」「立場」とかの話になっていっちゃうんだよね。そうするとだんだん「好き」が薄れていって、仕事としてもなかなか軌道に乗らず、結果やめちゃう人もたくさん見てきた。そこからまたピュアな「好き」に戻れるかというと、けっこうあやしい。
趣味として満足できるなら、趣味のままにしておく。好きを好きのままつづけるには、そういう割り切りも必要だ。」
*「とはいえ、もちろんときには「やらなきゃいけないもの」かつ「継続したほうがいいもの」もある。ゲームやマンガみたいにたのしいことだけに囲まれていくのは理想として、現実問題そうはいかないことも多い。資格の勉強とか健康のための運動とかはその最たるものだよね。そういうときは「どうすればたのしくなるか?」を考えて自分に都度ごほうびをあげよう。
これは知り合いのお医者さんに聞いたんだけど、病気の人に「もっと歩かないとダメですよ」って伝えると、最初はみんな言われたとおりにウォーキングしてみるんだって。でも、なかなか習慣にならなくてだんだん頻度が落ちていく。
一方で「写真をはじめてみるといいですよ」と伝えたらどうかというと、写真ってそんなにむずかしくないから割と簡単にいい感じの1枚が撮れたりして、ハマっていくの。そしたらいろんなものを撮りたくなって、外に出て歩き回るようになる。「しなきゃいけないこと」じゃなくて「やりたいこと」になって自然と継続した結果、健康になる。お医者さんもにっこりだ。わくわくしなきゃ人は動かないんだよね。」
*「「たのしむ能力」というと生まれ持ったものみたいだけど、工夫次第。ポイントさえ見つかれば継続もぐっとたやす くなるわけで、あきらめずに探っていこう。」
*「これまで学校では、偏差値とかテストの順位とかの「数字」で評価されてきたよね。それに一喜一憂してた人も多いはず。だけどこれから社会に出るみんなに言いたいのは、人が決めた数字で自分の幸せ度は決まらないってこと。
じゃあなにが幸せを決めるかというと、数字にならない「勝手にたのしむ力」だ。勝手にたのしめれば毎日がルンルンだし、結果的に力もついていく。そのためにも、自分の「たのしい」にウソをついたりフタをしたりしないように。」
○幡野 広志(はたの ひろし)
1983年東京生まれ。2004年日本写真芸術専門学校中退。2010年広告写真家に師事。2011年独立、結婚。2012年狩猟免許取得。2016年息子誕生。2017年多発性骨髄腫を発病。著書に『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。 』『なんで僕に聞くんだろう。』(幻冬舎)、『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』(ポプラ社)、『ラブレター: 写真家が妻と息子へ贈った48通の手紙』(ネコノス)など。
■幡野広志『みんな〝普通〟で困ってる』
第10回 世界はあいまいでできている(2024年7月12日)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3579
■幡野広志『みんな〝普通〟で困ってる』
第17回 これからの人生に必要な「勝手にたのしむ力」(2024年12月6日)
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3716